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ねこ大好き♪コミュの猫の癌について

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 我が家の3匹のうちの一番太っている1匹が、ここ2ヶ月くらいで痩せてきました。夏ばてかと思っていたのですが、病院へ行ってエコー検査の結果、胃の広い範囲で腫瘍のようなものがあり、肝臓にもあるそうです。他に転移してる可能性も。

 手術するにしても、胃を大部分を切除することになり16歳という年齢が手術に耐えられるかどうか泣き顔
 術後も回復するかどうかわからないということです。

 このまま、何もしなければ腫瘍の進行具合にもよりますが、1ヶ月〜今年の冬まで生きることは難しいようですふらふら

 どちらにしても、長くないようなのでどうしてあげたらいいのかわかりません。

 高齢なので、苦しまずに最期を迎えてあげれたらいいなと思うのですが・・・・。長生きするほど、色んな病気がでてくるといいますがショックです。

 人間にもホスピスというのがあるように、猫にも安らかに最期を迎えさせてあげたい。

 長い時間を一緒に過ごしているので、とても悲しいです。

 飼い猫の最期を経験された方、どのような形で日々過ごされたのか?何をしてあげれたのか?教えて下さい。お願いします。

 最悪の場合、安楽死という選択もあると言われたのですが、どうしていいのか・・・・。
 

コメント(59)

<ペットロスの心理学>によると、野生動物は、自然との間で契約を結んでいるのです。
自然の環境の中で食べ物を見つけ、寝る場所を確保し、仲間や家族との関係を築きます。
でも、重い病気や重傷を負ったり年老いたりして、自分で獲物を探すことができなくなったとき、自然は契約の半分の責任を果たすのだそうです。
回復力がなければ、その動物は、捕食動物に襲われるか、飢え死にか、病死などの死が訪れます。この死こそ、「残り半分の契約」なのです。

ヒトは、動物を自然から引き離しました。
自然のかわりに、食べ物も寝る場所も社会的繋がりも与えました。

残り半分の契約についても責任を負う必要があるのです。
獣医療の介入や環境で、長生きできるようになりました。
でも、最後のときはやってくるのです。

そのときだけ、「自然のままに」という、そんなヒトの身勝手な願いは、もはや、もう、起こらないのです。

私は、この文章を読んだことで、とても重たい課題を投げかけられながら、今までの疑問が整理されているのを感じました。

ことさら安楽死にだけ、ヒトの奢りや罪の意識を感じ、自分の愛するものを失う辛さを弁護する為に、それを利用してはいけないと思いました。

猫は本当に最期まで生きようとしているのでしょうか。
猫は、具合が悪くなると、自ら食べることも水を飲むことも拒むようになります。
何とか食べさせよう飲ませようと努力し、スポイト等で口に入れるのは、飼い主です。

腎機能、肝機能が悪くなっても、薬を与えるのも飼い主です。

そういった手出しを一切しなければ、猫自身は既に死を選択している子達に看病をして、最期のその時だけ、その責を逃れることはどうなのでしょうか。

飼ったこと、暮らしていること、治療行為、全てに同じだけ、ヒトの奢りがあって、罪の意識を感じるべきなのであって、それぞれの罪の大きさは等しいと思いました。
そして、動物と暮らしたことでの、たくさんの楽しい思い出、たくさんの喜び、無償の愛の恩恵を、素直に感じ、感謝するべきなのではと思いました。

どんな最期を選択なさることも、飼い主様のご意思が尊重されるべきです。

安楽死はしないで、などと意見するべきことと違うと思います。
一年前の今頃、21年生きた雌猫を亡くしました。
母の職場で拾ったので、誕生日は分かりません。
臆病な猫でしたが、子供ながら精一杯の世話をして、私に良く懐きました。
結婚し、実家に猫を頼んでしばらく離れましたが、時々帰省するとちょっと気にしながらも擦り寄ってくれた猫です。
 あるとき、母に「おっぱいにしこりが出来た。」といわれ、どうやら乳癌だと知りました。
過去に避妊手術でげっそり痩せてしまったことがあったので、話し合いの結果、もう長く生きたし、病院には連れて行かないこと、最後まで側で看る事を決めました。
 それから数年たったころ、食欲が落ち、しこりも潰れ始めましたが、母が掻きこわさないように服を作って着せ、世話してくれました。
 夏頃、とうとう何も口にしなくなり、ふらつくようになりました。電話で、下顎呼吸を始めたと聞き、死期が近い事を知りました。私の嫁ぎ先では、主人の祖母が亡くなり初盆で色々忙しかったのですが、義父母共に理解してくれ、主人が車を飛ばして遠い実家まで私を連れて行ってくれました。
 離れた場所に嫁いだ妹にも、出来たら会いに行こう、と連絡しました。妹も少し無理をして、実家に帰ってきました。
 扉を開けると、ひとつひとつ大きく顎を動かして腹で息をする姿があり、目も鼻も乾いています。
 人工涙液を点眼したら、どんどん吸い込んでしまいます。
でも、瞬きできるようになりました。水はむせてしまってもう飲めないので無理には与えませんでした。
 どこへ行きたいのでしょうか。脂肪も筋肉も全て呼吸の為だけに使っているような体で、よろよろと立ち上がり、布団から出てしまいます。
 辛かろうとは思いましたが、膝に乗せ、一枚だけ写真をとりました。よく頑張ってるね、と声を掛けると私の膝で小便を漏らしました。猫を布団へ戻し、掃除しました。
 ふと横を見ると、猫の息は止まっていました。皆で囲んでしばらく過ごしました。
 姉妹とも嫁いで、夫婦二人だった実家に家族全員が揃い、長く暮らした猫を看取れたことは、結婚して猫の世話を頼んだ身としてはとても嬉しく、悲しい中にも皆で送り出せた喜びさえ感じました。
 母の方針で、写真以外の一切の遺品は残さない事にし、火葬も他の動物達と一緒にしてもらい、家には持ち帰りませんでした。
 他のお友達と一緒のほうが寂しくなかろう、というのでした。
 その夜嫁ぎ先にもどり、お盆の支度をしていると、ござは床につくように垂らして飾るように言われました。
 帰ってきたご先祖様がそこから上ってくるのだと教えられました。
 失礼を承知で、うちの猫もここに寄っていくでしょうか、と聞いたら、そりゃ、そうよ。ここから上っていってくれるわよ、と言ってくれ、とても救われた気がしたのを覚えています。
 愛するものを亡くすのはとても辛いですね。
でも、皆でどのようにする事が、愛するものの為に良いのかを検討して、少しずつ今の状況を受け入れていく過程が大切なのだと感じます。
 結果がどのようであれ、飼い主様と、愛猫の間に幸せな、静かな時間が持てて、最後の時を迎えられるのを願います。
えみんごさん、21歳って長生きされましたね。それだけ、別れはつらいものになってしまいますね。今は少しでも、ご飯は食べてくれていますが、だんだんやせ細っていく姿を見るのはとてもツライものなのだなと思っています。ホントに何も出来ませんが、最期までしっかりと見守ってあげたいと思います。ただ、痛みを伴うのならどうにか、なんとか和らげてあげたいのですが・・・。昨夜も、吐いたし、しんどいんだろうなぁと思うと泣けてきます。
今10年生きてる猫と暮らしてます。
皆さんの最期の過ごし方をみてて
涙が出ました。
一生懸命生きた分
最期は儚いですよね。

自分も一緒にあと何年かわかんないけど
生きます。

bubuさん
悔いの残らない選択をしてください。
あなたが悩みぬいて決めた結論なら
結果がどうなろうと
きっと猫ちゃんはあなたを攻めませんよ!
アドバイスではありませんが、うちの猫ちゃんの場合を書きます。

うちも、15年生きた猫ちゃんの最期を看取りました。
癌ではなく、腎臓系だったのですが、
手術や人口透析などせず、猫ちゃんの力で出来る事だけフォローしました。
夏に食欲が落ちたら、アイスクリームみたいな冷たい食べやすいものを食べられるだけあげたり…
最期は、2日ほど家に帰らないで、お世話になった者への挨拶まわりを済ませて来たみたいです。

苦しそうにしている時は、痛みが和らぐよう、一生懸命心をこめて、さすってあげました。

最期はとても苦しそうでしたが、しっかり看取ってあげました。

何がいいか悪いかわかりませんが、うちの猫ちゃんは、これで良かったみたいです。

10年経った今でも、私が辛いときに夢に出てきて、励ましてくれます。

bubuさんも、残りの時間、沢山猫ちゃんと触れ合って、話をして、思いを伝えてあげれるといいですね!
頑張ってください!
bubuさん、とても辛いですね。
私も辛くて、一年間はどうしてもこのことを皆さんにお話する事が出来ませんでした。
特別な事はしませんでしたが、心の中で一周忌を迎えて、少し整理がついてきたところです。
少しですが・・・。

見守る事は一番辛くて、大変で、でも大切な事です。
何も出来ないのではありませんよ。見守ってもらえる事でbubuさんの愛猫は、辛さが少し和らいでいるかもしれません。

大丈夫、辛い気持ちも、愛する気持ちも、少し、逃げ出したくなる気持ちも、あなたの愛情をみんな愛猫は感じてくれることでしょう。
泣いても良いと思います。側にいられるときは、側にいて「大好きだよ。」と語りかけているだけで、不思議と心が通じるのを感じられるかもしれません。
あまり頑張りすぎないで、日々をお過ごしください。
 皆さん、いろいろメッセージありがとうございます。今日は夕ご飯を口にしましたが、時間をかけるわりには量が減りました。また座って食べるのではなく、前足を折った体勢で食べていました。食欲旺盛の猫だったので、ご飯を食べたくても食べれないのがツライ。いつまで、仕事から帰った私を玄関で迎えてくれるのでしょう。毎日、毎日、少しの変化も見逃さず見守っていきます。

うちのこもセイニク腫という悪性の腫瘍がもとで亡くなりました。
これから、お互いにつらいと思いますが、ニャンコも頑張って生きてます。
とにかく後悔しないようにやれることをやり、できる限り話しかけ、撫で、そばに添いとげてください。
アドバイスになってませんね(泣)ごめんなさい…

皆さん、いろいろメッセージをいただきありがとうございます。最初に病院に行ってから1週間が経ちましたが、食欲はだんだんとなくなってきました。歩くのもフラフラとして、横になる時も、ゆっくりと・・・。ほとんど、眠ってますが、確実に弱っていくんですね。苦しまずに、安らかに眠るように最期を迎えてくれたらなと。仕事で昼間は留守なので、せめて、私達が家で見守ってる時であってほしい!皆さん、ちょっとした変化でも病院に連れて行ってあげてくださいね!私達は病院に行くのが遅すぎたと後悔しています。どちらにしても、手術はできなくてももっと早く体調の悪い事に気づいていたらと思います。
今までに何度も大切な子達を見送って来ましたが、こればかりは幾ら経験しても慣れる事では一切無いですね。
時間が経てば、少しずつ心の中で会話出来る様になれますし、出会えた事に心から感謝出来るんですけど(自分の場合は)。昨年見送った子は、腎臓ガンでした。こちらの不注意で血尿を見落とし、結果手遅れとなってしまいました。
いつもお世話になっている獣医師さん達と常に話し合い、この子に取って何が最善策なのかを話し合い、家族全員で自問自答を毎日繰り返しました。こういう時、飼い猫と言葉を交わせられる事が出来たら・・・と毎回本当に思います。で、自分達が出した答えは、癌細胞への直接(積極)的な治療では無く(ウチも高齢でしたから)緩やかに穏やかに旅立てる治療を、と言うモノでした。周りにバカにされながらも?看病の為に仕事を辞め、週3〜5日の通院を続け、とにかく食が取れる様な治療(ステロイド投与)と点滴による栄養補給を続けました。
毎日徹夜に近い看病でしたが、本人の希望が分からないだけに、こちらが出した答えで出来る限りの事をしようと頑張りました。

最期は自宅にて家族全員で見送ってやりました。今はお骨の入った小さなペンダントを首に掛け(葬儀・火葬した霊園に売っていたものです)毎日話し掛けています。
今でも自分達の不手際による治療の遅れに悔やみ泣けて来る事もありますし、また自分達の選んだ治療法が正しかったのかと考える事もままありますが、後者には答えは無いのかなあ・・・と思える様にはなっています。

終末医療は獣医師さんとよく話し合い、ご家族とも話し合ってじっくり考え、結果出した答えが、その子に取って最善策であろうと自分は思います。

何をしても後悔ゼロと言う風には行かないとしたなら、余計そうじゃないかなあと思います。

悲しくて辛くてその上難しい判断ではありますが、飼い主が愛情を注いでいたなら、どんな選択であろうとそれが最善策なのかも知れません。

長文な上、お力になれる様なレスでは無く本当に申し訳ありません。
「あと1ヶ月くらい。」と言われてから、3週間が過ぎようとしています。予想外にまだ、量は少ないながらも少量ずつに分けてご飯を食べてくれますほっとした顔しかし、後ろ足の衰えは目立つようになり、消化管で出血があるために便も黒いです。トイレはお風呂場でするようになり昨日は、嘔吐か下痢かわからないような薄茶色の物が、お風呂場のタイルに広い範囲でありました。確実に病気は進行してます。弱っていく姿を見ていると涙が出てきますが、猫本人は頑張ってるんだなぁ〜と感じます。スプーンでご飯をあげると食べるのです。仕事から戻ると玄関まで出迎えてくれるのです。歩く姿もだんだんとフラフラしてきたのに。ジャンプ力も衰えてきたのに。あと、どれくらいご飯を食べられるのだろう?黒い便でも自分で排泄できるのだろう?さらに、弱ってきたとき一体私達は何をしてあげられるのだろう?あと、どれくらい生きていてくれるのだろう?この3週間は長いようで、あっという間だった。私達にたくさんの幸せと癒しと楽しい時間をくれた16歳のにゃんこさん。その分、今は悲しみが溢れるばかり。命あるもの、必ず別れがあるのだからと言い聞かせています。人間よりはるかに短い時間だけど、その短い時間にとても大きなものを私達に与えてくれるのだなぁ。ありがとう。ありがとう。
辛さを押さえて、状況をお知らせくださって有難うございます。
bubuさんのお気持ちお察しします。
愛するものの健康が少しずつ失われていく時の喪失感というのは大きいですね。
辛い中でも、ありがとう、とお伝えになっているbubuさんの姿勢に頭の下がる思いです。
玄関に出迎えてくれるのですね。重たい身体を動かしてでもbubuさんを迎えに出るのが、とても大事な事なのですね。愛されている事を十二分に感じているのでしょうね。bubuさんと猫ちゃんの間に、強い絆があることを感じます。
側に居て当たり前の存在というのは、なんと有りがたいものなのでしょうか。失いそうになって始めて気づく事の多さに自分でも反省しきりになります。
一緒に過ごせる時間が少しでも長いものになりますように。
家で昔飼ってた猫は10年ぐらい生きてから、脳の病気になりました
外に出た時にどこかで鉛の水を飲んだのではないかと言われました。そして1年も生きられないと・・・
発作は起きて、涎とおしっこ撒き散らして痙攣している姿はとても苦しそうで悲しくて見ていられない状況でした・・・
でも発作の時以外は普通の状態で、ご飯も食べるし元気でした
ある程度は薬で抑えられると言う事で投薬していましたが、発作はやはり起こってしまっていました

しかし、その後なんと3年も生きてくれました!
最後はみんなが寝静まった夜にひっそりと息を引き取りました

なんか体験談を書いただけになってしまいましたが、別れを悲しんだ後に引きずらないで下さいね。
そこ子との思い出を辛い思い出にはして欲しくないので・・・
よくいろんな人に「死に直面して悲しかったからもう飼わない」と言う事を聞きますが、なんで悲しい事ばかり考えるのかな?と思います。
コメントを見ている限りではプラスに受け止めているように感じるので大丈夫だとは思いますが、悲しみに負けないように頑張って下さい!!
はじめまして。
今日始めてこのトピを見ました。
bubuさんの辛いお気持ちよくわかります。
私は7年前に汎白血球減少症という病気で飼い猫を亡くしました。去勢手術のため連れていった動物病院で感染しました。突然激しい嘔吐と血便があり、すぐに病院へ連れて行き点滴治療を開始しました。食欲旺盛なネコちゃんでしたが、食べることも飲むこともできず、吐血・下血の毎日でした。動くこともできなくなり、私の膝の上が大好きだったので私の膝の上でぐったりしていたのですが、汚してはいけないと思うのかフラフラしながらトイレに行っては私の膝の上に戻ってきました。私の側にいたいんだろうと思い、当時学生だった私は出席しなければ単位の取れない実習も休み、ずっと膝の上にいるネコを撫でてました。今でも思いだすと涙が出てきます。発症から1週間で逝ってしまいましたが、ずっと傍にいられて良かったと思ってます。
だからbubuさんも見てるのも辛い状況だとは思いますが、できる限り近くで愛情を注ぎ、そして今までの感謝の気持ちを伝えてあげて下さい。
私の知り合いにやはり飼い猫が癌になり余命1ヶ月と宣告された人がいます。人間の拳大の腫瘍ができてしまい、動くことも食べることもできなくなっていました。しかし、免疫力や抵抗力を上げる薬?を与え、今ではその腫瘍も外見からは分からないほど小さくなり、ゴハンもしっかり食べ元気に走り回っているようです。始めはグッタリしてるネコを抱き抱え注射器で口から与えていたのに、今では元気に走り回るので大変な思いでその薬を与えているそうです。その薬は一般に動物病院で処方されるものではなく、また効果が証明されている訳ではないと思うのでここでは公表できませんが、傷等もすぐに治ってしまいます。
bubuさんの行かれている病院は信頼のおける獣医さんですか?ご存知かもしれませんが、獣医の学校を出ていなくても動物病院はひらけるようです。薬と偽って全く効果の無いものを出すところもあります。私の行った動物病院は衛生管理がきちんとされていなかったので感染してしまいました。職場の同僚はネコが急に痩せほそってしまったので病院へ連れていき癌と言われたのですが、別の病院へ行ったら口内炎のため食べられなくなってるだけでした。漢方薬についてのコメントもありましたが、人間同様、他医へのセカンドオピニオンも考えてみてはいかがでしょうか?またネコによっては病院へ行くことがストレスになり、延命を祈る飼い主の気持ちとは逆効果になることもあります。先に書いた知り合いのネコちゃんはこのタイプだったそうです。
bubuさんちのネコちゃんはいかがですか?ぜひネコちゃんの心の声を聞き、最良の選択をしてください。bubuさんのネコちゃんが少しでも苦しみから開放されることを祈ってます。
bubuさんはじめまして。
私も以前愛猫の生命の危機にこのコミュにトピを立てて、みなさんにたくさんのアドバイスや励ましの言葉を頂いた者です。
うちの場合は様子がおかしい事に気づいた時にはもうほとんど動けなくなっており、それから逝ってしまうまで一週間もありませんでした。
あれから約二ヶ月、愛猫のことを思い出さない日はありませんし、辛くなり涙が出ることもしょっちゅうです。
しかしみなさんに頂いたアドバイスのおかげで、できることはしたし、最期を看取ることもできましたので、後悔はしていません。
bubuさんのおっしゃる通り、悲しいことですがいつか全ての命とお別れする時は来てしまいます。
でも、bubuさんにも後悔だけはしてほしくありません。
気をしっかり持って、がんばってくださいね。
このコミュは本当に優しい、ねこを心から愛している方達ばかりだと思います。
みんな全国からbubuさんのこと、ねこちゃんのこと、応援していますから!
bubuさん、

はじめまして。ただただお気持ち察しますとしか言えないです。うちの猫も色々病気をしてきたので、今は元気ですが、何かあったらと考えるだけで、辛くなります。自分ならどうするだろうと考えてみても、わかりません。動物は本能で生きることを望み、恐らく辛いから死にたいとは思わないでしょう。でも、自分だったら、それを最後まで看取れるか、正直自信がありません。本当に、サニーサニーさんの言うように、bubuさんが後悔しないことだと思います。それだけです。応援しています。心から応援してます。
  皆さん、ありがとうございます!4週間目に入りましたが、不思議なくらいに、少量ですがまだ数回に分けて食べてくれてます。「ご飯!ご飯!」と要求するのです。きっと、胃は腫瘍でいっぱいのはずなのに冷や汗もともと、「食」に対する執着の強い、食いしん坊で、「お手&おかわり」もするにゃんこさんだから生きていられるのかな?撫でてあげると背中も、足も骨にゴツゴツ当たるのが悲しいけど。16年間、私達の生活の中にいて当たり前になっていました。あと、4年くらいは一緒にいれると漠然と思っていたのに、病気であと1ヶ月ほどの命と言われた時はとても悲しかった。今でも、いなくなった後の生活を思うと悲しいし、最期の時もきっとたくさん泣く。皆さんのにゃんこさん達が、元気でそばにいるのは当たり前に思いがちなんですが、時々、ゆっくり向き合ってみたり、一緒に写真を撮ったりしてみてください!けして、飼い主に忠実ではなくマイペースな「猫」ですが私達の生活に、たくさんの癒しを与えてくれてるはずです。私は今になって、ようやく気づいたような気がします。我が家には、あと2匹のお年寄りのにゃんこさんがいてるので、日々、「ありがとう」の気持ちで接するようになりました。きっと、2匹は「あれ?優しいやん!なんで?」と思っていると思う。。。最初は猫が怖くて、「飼おう!」という母たちに反対した私でしたが、今では猫が大好きです♪
 今日はお知らせをさせて下さい。
 9/15(土)獣医さんが言ったとおり、病院に言ってから4週間目の午前6時に静かに息を引き取りました。

 前日まで、少量ですが変わらずご飯を食べ、水分も摂り、筋力が落ちた後ろ足で自力でお風呂場で排泄もしていました。
 私達はまだまだご飯が食べられるのだから、まだもう少し生きられると思っていたので驚きました。

 病気がわかってから、猫達がいるリビングで折りたたみの椅子で、猫達のそばで寝ていました。
 
 午前4時。私は、か細い声で目が覚めました。
 起きると、病気のにゃんこさんが、折りたたみ椅子のちょうど私の頭の下で横になっていました。
 気になって、撫でたり、話し掛けたりしてずっと様子を見ていましたが、全く寝ようとしないから変だと思って寝ている母を起こしました。
 足が尿で濡れているようだったので、蒸しタオルで体を何度も、何度も拭きました。トイレに行った帰りに、途中で力が尽きたのでしょうか。私のそばで、横になっていたのです。

 牛乳をあげてみると、飲みました!母が再び、寝に戻り、私は折りたたみ椅子からにゃんこさんの横たわるフローリングに横になりました。

 にゃんこさんの隣で、添い寝のようになりずっと喉をなでたり背中や頭をなでたり、話し掛けたりしている間、涙が溢れてきます。

 病気がわかってから、このように添い寝をしたのは初めてでした。時間はあっという間に過ぎていったように思います。

 にゃんこさんは、その間、鳴いたり、何度か体の向きを変えたりしていました。
 そして、6時頃。体勢を変えたにゃんこさんの体が小さくビクッとなりました。口を開け、また、何度かビクッとさせます。
 痙攣しているように、大きくはないけど何度か体を固くさせました。

 私は、涙があふれずっと名前を呼んで体をさすっていました。母は頭を撫でています。

 母に、「もう、最期なん?もう、死ぬんかな?喉に何か詰まっただけなんかな?」と溢れる涙の中、言うと母は、「もう、最期やねんで。もう、最期やねん。」と言いました。

 私は信じられません。昨日もご飯を食べていたのに。つい、さっき、牛乳を飲んだのに。
 弱った後ろ足だけど、まだ自分で排泄もできていたのに。今日で4週間が過ぎたけど、明日は病院で脱水予防の点滴をしに行く日なのに。
 今、死んでしまうのが信じられません。
 そして、すぐに動かなくなりました。何度、見ても、何度見てももう、動きません。
 何度、呼んでも。何度、名前を呼んでも、動いてくれません。

 いっぱい、いっぱい泣きました。泣きました。

 そして、その日。丁度、私は会社は休みでした。3連休。

 土曜日。親戚の人が何人も亡くなったにゃんこさんに会いに来てくれました。
 私は小さな花束を2つ買いに行きました。妹の作った、白い布団に寝かせてあげました。食いしん坊なにゃんこさんの近くに、キャットフードやかつお節やおねだりした、シュークリームも。

 その夜は、同じ部屋で母と私とにゃんこさんは寝ました。
 長い時間を一緒に過ごす事ができました。4時からずっと起きているのになかなか、眠れません。

 今日は火葬に行き、お骨を拾い、今。私の部屋にいます。

 色んな人に愛され、皆と最後のお別れすることができ、最後の夜までご飯を食べることもできホントに良かった!

 1ヶ月の自宅療養。私達はにゃんこのために、頑張れただろうか?にゃんこさんは、幸せだっただろうか?

 私が何より感謝していることは、にゃんこさんが寝てる私を4時に起こしてくれたこと!!

 添い寝をして撫でてあげることができ、話し掛けることができ、二人の時間を過ごさせてくれたこと!!

 私のそばで、静かに息を引き取ってくれたこと!!仕事で家を留守にしている私達の一番の気がかりは、留守中に亡くなったりしないだろうかということでした。

 3連休の初日に旅立ってくれたこと!!
 
 色々と気を遣ってくれたのかな。一緒にいれる時間を持てたし、気持ちを落ち着かせてくれる十分な時間があった。

 ありがとうね。ホントにありがとうと言えます。
 姿を見ることができなくて、寂しいけど、いっぱい泣いたけどなぜか、今、満足した充実した気持ちになれるというのは、やはり、最期を一緒にそばにいれたからだと思います!!

 皆さん、告知からパニックで涙、涙の毎日を過ごしていた私にいろいろとメッセージをありがとうございました。

 いつか訪れる別れでしたが、私達家族にとっては後悔することなく迎えることができました。

 皆様のにゃんこさんの健康と楽しい時間を過ごせることをお祈りしています。

 
bubuさん、とうとう、その日を迎えたのですね。
最期の最後まで、なんという家族思いの猫ちゃんだったのでしょうか。
一人にならず、皆さんの側に居る事を選んだ猫ちゃんの気持ちは、bubuさんはじめ、ずっとそばに居てくれたご家族の存在のおかげで、きっと満たされていた事と思います。
お互いに、感謝いっぱいで旅立つ日を迎えられて、良かったですね。良かった、などとは不謹慎でしょうが、でも、一年前に似たような体験をした身としては、そう思わずにはいられません。
しばらくは、身体は無くとも、猫ちゃんの存在感がお部屋の中に溢れている事でしょう。
寂しいけれど、不思議と心休まる事もあるでしょう。
ゆっくり、猫ちゃんが旅立った事に心身ともに馴染んでいかれる事を願っています。
bubuさん、

頑張りましたね。にゃんこさんも頑張りましたね。添い寝してもらって、きっと心強かったと思います。ミルクも飲んで、きっと満足のうちに亡くなったと信じています。

昔、うちの猫が(生後6ヶ月くらいの頃)「明日まで持たないかも」と病院で言われて、その晩わたしも添い寝しました。眠ったら死んでしまうとでも思っていたのか、ちょびはただじっと丸くなって体を硬くしてうずくまってました。うちの子は今7歳で元気です。bubuさんのにゃんこさんもきっと側に居てくれて、安心して命をまっとうできたと思います。本当に、よく頑張ったねと言ってあげたいです。

今頃はきっと天国で背中伸ばしてのびでもしてるでしょうね。

bubuさんもお疲れ様でした。にゃんこさんもお疲れ様でした。

初めまして。
自分の愛猫クマキチと一緒に読ませていただきました。
こちらこそ涙が止まりません。
私も1年半ほど前、4匹子猫が産まれて、1匹はもらわれて我が家で3匹飼ってました。
でも、5ヶ月目で2匹お別れしました。それも3日間の間にです。
まず1匹目ミニーちゃん。私が遊びに行ってる夜の12時頃、お母さんから「ミニーちゃんがおかしい。寝転んで動かんなった。もうダメかもしれん」と、家に1人でいた母は泣きそうになりながら電話をしてきました。私は友達に話をしてすぐに家に帰ってきました。
その時には既にヨダレ・排泄機能はダメになってました。
ずっと名前を呼びました。もうニャーじゃなくてハーでしたが、頑張って返事をしてくれてました。
3匹の中でも1番元気やったミニーちゃん。子猫を亡くすのは初めてで悲しくて仕方なかったです。
そしてその2日後の夜9時、ハナちゃんが食事をまったくしなくなり水も飲まなくなりました。体は冷たくなり、声も出さなくなりました。
私はハナちゃんとリビングに寝転び、ハナちゃんの体が冷えないようにずっと撫でて撫でて、手や足を握りしめ話しかけ続けました。朝9時になったら病院行こうねって言いながら、ハナちゃんは頑張ってくれました。8時半、病院に予約をして、タオルでハナちゃんを抱きしめて車に乗って病院へ出発しました。
すると、この10何時間動かなかったハナちゃんが「病院は嫌だ嫌だ」と大きく動きました。家を出て50mくらいでした。私と母は慌てて家に帰りました。
そしてリビングに入った時、ハナちゃんは動かなくなりました。ちょうど朝の9時でした。

原因は栄養失調。
今まで何度も子猫を飼って育ててきましたが、栄養失調と言われたのは初めてでした。ミニーとハナちゃんにはホントに辛い思いをさせてしまったと後悔ばかりで、自分が情けなくて何も手につきませんでした。



唯一の救いは、
今も私の隣で元気に生きてる
クマキチの存在です。


bubuさん。
自分の前で逝ってくれたことは、幸せな最期なんで、これからもより一層、愛猫家でいてくださいね。
bubuさん
にゃんこさんの御冥福をお祈りします

きっと、病気になってから心細かったのはにゃんこさんも同じです
そのにゃんこさんのそばに居て、ずっと撫でてあげて、きっとにゃんこさんは安らかな気持ちだったと思いますよ
きっとにゃんこさんはbubuさんたちに送ってもらいたかったんだと思いますよ

うちのシロさんも亡くなったのは私の仕事休みの前日でした
知らせを聞いて、翌日家族と一緒に送れました
その事を今でも、感謝しています
bubuさんも、これからもにゃんこさんにいっぱい感謝して、心の中でにゃんこさんに語りかけてくださいね!
bubuさん、はじめまして。

にゃんこさんはbubuさん家族がそばにいてくれたことが嬉しかったことと思います。
にゃんこさん、起こしてくれたんですね。すごい。きっとそばにいてほしかたんでしょうね。その信頼関係を読んでいて嬉しく思いました。

6月に私の家で一緒に暮らしていたタマちゃんが亡くなったのですが、母は最期まで体をさすっていました。私はその場には立ち会えなかったのですが、タマちゃんも母がそばにいて幸せだったように思います。なぜなら私自身が最後の時を迎える日が来たら、自分ことを大切に思ってくれる人が自分のそばにいてくれることを私の幸せと感じるからです。

いろんな思い出があり、涙するときも、微笑むときも、あることでしょう。それがいのちと接して得られるものなんでしょうね。一緒に暮らしていた人だけが得られる大切なことを、この場で分かちあってくれて、bubuさんありがとうございました。

 皆さん、ありがとうございます。私を起こしてくれた、にゃんこさんにとても、とても感謝しています。とても、不思議なことだと感じています!神さまっているのかも?と思ってしまうくらいですあせあせ保険所で命を奪われる犬&猫たちがとてつもなく多い現実や、動物虐待の話を聞くたびに悲しい気持ちになっていましたが、皆さんのメッセージを読んでいて、世の中、とても愛されている猫ちゃんもとても、とても多くいてるのだなぁ〜と嬉しく思いましたわーい(嬉しい顔)我が家のお年寄りにゃんこさん2匹のために、さらに愛情を注いでいきますねハート達(複数ハート)
はじめまして。
今日うちの猫があと長くて半年の命と診断されました。もぅ15年くらい生きているので、かなり年なのですが、腫瘍がかなり進んでいて、耳から出血して、アゴの骨も溶けて、喉も腫れいる状態で抗生物質の注射しました。私は、ほんの少しでも助かる見込みがある限り、放射線治療をやっている大きな病院を紹介してもらい、そこで治療してもらうことにしました。どなたか、ねこちゃんを放射線治療した方はいらっしゃいますか?
なんでもっと早く気付いてやれなかったんだと悔しさでいっぱいです…。
うちも数年前に癌で1匹亡くなりました。心痛お察しいたします。

うちの場合は、最初は手の指に出来て、指ごと手術で切断しました。
でも、その傷が癒えた頃にまた腕に出来てきて・・・。
あとはもう全身にどんどん腫瘍が出来て体がボコボコになっていきました。

でも、その子の親からずっと飼ってたんで
「自然に生まれた子は自然に寿命を迎えさせよう」と決めて
あとは少しでも楽に寿命を迎えられるようにと痛み止めだけ投与して
延命措置の類は一切しませんでした。

私は仕事で立ち会えなかったのですが
立ち会った家族によると、最期の日はず〜っと寝てて
最期の瞬間に「にゃん!」と一声鳴いて、吐血して死んだそうです。

その顔はとても安らかで穏やかなで
死んでいると言われなければ気が付かないくらい“いつもの”寝顔でした。

そして、去年、その子の姉妹も亡くなりました。
こちらは元々体の弱い子で、何度も病気になって余命宣告されたりしてたんですが
なんだかんだで兄弟で一番長生きしていました。不思議なもので・・・。


今は新たに里親として引き取った2匹の猫が家族の一員です。
この子らは前の2匹が元気に生きていたら引き取れなかった猫なので
うちでは、この子達が保健所送りにならないようにするめに
その未来を助けるために後を託して死んでいったんだと信じています。
まずはお疲れ様でした。
これからも猫ちゃんはあなたの傍に居てくれると思いますよ。

自分がそうですから。
はじめましてほっとした顔
 
病気っていうのは本当に怖いですがく〜(落胆した顔)
 
数年前ナル♀という猫が寿命1年でなくなりましたもうやだ〜(悲しい顔) 
うちは代々猫を産み育てを繰り返して20数年間くりかえしてきましたぴかぴか(新しい)
ケド病弱な子ははじめてて生まれたときは小さくてカヮィィなっておもってたんですが他の猫が大きくなるのにナルは成長が遅れてきました。
小さいころは駆け回っていたのに半年もすると内股になり腰がしっかりせずヨチヨチあるきになりました。
次第に歩けなくなりナルはなくなりましたがまん顔
苦しまずになくなったのでよかったのですが思うように歩けなかったのはかゎぃそぅでしたぁ涙
ケドナルのそっくりな生まれ変わりが生まれたのもありまたナルと付けました。今では立派なママですハート
けんさんのコメントみてまた泣いてしまいました。
癌が憎いです。うちの猫はかなり手遅れの状態で、高額の診察料金を覚悟の上、日本に4つしかない放射線治療をやっている病院へ行くのですが現在予約とれず、かかりつけの病院で点滴と消炎剤の注射をやってもらっていますが、飼い主の私としては、どうしても生きてほしい。家族には、自然にそっとしておいた方がいいと言われますが、あと数ヵ月にネコとお別れという現実をどうしても受け入れたくない気持ちでいっぱいなのです。(T_T)
 猫達の病気って延命治療するにも、最期まで見守るにしても私達はとても大きな決断を迫られると実感しました。我が家の猫はガンでしたが、猫の世界も「医療&食生活の充実」とともに高齢化になりいろんな病気が出てきます。他にもいろんな病気があるんでしょうね。20年、生きられる猫って少ないのかな?そして、飼い主が異変に気づくのはとても難しいということも思い知らされました。定期検診に行くと言っても、年に1回の予防接種くらいじゃないですか?それも、逃げるにゃんこを追いかけて必死でゲージに入れて・・・。猫にとっても、ありがた迷惑でストレスもすごいだろうし。結局、我が家の場合は元気にしてるけど太ってる猫がダイエットもしてるけど、少し体重が減った時点で病院に行ったけど、血液検査では異常はなく再び、病院に行ってエコー検査をして初めて腫瘍が見つかったのですから、どうやって猫の健康管理をすればいいのでしょう??毎回、エコーを撮るしかないのかな?じゃ、腫瘍でない病気の場合は何をしたらいいのでしょう?「最近、体調わるいねん・・・ちょっと、しんどいねん。」って言ってくれたらな。。。。ありがたいのに。PS.けんさんの新たな家族となったにゃんこさん達はホントに幸せです。出会わなければ、その命はなかったのですから。我が家のにゃんこさん達もみんな、ノラちゃんでした。
キモイんですが昨夜フシギな事があったので長くなりますが聞いて下さい。
"チーチャン"は拾った時から同じ年の他の猫より小さく、大きくなる程その差は開き、足が短くお腹はポッコリした赤チャン体型のままでした。病院でレントゲンを勧められ撮ってみた所背骨が歪みアバラが狭く呼吸するスペースがかなり狭い、腎臓が普通の猫の1/3しかないので長生きが難しいと宣告されました。それからは激しい運動は避け出来るだけ安静にしていたのですが、夏の暑さの為にバテ始め殆ど食事をとらない日が続きました。亡くなる前日、突然チーチャンから餌を欲しがり、猫缶を1度に半分も食べ沢山水も飲み、元気になったと感じその日の病院は中止しました。翌日、仕事の休憩、家に戻るといつも通り「抱っこして」って寄ってきたので抱っこしてから仕事の準備を始めるとヤタラとソワソワしだし大きな息をし始めたので急いで病院へ。病院に興奮したのか更に息が荒くなり、体を大きく伸ばして痙攣し始め…
それからはチーチャンが居ないショックから精神不安定な状態が続き涙がコントロール出来なくなったりもしました。不安がる家族や友人から新しく猫を飼う事を勧められたりもしましたがとても飼う気にはなれませんでした。そんな時に産まれたてで親猫も居ないノラ猫の"マナ"と出会いました。→続く
→続き
少し運命的な物も感じ飼う決心をしてからはマナの事だけを考える様になりチーチャンを思い出して急に泣いたりする事も無くなりました。そんな幸せな日々の中、昨夜初めてマナがアタシの腕枕で眠りました。今まで一緒に寝ても腕で寝ることは1度もありませんでした。そんな腕の感覚や温もりを感じ、マナが来てから初めて"チーチャン"を思い出し大声で泣きました。(もう1度チーチャンに会いたい、抱きしめたい、一緒に暮らしたい)そんな感情が抑えられなくなりました。泣きつかれて眠り今朝起きた時昨夜の感覚をフシギに思いふとカレンダーを見ると昨日はチーチャンの49日でした。ムリヤリ繋げすぎカモしれませんが私はチーチャンが会いに来てくれたと信じています。カナリ長くなりましたが聞いて頂きありがとうございました。
こてたんさん、今日、我が家のにゃんこさんの四十九日です。やっぱり寂しいですね。でも、悲しんでばかりいると、にゃんこさんも悲しがると思うので楽しかったことを思い出してにゃんこさんを忘れないでいます。こてたんさんの、にゃんこさんは悲しむこてさんを心配して姿を代えて会いに来てくれたのかもしれませんね。新しく家族になるにゃんこさんを大切にしてあげて下さい。そして、毎日を笑って楽しく過ごしていたらにゃんこさんは、安心して天国で見守ってくれていると思います!!

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