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ヨーロッパ☆外国映画を観ようコミュのずっとあなたを愛してる (2008)

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ずっとあなたを愛してる(2008)

原題;IL Y A LONGTEMPS QUE JE T'AIME
英題;I'VE LOVED YOU SO LONG

117分

監督: フィリップ・クローデル
脚本: フィリップ・クローデル

出演:
クリスティン・スコット・トーマス   ジュリエット
エルザ・ジルベルスタイン     レア
セルジュ・アザナヴィシウス    リュック
ロラン・グレヴィル        ミシェル
フレデリック・ピエロ       フォレ警部
リズ・セギュール        プチ・リス
ジャン=クロード・アルノー    ポールおじいちゃん
ムス・ズエリ          サミール
スアッド・ムシュリク       カイシャ
カトリーヌ・オスマラン      社会復帰カウンセラー
クレール・ジョンストン      ジュリエットとレアの母親
オリヴィエ・クリュヴェイエ     ジェラール
リリー=ローズ         エメリア

『リンさんの小さな子』などで知られるフランスの人気小説家フィリップ・クローデルが監督業に初挑戦した感動作。ある理由から我が子を手にかけ、15年の服役の末に出所した女性が、身を寄せた妹家族のもとで、孤独と絶望の淵から再生へ向けて一歩を踏み出していく姿を丁寧な筆致で綴ってゆく。主演は、その渾身の演技が絶賛を集めた「イングリッシュ・ペイシェント」のクリスティン・スコット・トーマス。

空港でタバコを手に孤独な表情を浮かべている女性、ジュリエット。彼女は自分の息子を殺し、その理由を語ることなく15年の刑期を終えたばかり。迎えに来た年の離れた妹レアとぎこちない再会を果たし、彼女の家へと向かう。レアの家族は夫のリュックと義父、ベトナムから養子として迎えた8歳のプチ・リスと幼いアメリア。事件はレアがまだ幼い頃に起きた。以来、両親からは姉の存在を忘れるよう育てられたレアは、その空白を埋め合わせたいと願っていた。一方、ジュリエットは心を固く閉ざしたまま距離を取ってしまう。しかし、屈託のないプチ・リスとの交流が少しずつ彼女の心を溶かし始めていく。

以上が映画データベースの記述である。

フランス語のフランス映画であり普通は英語で話される作品でみかける主役のクリスティン・スコット・トーマスを前にもフランス映画でみたことがあるような気がしたのだがそれがどれだったのか思い出せない。 それもスコット・トーマスの先輩であるシャーロット・ランプリングの「まぼろし、原題;SOUS LE SABLE 英題;UNDER THE SAND (2001)」や「スイミング・プール、原題;SWIMMING POOL (2003)」と似たような肌合いをもっているからかもしれず、それがハリウッド映画が席巻する中でときおり観るフランスの優れた映画がもつ、それぞれ似たような肌合いをも共通して感じられるからかもしれないとも思う。 それぞれある種知的な内容を含むことでも共通しているからか例えそれぞれの話が異なっていても肌合い、匂いは変わらない。 それがフランス映画というものだろう。

フランスの町ナンシーは過去何年もバカンスの折オランダから南下するのに通過する街なのだがそれも高速道路を夜中や早朝に通り抜けるだけで街の中には入ったことは無い。 本作でその街の大学や美術館、主人公の妹夫婦の研究者、教育者としての風景が映されるのにもヨーロッパの町の大学によくあるような雰囲気と中流階級の市民がその友人たちで囲んだ食卓で話される会話からも自然だと納得できる。 その中で長いテーブルを小さい子供達を交えて時代の思潮や映画批判の言葉が飛び交うのも、そこでの会話にも本作作家監督の意見の反映だといえるかもしれないし、それが、ここでも主人公の妹夫婦をめぐる中堅のインテリたちの普通の会話として主役がどのように絡むかという場面では彼女の過去が我々には分からないまま静かに展開し、主人公がそこに耐えられず中座することでインテリ層に馴染めないものでもあるのかとの想いがよぎるが、それは誤りであることがあとで分かるような仕組みにもなっている。 とくに、本作の内容とからみあわせてみれば、文学を講じる妹が若い人生のとば口にある学生たちに講じる文学クラスでドストエフスキーの殺人観に対する学生のコメントに対して姉の事情とも絡み合い、間接的にドストエフスキーに難癖をつける女教師を目の前にした学生たちにとってはそれは異常ともおもえる反応で、学生達がしらけるという場面が挿入され、それはそれで議論を進化させることにも繋がり面白いとは思うけれど、ここでも身内のことと所詮は紙の上のこととの間のギャップだとして妹は耐えられずに教室を出る。 けれどこの妹にしても本当のことは分かっていない。 

多分この話が終わってからもこのつづきとして主人公が親交をもつであるだろうとおもわれる男が初めて、美術館でエミール・フリアンの「悲しみ」と題された、喪服に包まれた婦人が墓穴のそばで底を覗き込み悲しみにくれ二、三人の喪服の婦人達が周りから彼女を介添えするような構図の大版の絵を主人公がながめているのをカメラは写し、絵画の中心にいる喪服の女性の表情を舐め、その静かけの中にも深く悲しむ表情を大写しにしてスコット・トーマスのこころを代弁させるようなのだが、そこにこの男が解説をして絡む。 このようなところが本作のクラシックさの所以で、ある種この映画のトーンとなり、機会があればこの絵をナンシーで観たいとも思わせるがちょっとイギリス的な柔らかな印象派に属するだろうこの絵画が実際ナンシーにあるのかどうかは保証の限りではないのではないか。 これも映画の中の話ではあるからだ。 作中一貫して死んだ子供の父親は登場せず、母親の話として進むのだがこういう母親の悲しみの深さは男親には理解するのが楽ではない、というよりはたして理解できるのだろうか。

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