源氏物語を始めとして、種々の平安時代文学、王朝文学を愛好しております。最近は、源氏物語をもっと深く理解するためには、当時の社会状況を勉強しなければと思い立ち、「小右記」(約50年間に亘って藤原実資が書いた日記)を読み始めました。当時の最高権力者である藤原道長の時代を全てカバーする日記です。藤原実資自身も最後は右大臣まで上った人で、ある意味、道長のライバルなのですが、なかなか世渡りが巧いとうか、道長と決定的に対立はせず、しかし、日記には「道長のあのやり方がけしからん!」とか書いていたりして、なかなか複雑な、興味深そうな人物なのです。また、有職故実には詳しく博識であたようですが、有力貴族の坊ちゃんで、相当女好きで、自邸の近くで、力づくでことに及ぶようなこともたびたびあったようです。この複雑系の人物の人生は、私が属している厳しい職場人生を生き抜く上でもなにか参考になりそうなことがありそうです。 「読み始めました」と言っても、まだ1行しか終わっていません。全部漢文で、しかも訓読点なども全くない白文なので、漢文の教科書などを読みながらの挑戦です。やっぱり無謀ですかね。最初は冒頭の「天元五年 正月大」で躓きました。漢和事典で大の字を調べても判らない。暦の本を2,3冊斜め読みして、これが、陰暦の30日ある月で、小が29日の月であることがやっと判明。次に、西暦何年の何月何日かを調べるのに数週間。結局、「日本暦日原典」(内田正雄)に行き当たり、天元五年の一月一日は、ユリウス暦で982年1月28日であることが判明。藤原実資はこの時26歳。われらが紫式部は、源氏物語事典(岡一男)によれば、天延元年(973年)生まれなので、この時11歳でした。 この調子では、小右記を読み終わるまで自分が生きているか心許なくなってきました。tohoho & yare yare to be continued.....
2月14日の四季風さんの文には誤りが一つありました。紫式部は973年生まれとすると、982年には満9歳でした。(但し、かぞえだったら10歳で、ひょっとして11歳のこともあるかも。)
天元五年の元日、午時(うまどき、といっても競馬の実況中継の時間ではなく、午前十一時から午後1時の二時間)に摂政関白太政大臣の藤原頼忠が内裏に出勤した(秘書官長的な仕事をしていた実資は当然、朝早くから内裏に出勤していたのだろう)。頼忠は、紫宸殿の前の南庭で大夫(五位以上の官人)ともども拜禮をおこなう。
南庭に広さは?とか五位以上の官人は何人ぐらいいたのか等等疑問は尽きないが、先に行けなくなるので、読み進む。to be continued....