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ギターの歴史と名機コミュのゼマイティス アコースティック

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「ゼマイティス〜アコースティックギターの奇跡」


A・C・ZEMAITIS。アントニー・チャールズ・ゼマイティス。
海外と商売上のやり取りで、いやいや翻訳ソフトを使って英語を書いている英語嫌いな私が、空でスペルを書くことの出来る数少ない英国人の名前である。
しかも、同じ英語圏でも米国側にはあり得ない名前。

初めて私がこの名前を知ったのは中学に入学した頃だった。ご多分にもれず、当時の私は女の子にモテたい一心でアコースティックギターを手にしていた。当時は、空前の(?)フォークブームで、どこの家庭にもヤマハやモーリスのフォークギターが置いてあった。
遥か昔にバンドマンだった父や、中学時代の友達の影響で私もすぐにコードをかき鳴らすようになっていった。
こう書くと、読まれた同世代の方々が皆でうなずくところを想像するが、当時「エレキは不良の入り口」で、学校によっては持ち込むことはおろか所有するだけで白い目で見られたものだった。従って、フォークギターは、「正しい青春のあり方」として、無知で不勉強な教育者たちに、かろうじて許容されていたものだった。

ゼマイティス。
30年も昔の記憶である。そのギターとの出逢いの場所がはっきりと思い出せない。薄暗いショウケースの中に、中世の甲冑のような出で立ちをした、なにか(当時の私の常識の範囲ではカテゴライズ不可能な)特異な「ギター」に見えないものが2〜3本下がっていて、鈍い銀色の輝を放っていた。
今思えば、これほど鮮烈なイメージで記憶にくさびを打ちこむ楽器は他に皆無である。
私の記憶の片隅に焼きつき、今でもそのイメージは幼少の記憶の混沌の中で特異な色彩を放ち続けている。

私の楽器コレクションは、それまでの学生時代にお金が自由にならなかった反動からか、給料やボーナスが出るたびにそのほぼ全額を「名だたるビンテージ・エレキ」たちへと替えていった。
音楽を「生業」としていない、気楽な私は、その100本余りあるコレクションのバリエーションの一つとしてゼマイティスを思い出し、購入を決意した。
レスポールフリークだった私が当時、57年のゴールドトップ(PAF)のものとほぼ同額の予算を組んだように記憶している。
しかしこの時、東京中の楽器店にゼマイティスは「実物」が一本も存在しなかった。店員も名前すら知らない始末である。

初めてこの楽器との現実的コンタクトは、●●●氏との出会いや日本のオーナーズ・クラブの存在を知ることからであった。
世界中の誰かが、いつか手放すのを辛抱強く待つことと、その情報をいち早く察知していかに素早く手を打つかが明暗を分けるのである。●●●氏は私の「切なる願い」を重く受け止めてくれた。
もはや、予算がどうしたとか、そういった下世話な次元を超越して、「●●君(私)。とにかく、本物を持てばすべて分かるよ。」という、氏の探し方と配慮だった。

12弦のハート・ホールのアコースティックギターが現実に私の手元に届いた時に、私は「その言葉」のすべてを理解した。
そして、「コレクションのバリエーションの一つにしたい」という私の幼稚な考え方は、音を立ててほんの10秒で崩壊した。
印刷された「カレンダーの風景画」と本物の「ゴッホのひまわり」とを比較していた、実に愚かな自分に気づかされたのである。

なぜ、これは人の心をこんなにも動かすのか?

特異で例えるもののない音と形の「作品」への止めどない興味。気づくと私の世界はそれを中心にまわるようになってしまっていた。

ゼマイティス氏のギターのデザインや構造は、15世紀以降の宮廷楽器のものに起因しているようだ。
故人の作品には、15世紀(ルネッサンス期)、16〜17世紀(バロック期)、更に続く古典派期のルネ・ラコートなどを想起させるデザインや装飾がきわめて多いと感じられる。

現在の音楽シーンに不可欠なギターの元祖であるギブソンやマーチンは、これらの永きにわたる時代ののちにドイツで完成形に達したギターを18世紀以降製品化した物である。
これらの老舗メーカーの製品が「完璧」であったが故に、現代のルシアーの作品のほとんどがこれらを源流にした構造と外観を備えている。彼らの作品群の多くは、その「亜流や派生流」の中でウデを競い合っているのである。悪いことではないがこれは事実であり、どうしても否めない。

ゼマイティス氏の製作に見られる、一部のゴージャスなモデルのヘッドの形状、インレイ装飾の「配置」などには、色濃くルネサンスやバロック、古典派期時代の影響が見られる。
アコースティックに関しては、ボディのトリム、ハート形のサウンドホール、弓形のブリッジ、フィンガーボードの末端の装飾などにも、こうしたルーツがあると考えられる。
英国の「城」に納入する家具を製作していた氏の経歴を考えれば、この古典懐古的な発想もけして不自然ではない。
世間で言われているように「奇抜なデザインをあえて採用している」のではなく、根底にある考え方がすでに、マスプロダクトの大半を占める18〜19世紀以降の大きな源流とまったく異なっているのである。
マーチンやギブソンをベースに奇抜なデザインを付加したのではなく、その起源の段階ですでに枝分かれしていると考える方がむしろ理解しやすい。
ハートのサウンドホールや弓形のブリッジのデザインは「ギター前夜」の宮廷楽器を模していると考えた方が自然であろう。

私の事務所の家具は1900年代初頭の英国製アンティークで統一してある。
これらは英国の古典時代のオリジナルを20世紀初頭にリメイクした物で、現在ではアンティークとして非常に貴重なものとしてとらえられているが、当時は当たり前に英国のどこの中流家庭の家にもころがっていたものである。
それらの「猫足」や「ネジリン棒」(注/装飾様式の俗称)のニス塗りの表面に触れると、ゼマイティス氏の作品と同じ風合いを感じることが出来る。
と言おうか、マホガニーの楽器の表面などはむしろ、ほとんどこれらの家具と「同じ」である。
家具の内側を良く見ると、罫書き線や中心を出す線(いわゆる下書きの線)が見つかる。これらは時代や工房によって入れ方や作風が異なり、ある程度、家具の「出来の良さ」を見極める目安にもなるのだが、実はゼマイティス氏のギターの裏側にもこれと類似するものが見られるので実に興味深い。
ヘッドの裏側のペグの「位置決め」に使われた線などが仕上がった後にも残されている。
非常にまれな例であるが、スロットヘッドに至っては長方形の大きな穴の部分とペグが取り付けられる部分の分割に大きな「印」が残されたまま仕上げられている。塗装面やこうした製作の工程が家具職人のそれと妙に共通しているのである。
ギターのペグヘッドの取り付け部分は、氏にとってはギターの「裏側」だったのかも知れない。
一見、細部にはまったく注意を払わず、雑に見えるこうした手仕事も、一本の「楽器」という全体の中では見事に調和した細工になっている。

アコースティックギターを製作する場合、「デザインで魅せる」ことも重要な「機能」である。
どうしても「機能一点張り」という形態におちいりやすく、ともすると、土台は変えずにピックガードを派手に飾ってみたり、指板にゴージャスなインレイを施してみたりという小手先の手法に装飾が傾きがちである。
音響や力学的な制約が多く、全体のフォルムやかもし出す印象から個性を打ち出すことは、至難の技である。
ゼマイティスのアコースティックギターには圧倒的に大型のものが多い。それもE・クラプトンが過去に所有していた「アイバン・ザ・テリブル」に代表される特異な形状のジャンボ・スタイルである。
外形のシエイプと、ハート型のサウンドホールの位置関係やブリッジの配置など(ブリッジの位置はもちろんピッチの関係で自然に決まるものなのだが)が、実に気持ちよく自然な黄金比を奏でている。
これは、感覚的なもので、そう簡単に真似のできるものではない。まさに氏の「芸術」の領域である。

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