国際原子力機関(こくさいげんしりょくきかん、英: International Atomic Energy Agency、略称:IAEA)は、国際連合傘下の自治機関であり、原子力の平和利用を促進し、軍事転用されないための保障措置の実施をする国際機関である。2005年度のノーベル平和賞を、当時の事務局長モハメド・エルバラダイとともに受賞した。本部はオーストリアのウィーンにある。またトロントと東京の2ヶ所に地域事務所と、ニューヨークとジュネーヴに連絡室がある。
繰り返すが、ICRPが示している線量限度という考え方の根底には、社会的、経済的に、放射線利用によって誰もが何がしかの利益、便益を受けているのだから、被曝による影響もそれなりに我慢・受容すべきだという論理が貫かれている。便益と費用・リスク負担の関係を、放射線被曝と健康影響にも持ち込んだ、といえるかもしれない。
それは、ICRPの基準作りの基本原則の変遷からも、明瞭に読み取れる。1954年には許容線量は「TO THE LOWEST REVEL AS POSSIBLE=可能な限り低く」設定するとしていたが、56年には「AS LOW AS PRACTICABLE=実現可能な限り低く」に一歩後退した。
65年には「AS LOW AS READILY ACHIEVABLE=現実的に達成できる範囲で低く」と、さらにハードルを下げ、「経済的、社会的考慮」を計算に入れるという文言まで付記した。そして、直近の変更は73年。「AS LOW AS REASONABLY ACHIEVABLE=合理的に達成できる範囲で低く」と、一段と穏やかに、丸くなった。
この先、行きつくところは「AS REASONABLE AS POSSIBLE=可能な限り安上がりに」ではなかろうか。否、実際の規制基準はとっくにその域に到達していて、核施設や原発は経済性を最優先して運営されているのかもしれない。
ささいなリスクを言い立てて、事業者が撤退するしかないほどの厳しい基準を作っても、実質的な意味はない。基準の提示にあたっては、当然、誠実な管理者ならば合理的に達成できる範囲であることも、十分配慮すべきだと思う。
とはいえ、ICRPの哲学の変遷は一方向に一直線、ひたすら「緩める」方向に動いてきたのが、かなり引っかかる。科学的知見が積み重なれば、原理・原則も移ろうのは当然だが、それに伴う「揺れ」や「揺れ戻し」が全くなく、ひたすら一方向というのは、科学とは違うある種の意志が働いているようにも映る。