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『山口県観光案内』コミュの“日本三名橋”の1つ『錦帯橋』

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『錦帯橋(きんたいきょう)』は、山口県岩国市の錦川に架橋された「木造のアーチ橋」です。

川幅 約200m の河川内に4つの橋脚を持つ5連の木造橋で、中央3連がアーチ橋、両端が桁橋構造を持つ反橋となっています。
全長193.3m、幅員5m、長さはアーチ橋が35.1m、桁橋は34.8mで、継手や仕口といった組木の技術によって造られています。
こうした構造形式は世界的にも珍しく、ユネスコの世界遺産に登録されている橋梁の中にも、類似の構造をもった木造橋は見られません。

慶長5年(1600年)に岩国の地に移封された岩国藩(正式には岩国領)の初代藩主 吉川広家 は、慶長13年に蛇行した錦川に囲まれた天然の要害の地である横山の山頂に「岩国城」を築城しました。 その麓に居館や上級武士の屋敷を配置、中下級武士の屋敷や町屋は錦川対岸の錦見に置き、岩国城下町を形成しました。 横山と錦見は川幅 約200m の「錦川」に隔てられており、藩政に橋は必須でした。
第3代藩主 吉川広嘉 は、暴れ川である錦川に流れない橋を架けることを決意し、明(中国杭州)の「西湖遊覧誌」にある堤に架かる連なった石橋の図をヒントに 錦帯橋 の構想を得て、家臣の 児玉九郎右衛門 に架橋を命じ、延宝元年(1673年)10月に、岩国藩の悲願であった『錦帯橋』が完成しました。
翌年(延宝2年)5月の梅雨の洪水によりあえなく流出してしまいましたが、原因を徹底的に究明し、同年10月に二代目錦帯橋が完成しています。
以来276年の間、老朽による補修や架け替えは何度も行われたものの、流失することはありませんでした。 また、架け替えられていく中で改良が重ねられていきました。
反り橋の構造は、頑丈な組木の技法により、橋上からの圧力で更に強度が増す仕組みとなっています。経間35mを無脚で渡した技術は、現代の橋梁工学からみても非のうちどころがないと言われ、300年以上も前の技術力には非常に驚かされます。

しかし長年不落を誇った錦帯橋も、昭和25年(1950年)9月14日、キジア台風による錦川の大増水により、多くの市民が見守る中、惜しくも流失してしまいました。
その後、市民の熱意で昭和28年1月15日に再建し、平成13年秋〜平成16年春にかけては、木造部分の全面架け替え工事「平成の架け替え」が行われ、現在も“山口県のシンボル”として優雅な姿を見せてくれます。


錦帯橋(きんたいきょう)は、日本橋(東京中央区)、眼鏡橋(長崎市) と“日本三名橋”として、さらには 甲斐の猿橋(山梨県大月市)、木曽の棧(かけはし)(長野県木曽郡)[現在は、祖谷の蔓(かずら)橋(徳島県三好市)] と“日本三奇橋”としても有名です。

国内外にその雄姿を知られる『錦帯橋』は、世界的にも珍しく比類なき構造をもった木造橋で、優麗なたたずまいを見せる 五連の名橋 です。


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