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脳トレ教室コミュの18、最後の迎えかた

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テーマ:12、高齢者情報 から
http://ameblo.jp/syogai1/entry-10487932891.html
看護師から大学の研究室に移ったミッチーさんから難しいメールが送られてきた。高齢者は、ご自分で口から物を食べられなくなったとき、 どうしたいのか?
1、そのまま衰弱して最期を迎えたいか、
2、それとも、経管栄養をして、何年も生きる屍でいたいのか
ご意見をお聞かせいただければ幸いです。
とのメール(全文は以下・一部文章を修正) が来ました。意見を書き込んでいただければ幸いです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
みちこさま
ミッチーこと水口由美です。
こんばんわ。
突然ですが、今日はご意見を伺いたいことがあり、メッセージをおくらせていただきました。
私の日記をご覧いただいているかと思いますので
お気づきかとは思いますが、
私は今、高齢者にとって、より良い医療&ケア提供体制を構築するための制度を作るために、研究をしています。
私は、祖父母とともに3世代7人家族で育ちましたので、
高齢者は自宅で療養をし、家族ケアを受けながら
穏やかに死を迎えるものだと思っております。
しかし、
どうも、最近の日本では、そのような考え方を持つ人が少ないように思います。
あちこちの施設や病院に出向き、インタビューをしておりますが、
制度の矛盾もさることながら、
家族の歴史、すなわち、患者(高齢者)と家族の関係の問題も多々あるように思います。
高齢者は家に帰りたいのに、家族が拒否するケースや
高齢者の意志を確認できぬまま経管栄養がなされ、
病院(特に、療養病床)や施設で
生きる屍になっている老人をたくさんみました。
この現象はなぜ起こっていると思うか、
みちこ様&ふたみさまのご意見をお聞かせ願えないでしょうか?
そして、
高齢者は、ご自分で口から物を食べられなくなったとき、
どうしたいのか?
1、そのまま衰弱して最期を迎えたいか、
2、それとも、経管栄養をして、何年も生きる屍でいたいのかな
 ご意見をお聞かせいただければ幸いです。
大変、失礼かとは思いましたが、
現在の制度は、利用者の声、希望が全く反映されていないことが問題で、ぜひ。

1  2007年02月06日 23:18 ミィ〜
このコミュニティを読ませて頂きまして私なりの意見を書きたいと存じます。    私の家系は 主人は二男で代々家を次いで行く過程ではありませんが、
私達夫婦に長男と娘二人を育ててそれぞれ自立をしています。住んで居ります家には私達高齢者二人きりです。
それが一昨年主人が脳出血でとっぜん倒れて明日の命は
保障しないと言われた時は自分でも判断出来ないほど取り乱してしまいました。  
幸い命は取り留めましたが最初は植物人間のごとく酸素を必要として幾つものの管を体につけて生命の維持をしていただいて降りました。
その後人工呼吸器だけは辞退しましたが 気管切開を施し、
胃楼の設営もしました。助けたい死なせたくないの一心で
ドクタ一の言われるまま経管栄養にゆだねました。
それが今、幸いにも気管もとれ自力で酸素を取っていますし
口からも少しづつ食事が取れるようになっています。
この処置をして頂いて現在があります。あの時これを望まず
衰弱させていたらと・・・思うと怖くなります。
たとえ高齢者とは言え出来るだけの事は尽くすべきだと思います。
とは言え、私も介護要員として働いて降りました頃は
経管栄養だけで、手も足も硬直しオムツも旨く出来ない程
足が変形している高齢者が居られました。褥創もひどく
意思表示も出来ぬまま息永らえて居られる人もありました。
でも今私が家族にこうした介護する者が出た時、出来る限りの
最低でもいい尽くして尽くして看たいです。

2  2007年02月06日 23:24 オリヒメ
>高齢者は自宅で療養をし、家族ケアを受けながら
穏やかに死を迎えるものだと思っております。
しかし、
どうも、最近の日本では、そのような考え方を持つ人が少ないように思います。
 自宅で介護したいと思っていました。
 しかし、現実にはそれだけの介護力がありませんでした。
 施設入所を選びました。余裕ができ、笑顔で接することが出来るようになりました。
 介護保険でも「看取り」が加算対象になり、施設でも家族に見守られて最期を迎えられるような方向になっているように感じます。
 晩婚化の影響もあるのかもしれませんが、子育てと親の介護を同時にしなければいけない状態です。
 時間的にも経済的にも制度的にも在宅での介護は難しいです。
>1、そのまま衰弱して最期を迎えたいか、
 
 在宅では難しいと思います。介護放棄と言われるかもしれないと心配になります。
 家族は自分たちとしては精一杯努力をしていても周りからはいろいろと言われるものです。
 家族の入所している施設には看取り期には無理な栄養補給による延命はしないと希望は伝えてありますし、施設側の説明でも同じような考え方の家族も多いと聞きました。そういう意味では1の考え方になるのでしょう。
 ただ、むせ込みなどでわりと早くから胃婁担ってしまう人もいます。経管栄養が良いとか良くないとか考える前に一人一人に合せて、その人なりの最期が迎えるにはどうしたらよいかだと思います。
 
 
3、 2007年02月07日 00:58
藤・霽月 (医師)
皆さん、こんばんは。
> 1、そのまま衰弱して最期を迎えたいか、
 以前、お話をさせていただいたことでもありますが、これは無理です。食べられなくなって、何もしなければ、発熱と幻覚から、苦痛が始まります。このまま苦しんだ顔で死なせれば、介護放棄(虐待)による餓死と死亡診断書を書かざるを得ないのです。以下を参考にしていただければと思います。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=11786234&comm_id=350431
> 2、それとも、経管栄養をして、何年も生きる屍でいたいのか
 こう単純なものではありません。このために、在宅介護・医療に携わっている医療者が苦闘していると言っても過言ではありません。如何に水分を補って、苦痛を和らげるかを考えていると思っていただければと思います。
 そのために、嚥下訓練を行い、透視下でゼリー食の硬さやベッドのギャッジアップの角度の微調整を行って、できるだけ最後まで、これで行く場合もあります。あまり時間的に手がかけられないとなれば、胃へチューブを入れるか、持続皮下注射にするか、点滴にするかの判断をするということを相談します。
 一番、管理が簡単なのは胃へチューブを入れた場合ですので、病院入院では、これが多用されているのだろうとは思います。最近、特に在宅介護・医療で注目されているのは、持続皮下注射です。欧州では病院や施設でも、「衰弱死」に場合、これが使われていると聞いています。
 これも以前にお話したことですが、20人に一人は、ある程度弱ってきたところでのポックリというのもあります。しかし、この半数は急激にやってきた死による苦痛の表情を見せています。風呂の中で浮いていた場合には、解剖に廻さざるを得ないこともあります。
 ついでに、元気な状態からのポックリが良いと言われる方が多いのですが、これで独居だったりすると、2〜3日見かけないが、旅行にでも行っているのだろうと思われて、ウジが湧きます。食い荒らされた顔面からウジを取り出して、水に浸け、長さを測って、死後推定何時間というのを、毎年数人は検屍で行わせていただいています。堪らないです。
 ちょっと弱って、周りから面倒を見ていただくという期間があってこそ、綺麗な死が迎えられるような気がしています。最近は、独居の方の在宅での看取りもさせていただいております。隣近所との関係が良くて、親密な友人も居て、NPOの介護保険サービスを利用すれば可能であることを、最近の講演では、お話させていただいております。
5 2007年02月07日 01:06 藤・霽月 皆さん、ごめんなさい。

4  2007年02月07日 10:37 cr-z_foxy
みなさま、貴重なご意見をありがとうございました。
どのコメントも、とても理解できる内容でした。
私の記載した言葉が、多少キツくて、
誤解を招いた部分があったかもしれません。
私は、今、社会系の研究室にいるため、
医療現場を知らない人たちの中で研究活動をしております。
藤さんのご意見にあるように、
現場の葛藤は、想像を超えるほど大変なものだということも重々理解しております。
だからこそ、現場をよりよいものにしたいという思いで研究をしているということだけはご理解いただければと思います。
ミィさま、オリヒメさまの実際に介護する(した)人のご意見、大変参考になりました。
ミィさまたちはとても真摯に生きている、家族、生きるということについて、とても考えておられる方たちである一方、
医療&介護現場での問題ケースは
見るも悲惨なケースがあまりにも急増しているということです。
そして、それはごく一部の人ではなく、
そのようなケースは氷山の一角に過ぎず
今後、社会を脅かすであろうくらい潜在的に存在しているということです。
PCを使える人、このミクシを利用できる人に限っては、
あまり心配はないのかもしれませんが、
それ以外の人たちは、実は皆さまが想像するよりあまりにも多いという事実を、国民は知る必要があるのかなとも思います。
もしかしたら、誤解を招く表現があるかもしれませんが、
ご意見&コメント、お待ちしております。
ps:今度、こちらの院長先生とお会いするんですよ。
HP見てみてください。
http://www.reference.co.jp/sakurai/

5  2007年02月08日 08:23
ふたみ 藤・霽月さん
貴重な書き込みありがとうございました。
ここまでの論議は終末期を迎えた患者さんに対して、周囲の人が如何にに対処すべきかであります。私が高齢者福祉情報で最も取り上げたいテーマは、終末期を迎える患者さん(私たち)の心の整理であります。
このテーマを提起する意味で藤・霽月先生の「死の受容とは」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=11786234&comm_id=350431
の一部を引用させていただきます。
-----------------------------------------------------
 自己紹介を求められた時、「ボランティア歴二十六年という変わり者の医者です。」から始めることにしています。それに「結婚式も仏式で挙げたほどの仏教徒、真宗門徒です。」と加えることもあります。色々な宗教宗派の、特に国際的なボランティアとの交流が深くなるにつれ、自分の育てられた環境の中にあった信仰を、還って強く意識すると同時に、例え異なったものであっても他の人の信仰も尊重するようになってきました。この経験が在宅死の看取りでも役に立っています。しかし「自立と共生」をテ−マとするボランティアの信念と「共生と自律」の教えの間には合い通ずる部分と折り合いを着けなければならない部分とがあり、悩みもあるということは、また別の機会にお話したいと思います。
 さて、そのようなボランティア同士の交流の中で、前号で触れましたE・キュブラ−・ロスの下、チャプレン(キリスト教的に「死の受容」を導く仕事)を経験されたニノミヤ・ヘンリ−・アキイエ関西学院大学教授と呑む機会がありました。しっかりした信仰のある方と完璧な無神論者は「死の受容」までの道のりが短く、苦しみも少ないが、中途半端な信仰を持つ人や知識人として宗教を哲学する人は苦しまれることも多いということで、意見が一致しました。
 立派な宗教家が、死を目前にして狼狽えるといったことも何度となく経験してきました。やはり「死の受容」を導く力が無ければ信仰とは言えないだろうと思います。自分は神仏から、あるいは自然(宇宙)の中で生かされている、生かされてきたということを再確認し、ソクラテスの時代から言われてきた「求めるものは、ただ生きることではなく、良く生きることである。」ということを死の直前に実践できることが「死の受容」には求められていると思います。


6  2007年02月08日 22:30 yako
初めて投稿いたします。
不適切な表現もあると思います。ご指摘いただきますようお願いします。
食事をとる、おいしいものを食べる、ということは、本当に幸せです。
食べられないことは本当に悲しいです。食べる喜びがないというのはつらいです。
嚥下困難で、チョコレート味やイチゴ味のゼリーしか
(知識不足です、ほかにもいろいろあるでしょう)
食べられない、というのも本当に悲しいと思います。
事前に、本人と家族の希望の確認があれば、経管栄養をしない
ということもあると思います。もちろん第三者の関わり、
医者の判断が必要になると思います。家族が自分を守るためにも。
とはいえ、
本人と家族との関係が良好な状態で、在宅、又は施設でみとる場合、
本人が、チューブで栄養を摂取することを拒んでいたとしても、
家族は命を少しでも保つ方法があるのに、その処置をしない
ということをすぐに選択することはなかなかできないと思います。
他人からみれば、ただ生きている、管だらけであっても、
家族にすればその存在に意味があるものと思います。
本人のためというよりも、家族が死を受け入れる心の準備を
するためかもしれません。
しかし、つきっきりではなくても、家族とのふれあいのある処置は、
本人にも、不幸ではないのではないかと思います。
他人の目からは、不幸に見えても。
身寄りのない人であっても、施設職員の献身的な介護があれば、
同じように不幸ではないように思います。
結局は、経管栄養をするから生きる屍になるのではなく、
その人の存在を見守ったり、大切に思ったりする人が
いないような環境が、生きる屍なのだと思います。
藤さんの書かれたような、発見されるまでに相当の時間がかかってしまう、
孤独死をするということがなくなれば、とも思います。


7  2007年02月08日 23:10 ぱぱんだ 半溶け
皆様の書き込みからしたら稚拙なもので申し訳ないのですが
私の祖母の口癖は
「痛くないように楽なように死なせて欲しい」
です。延命の為の処置はいらないが、痛みを和らげ苦しみが少なくなるなら処置して欲しい
安らかに死にたいとよく言っています

8  2007年02月09日 20:46 ミーコ
最期の迎え方について
高齢者の立場からひとこと
平成9年義父を86歳で看取りました。認知症でしたが最期は肺炎で亡くなりました。
平成13年1月35歳の娘を乳癌で亡くしました。発病してから手術して4年後再発して2年後全身転移で亡くなりました。
義父や娘の死を乗り越えて思うことは、誰にでも死ということは必ず来るという事、特に高齢者は覚書のようなものやエンデイングノートを書いておく事が必要だと思います。
内容は延命治療の事や。最期を迎えるときのこと細やかな対応について、周りの人々が困る事のないようにしておくべきだと
思います。夫70歳私67歳になります。そろそろ準備しょうと
考えています。

9  2007年02月09日 23:56 ふたみ
yakoさん書き込みありがとう。
貴重なご指摘と受け止めました。
「経管栄養をするから生きる屍になるのではなく、
その人の存在を見守ったり、大切に思ったりする人が
いないような環境が、生きる屍なのだと思います」

10  2007年02月10日 00:06
ふたみ ミーコ さん
書き込みありがとうございます。
年齢を開示することは、人とのコミュニケーションを計る上で大切なことだと思っています。
「延命治療の事や。最期を迎えるときのこと細やかな対応について、周りの人々が困る事のないようにしておくべきだと
思います夫70歳私67歳になります。そろそろ準備しょうと
考えています」
 このような心構えと行動を取れる人は素晴らしいと思います。私は67歳妻は63歳です。まだ死の準備は全くしていません。ただ、書籍を含めてガラクタは徐々に整理するようにしています。

11  2007年02月10日 00:08
ふたみ ぱぱんださん
書き込みありがとうございます。
「安らかに死にたいとよく言っています」
自分の死を明確に意識している人は立派だと思います。

12 2007年02月11日 00:35 ンチャ
 日本ホスピス緩和ケア協会のホームページに、ホスピス緩和ケアについて書かれていましたので、紹介いたします。
                    
         *************************************************
 ホスピス緩和ケアの基本方針
 ○痛みやその他の苦痛となる症状を緩和する。
 ○生命を尊重し、死を自然なことと認める。
 ○無理な延命や意図的に死を招くことをしない。
 ○最期まで患者がその人らしく生きてゆけるように支える。
 ○患者が療養しているときから死別した後にいたるまで、家族が様々な困難に対処できるように支える。
 ○病気の早い段階から適用し、積極的な治療に伴って生ずる苦痛にも対処する。
 ○患者と家族のQOLを高めて、病状に良い影響を与える。
★ 日本ホスピス緩和ケア協会
ホスピス緩和ケアの基準
http://www.hpcj.org/
16 2007年02月11日 08:12 ンチャ  マザー・テレサはインドで「死を待つ人の家」を開設しました。その話も一部紹介したいと思います。
                    
         *************************************************
■ 死を待つ人の家
 ある朝のことです。痩せた婦人が道に倒れていました。死んでいると思いましたが、体がピクリと動いたので「生きているわ」と喜び、すぐに病院に運びました。
 ところが、です。「死にそうな貧乏人のためのベッドはありません」と断られてしまったのです。粘って頼みこんだおかげで、なんとか診察をしてもらいましたが、その婦人はその日のうちに亡くなりました。
 「こんなことではいけない。最期の一瞬だけでも人間らしく扱われ、心安らかであって欲しい」と考えたマザー・テレサは、すぐに「死を待つ人の家」を開設します。そして、行き倒れの人や病気で死にかかっている人を見つけると、ここに連れてきて、まず体をきれいにし、それからその人の宗教を聞きました。ヒンズー教徒であれば、聖なるガンジス川の水で唇をぬらしてあげ、イスラム教徒であればコーランを読んであげ、キリスト教徒であれば聖書の言葉を読んであげるためです。
 ここに来た人のほとんどが死んでいきました。しかし、ゴミや汚物にまみれて誰にも顧みられずに道ばた死んでいく死とはまったく違う死がそこにありました。ここに来た人は、自分もまた愛されていることを知って、人間らしい安らぎをもって死んでいったのです。
 
★ マザーテレサ
   死を待つ人の家
http://www2.plala.or.jp/Arakawa/christian14.htm

13  2007年02月12日 09:12 さくら
私の義理のお爺ちゃん92歳。糖尿で脚が悪く車椅子生活です。施設に入居して丸2年。義姉が週2回洗濯モノ届けます:本人は家庭看護を切望していますが;。。。。せめて盆・正月位はと思うのですが::::連れて帰りません。私も出来るだけ女房と2人で、また孫も連れて訪問しますが、その嬉しい顔!耳が遠くて会話に不自由ですが”別れ際の淋しい顔がたまりません・      

14 2007年02月12日 20:27
ふたみ ンチャさん
テーマに関連するURLをいつも貼る付け頂きありがとうございます。一度このURLを一覧に整理したいと考えています。
前記の記述は胸に迫ります。
「ゴミや汚物にまみれて誰にも顧みられずに道ばた死んでいく死とはまったく違う死がそこにありました。ここに来た人は、自分もまた愛されていることを知って、人間らしい安らぎをもって死んでいったのです。」

15  2007年02月12日 23:57 藤・霽月
皆さん、こんばんは。
 どうも、あまり議論が深まらないようなので、3点ばかり追加させていただきます。<19:>は打ち込み間違いがありましたので、こちらに変更させていただきます。
 一点目は先にも述べたことですが、嚥下障害が起こると、病院が管理がし易いということで、安易に経管栄養にしてしまうということから、不幸な事態が起こっているというミッチーさんの主張は、ある面では現状を述べられていると思います。
 しかし、嚥下障害への対応の技術が進歩してきていること、また例え経管栄養となっても、それを支える地域ケアのシステムも充実してきて、必ずしも経管栄養=不幸と短絡的に考えるのは正しくないと思います。残念ながら、まだ一部の地域の話かもしれませんが。
 二点目は「元気な状態からのポックリ」の話ですが、こうしたSNSなどを使って、常に友人と連絡が取れているということが解決の一つの方策ではないかと思っています。もう一つの方策は、ふたみさんの考えられておられるような、高齢者下宿といったもの、あるいは仲間で共同住宅を作るような方策もあろうかと思います。
 三点目ですが、一般向けの講演の結語として、この5年間出しているものを、以下に提示させていただきます。
      <ま と め>
?)苦しまず、より良い死に方をするためには
 1)社会的ハンディキャップに対する偏見をなくすこと。
 2)秒進時歩と言われるほど進歩する医療・医学の知識を
  常に得ようと努力すること。
 3)一般に報道される最先端の医療・医学の情報の中には
  偽情報も含まれるものであると考えること。
 4)何でも相談できる「かかりつけ医」を作ること。難し
  い病気になったら、専門医だけでなく「かかりつけ医」
  にも相談すること。
 5)一見、苦痛を伴なうような医療処置も、より大きな苦
  痛を防ぐために必要となることもあることを理解するこ
  と。
 6)家族とよく話し合い、医療処置に対する事前指定書を
  作って置くこと。
 7)遺産相続問題が末期医療を乱すことがあるので、遺言
  も作って置くこと。特に娘には注意すること。
 8)人の気持ちは変わるものである。考え方を変えたら、
  直ちに事前指定書は書き直すこと。
 9)前向きに生きるということがどういうことなのか、も
  う一度考え直すこと。
 10)できれば、しっかりした信仰を持つこと。無神論なら
  ば無神論でぶれないこと。
?)今後の課題
 1)家族介護は本当に可能か
 2)社会保険が破綻するのではないか
?)解決策(小生の想い)
 ☆市民福祉を生み出すこと。
   市民活動を盛んにして地域介護(コミュニティ・ケア)
  を創造すること。
?)最後にお願い
 1)訪問診察料・看護料は、その日の朝から翌朝までの管
  理料と考えていただくこと。
 2)医療の最終的な責任は医師にあるが、在宅医療の処置
  の中心は訪問看護婦であり、まず訪問看護婦に何でも尋
  ね、要望もそちらに出されること。


16  2007年02月13日 00:04 ふたみ
藤・霽月 さん
まとめの書き込みありがとうございました。
厚くお礼申し上げます。

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