ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

タイ仏教コミュのタンマガーイ寺院の瞑想法

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
先月タイ国タンマガーイ寺院で行われた第二回日本人短期出家コースでの初期仏教瞑想法指導から紹介します。

このコースでは、本院住職補佐、東京大学インド哲学博士ターナヴット師、日本寺院総住職補佐、龍谷大学文学博士タニヨー師など、日本語の堪能な方が瞑想指導に当たりました。

瞑想の中には仏教のものと、そうでないものがあります。例えば、仏伝の中では、仏陀となる前のお釈迦様はアーラーラ・カーラーマ仙人とウッダカ・ダーマ・プッタ仙人の処で瞑想法を習いました。その時のお釈迦様は、無色定(むしきじょう)まで至ったのですが、お釈迦様は、これでは涅槃へ行くことはできないと気づきました。そのため、それまでの瞑想法を止め身体の中心に心をおく瞑想を行うようになりました。そして中道を見つけ、悟りを開き、最終的に仏陀となりました。では、仏教における瞑想とそうでない瞑想にはどのような違いがあるのでしょうか。それは、仏教の教えでない瞑想は、「心を身体の外に据える」ということを1番重要視しているということです。

例えば、火を祀る仙人は瞑想をするときには、心を火に据え集中させます。これで、ある程度心を安定させることができます。心を身体の外に置くために、心は安定しますが、明るくなりません。それは大体蝋燭の灯火ほどの明るさといえます。この瞑想法でも、天国が見えるなどの神通力を得ることが出来ます。これに対し、仏教の瞑想法は、心を身体の中、そしてその身体の中心に置きます。この状態がとても安定した状態になると、顕微鏡を使って小さな微生物を見るかのように、様々な些細な物事もはっきりと目に観えるようになるのです。ここで見えるのは蝋燭ではなく、太陽のような明るさです。仏教における瞑想法にはいくつかの段階に分けて修行をします。瞑想諸段階の基本は、心を穏やかに安定させることです。

そして、その方法は5世紀頃のブッダゴーサ長老の『清浄道論』によると40種類あります。
例えば、明るさを思い浮かべる「光明遍」などの「十偏」。
あるいは、出血した死体、虫の湧いた死体など様々な状態の死体を思う「不浄観」。
仏陀、仏陀の教え、仏弟子の徳などを念じる「十随念」。
または、呼吸の出入を念じる「出入息念」などです。
様々な方法がありますが、共通して言えることは、心をそのものに集中させることを目的として行っているということです。しかし方法はこれだけに収まりません。それは100種類に及ぶかもしれません。

水晶球を思う瞑想は「光明遍」と呼びます。
これは「十偏」の中の1つの方法です。また、「サンマー・アラハン」と心の中で唱えることも教えています。「サンマー」とは「正しい」、「アラハン」は「煩悩から離れた者」という意味です。すなわち、仏陀のことを指しています。これは、「仏随念」の一種です。私達の行う瞑想は水晶球を身体の中心に思う「光明遍」と、「サンマー・アラハン」と唱える「仏随念」の2つを交えた方法ということになります。水晶球ではなく、透明な仏像を思うと、「光明遍」と「仏随念」の2つを一緒に行っていることになります。

『清浄道論』の四十法やこれ以外のみかんの種や蓮の花、満月など、どれを瞑想の対象とおいても問題ありません。なぜなら、すべては心を穏やかに落ち着かせ、安定させるためのものだからです。心がある程度穏やかに安定すると、自分で作った瞑想の対象は自然に消えていき、新しいものが現れます。それは丸くて、透明で、明るいものです。これこそ、本物の瞑想の対象で身体の中心に現れます。これは私達が作ったものではありません。「中道」という言葉は、苦でもなく、楽でもなく、その真ん中の状態ということです。ただし、実践的に心を身体の中心である「中道」に置き瞑想をし、その状態を続けます。お釈迦様は最初の段階から仏陀となった最終段階までこのように修行されました。仏弟子もこのような方法で阿羅漢となりました。

ここからは、心のベースについて話しましょう。前に心は身体の中心にあるという話をしました。いきなり心を身体の中心に置きましょうといっても、やはり、難しいですね。ですから、順序にそって、心を身体の中心へともっていきましょう。身体には7つの心のベースがあります。1から順に、ゆっくり心を動かしましょう。第1ベースは男性は右、女性は左の鼻腔にあります。他の物事に執着している心をそこから離して、鼻腔へもってきます。第2ベースは男性は右、女性は左の目頭にあります。六感の嗅覚をつかさどるベースです。嗅覚は鼻にあるのではないかと疑問に思う方もいると思いますが、医学的にも証明されてもいるのですが、嗅覚は鼻で感じるのはなく、この目頭に近い所にある神経で感じとる仕組みになっているのです。

第2ベースはこの嗅覚があるところになります。第3ベースは頭の真ん中にあります。ここから男女ともに同じベースになります。眉間から糸を通し、耳の上からも糸を通して交差した所が第3ベース、頭の真ん中です。ここは視覚をつかさどる所です。またこれも医学的に証明されています。光は水晶体から入り、中心窩を通り、視神経へと伝わり映像かされていきます。こうして伝わった両目の光はある一定の場所で統合されます。この統合点を第3ベース、頭の真ん中です。第4ベースは頭の真ん中からまっすぐ下りた口蓋にあります。ここは聴覚をつかさどる所です。医学的には、耳から入った音は骨伝導によって音として消えこます。両耳から入った音が交わる点が第4ベース、口蓋です。

第5ベースは第4ベースからまっすぐ下りた首の喉仏の辺りにあります。ここは味覚をつかさどる所であり、舌の付け根に相当します。第5ベースは、喉仏にあります。第6ベースは第5ベースからまっすぐ下りた第6ベースにあります。これは触覚をつかさどります。第6ベースは臍にあります。そしてここから人差し指と中指の2本分上の所に第7ベースがあります。ここが心のあり場となります。第1〜6のベースは、第7ベースへ向かうための通り道です。瞑想する時には、心をこの第7ベースへ置くように心がけてください。

始めてすぐに心を第7ベースへ置くことの出来る方は、それでも構いませんし、いきなりそれは難しいと言う方は1、2、3、4、5、6、7、と順に心を移動させていく方法でも構いません。また、慣れない人は1、2、3、4、5、6、5、4、3、2、1と繰り返して心を慣らしてから第7ベースへ置くことも効果的です。第7ベースはとても重要な場所です。カップの蓋も真ん中を支えることで安定しますよね。これと同様に身体の中心に心を置くことで、安定し、集中することができるのです。心を他の場所において置くと、他の物事に簡単に心が動いてしまいます。常に心を第7ベースに置くことで心を安定させ力を保つことができます。ですから第7ベースはとても重要な場所といわれるのです。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

タイ仏教 更新情報

タイ仏教のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。