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働き盛りの50代の女、集まれ!コミュの去年の今

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去年の昨日、最愛の猫をなくしました。

なんとなく書いてみました。

今日はさんごの一周忌です。

さんごの最後をちゃんと言わなかったかも知れません。
まず始めに昨年の4月7日に父の死を知らされ、取り急ぎ、高知に帰りました。その時私はさんごに「ちょっとお留守番しててね」と言いませんでした。夫もいるし、留守番には慣れているとどっかで思ったからです。
父の葬儀やいろんな事が、喪主になった私には追い立てられるような毎日でした。さんごのことはこれっぽっちも考えませんでした。さあ、明日大阪に帰ろうという時に夫電話がありました。「さんごがもうダメかもしれない」と。信じられるはずありません。
家をでる時は元気だったんですから。けれども夫の口ぶりでは、も
う間もなく息を引き取りそうな感じでした。電話口でさんごに私の声を聞かせてやって欲しいと頼み、さんごくん!と声をかけると、危篤で意識不明だったさんごが反応して、立ち上がったと聞きました。夫も医師も奇跡だと言ったそうです。それから急いで飛行機に乗りましたが、まだ、心のどこかで、何かの間違いで、食べ物かなんか喉に詰めたりしたんではないかと思いました。本当に危ないんだと感じたのは空港まで夫が私を迎えに来ていたからです。夫は医師に飼い主がくるまで、なんとか生かしてやってくれと頼んでくれたそうです。夫は自宅で全く動かないさんごを不信に思い抱き上げると、もう息もしていなかったという事でした。ナイル(かかりつけの病院)に連れて行
ってくれましたが治療する施設が整ってないとの事で夫が調べて緊
急病院に連れて行ってくれたそうです。
空港から連れられて行った、緊急ERでは、もう今正に死が待ち
受けている状況でしたが、一時間に一度声をかけると必ず返事をしてくれました。私の顔を見ると必ず小さな声で、にゃあ、と言ってくれました。たくさんの死を見ている病院の看護婦さんが、横で泣いてくれました。ずっと一日中ついている家族は私だけのようでしたから、泣いて下さったのは、私がさんごをどんなに大切にしていたかわかってくれたのだと思います。他の末期を迎えかけている動物たちの家族はだれもいませんでした。手の施しようがないので、自宅で待機し
ていたのでしょう。しかし私はさんごから離れる事ができませんでした。身体をさすってやっても、もう冷たく、私は病院で勤めた事があるので、私には分かる独特の死の臭いがしました。何人も病院で見送った人たちと同じ臭いです。
このERで死を迎えるよりも自宅での最後をと、望み、あなたと共に自宅に連れ帰りました。自宅では少しずつ元気が出てきて、瀕死だったさんごは何度も何度も歩きだそうとしました。後から考えると喉が渇いて、いつもおいてある水飲み場まで歩いて飲みたかったのです。ヨロヨロとゆっくりと歩いて行き、水飲み場の前で、自力で水も飲めず、うづくまる、という状態が何度もありました。その度にベットに連れ戻し、またはいながら歩く、の繰り返
しでした。馬鹿な私は水を飲みたいのだという事に気がつかず、歩き出すさんごを見て、希望を持ちました。「もしかしたら生きながらえるかもしれない!」と。それで深夜でも往診してくれる先生をネットで探し、すぐ来て貰いました。
先生は優しい方で、手の尽くしようがないと言いながらも、点滴などをしてくれ、長い事一緒に付き添ってくれました。深夜にも関わらず、本当に長い事いて下さいました。スポイドでお水を飲ませる方法も教えて下さり、何度も何度も少しずつお水を飲ませました。自分の布団を三階から持って来てさんごと共にずっと
一緒にいました。さんごは幸せそうでした。それから丸二日かすかながら息をしていましたが、昨年の今日朝方静かに動かなくなりました。ずっと動けませんでしたが、そのまま息をすることを辞めました。静かに静かに眠るように死にました。糖尿病があったそうです。それは私のせいではないと往診に来てくれた先生が言ってくれました。もともと持って生まれたもので、糖尿病を疑ってしっかり
検査しないと解らなかったという事でした。私はさんごに、実家に帰る前に「お留守番しててね」と言わなかったので、さんごは、私に捨てられた、と思ったのではないかと、自分を責めましたが、往診の先生がその事も、自分を責めてはいけない。この子は寿命以上に生きたんだと言ってくれました。
私は丸二日食べる事も寝る事もできませんでした。夫が心配してく
れておうどんを作ってくれましたが、一本口に入れただけで、後は食べられませんでした。
私はこの世の中で悲しい事実にたくさん直面してきましたが、本当の悲しみを知りませんでした。本当の悲しみをさんごの死で初めて知ったのです。
さんごは私にいろんなものを残して行ってくれました。

父が私の一番大切なものを連れて行ったのです。父を愛さなかった私への罰だと思いました。

コメント(3)

すみません。

何かに吐露したかったのです。
他の人はもっとたくさんの悲しみを抱えているのでしょう。

たかが猫、されど猫でした。

私は心が狭く、他の人のもっと深い悲しみを理解できません。
自分の大切な支えがなくなってしまったことにしか心が及びません。
一年経ってもまだ、他人の不幸に心が及びません。

まだまだひよっこの50代ですね。

60代になっても、こんな弱虫だったら困りますね。



>理由に罰があるなんて、
大切な人を亡くした人たちには
もっと辛すぎます。

なんと暖かい言葉でしょう。

ありがとう、ありがとうございます。
しばちゃんのような大人の方と話せて、このコミュ立ち上げてよかったです。

心から思いました。

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