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東北地方太平洋沖地震支援ネットコミュのいま、かみしめるべき言葉

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想定とは、想定外とは・・・

想定とはシナリオの作成である。非常時にもシナリオ通りにことが運ぶのであれば幸運のはずで、実際にはシナリオが狂うという状況を考えなくてはならない。
個々の防災要素技術が高度に発達していても、それらを組み合わせたシステムが脆弱であれば、シナリオ外れの状況では破綻してしまう。
システムが脆弱なのか粘り強いのか、その判断をどうすればよいのか?どうもシミュレーション計算というものは、すでにわかっていることを複雑に組み合わせたらどうなるか、という計算をやっているに過ぎず、万事が知られている通りに進行することを前提にしているように見える。

シミュレーションはシナリオ外れには弱いのではないだろうか。
シナリオ外れを調べるには物理的な模型の実験、つまり実際の施設を模擬した小型模型を使って災害を再現する実験のほうが適しているのではないだろうか。 想定の 2 倍の災害を起こしてみる、システムの一部を意図的に壊してみる、すると全体がどうなってしまうのか、そんな異常事態の検証には、万事数式通りにことが運ぶと期待しているシミュレーション計算よりモノを使った実験のほうが、現実再現能力に富んでいるのではないだろうか。


東京大学東畑郁生先生論文より

コメント(4)

かみしめるべき現実の一つなのか。

30mの台地をわざわざ削って低くして建設していた原発。

「福島原子力発電所建設記録」1967年。26分(カラー)
http://143.mediaimage.jp/0687/reimei.wmv

3分30秒あたり。
http://mainichi.jp/select/news/20140121k0000m040137000c.html

時を経ても消えぬ伝承の意味  昭和南海地震:「稲むらの火」90年後も村救う

昭和南海地震:「稲むらの火」90年後も村救う
毎日新聞 2014年01月21日 07時30分

 江戸時代末期の安政南海地震(1854年)で、稲わらに火を放って住民を誘導して8メートルの津波から救った和歌山県広村(現広川町)の「稲むらの火」が、1946年12月21日早朝の昭和南海地震の際に「再現されていた」とする複数の証言があることが分かった。終戦翌年の混乱期の発生のため、同町に残る昭和南海地震の体験記は、町誌に座談会の記載がある程度で、その中に「再現」の記述はない。

 「稲むらの火」は、しょうゆ醸造家、浜口梧陵(ごりょう)が稲わらに火を付け、暗がりで逃げ道を見失っていた村人に避難先を気付かせ、標高13メートルの広八幡神社まで導いた史実に基づく物語。戦前から、国語教科書に掲載されていた。

 梧陵はさらに、私財を投じ、被災して仕事を失った村人らを雇い、「広村堤防」(長さ約600メートル、高さ約5メートル、幅約20メートル)を完成させた。この堤防が4〜5メートルの津波が来た昭和南海地震の際に被害を軽減させ、集落の大部分は浸水を免れた。

 広川町の久保田美喜代さん(91)は、昭和南海地震発生時、堤防に囲まれた集落の自宅で寝ていた。強い揺れが収まると、「津波が来るから八幡へ行け」と声をかけられた。久保田さんは、2歳だった長女、西本とよ子さん(69)をおんぶし、外に飛び出した。集落には津波が到達していたが、足がぴしゃぴしゃ浸る程度。荷車を引く人、子どもの名前を叫ぶ親らがいた。

 神社への道の周りは人家もなく、夜明け前で暗かったが、何カ所かで、両側の田んぼの稲わらに火が付けられ、足元を照らし、走りやすくなっていた。久保田さんは「堤防と稲むらの火のおかげで助かった」と振り返る。

 町教委の平井正展(まさのぶ)社会教育班長によると、久保田さんと同じ道をたどって広八幡神社まで避難した男性(故人)も、「田んぼに火が付いていた」と証言していたという。

 広川町では、梧陵の功績を基に、将来に生かそうとさまざまな取り組みを行っている。「津浪(つなみ)祭」もその一つで、毎年11月に開催し、堤防に盛り土をして補修。久保田さんも40代の頃から、堤防の清掃活動などに積極的に参加。最近まで、地元の小中学校で体験談を語ってきた。西本さんも語り部サークルで、梧陵の功績を伝えている。
続き) 

昭和南海地震:「稲むらの火」90年後も村救う
毎日新聞 2014年01月21日 07時30分

 これまで昭和南海地震を教訓とする動きはあまりなかった。平井班長は、昭和南海地震の証言資料が少ないことについて「これまで詳しい調査ができていなかったのだろう」と話し、「体験者は年々減り、記憶もあいまいになっていく。教訓として伝えていくために、もっと体験談を集めていくべきではないか」と話している。

 広川町では現在、沿岸部から高台までの道沿いに音声誘導機能付き避難誘導灯14基が「現代版稲むらの火」として整備され、毎年避難訓練を実施している。【川畑展之】
津波犠牲者率 海が見える地区「低い」 防潮堤議論に一石 
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201406/20140623_13025.html
 東日本大震災では「海の見えない地区」より「海の見える地区」で、居住者に占める津波犠牲者の割合が低かったことが、谷下雅義中央大教授(都市・地域計画)の研究グループの調査で分かった。沿岸被災地で進む防潮堤かさ上げ工事の在り方に一石を投じる調査と言えそうだ。

 宮城県南三陸町と石巻市を対象に、行政区ごとの居住者数と犠牲者数、到達した津波の高さなどを調べ、統計分析を行った。
 南三陸町で津波が到達した行政区の犠牲者率は、海の見える35区が約4%だったのに対し、見えない10区は約16%だった。数値は採取したデータの中央値。データのばらつきを考慮しても全体の傾向は変わらない。
 また「海に面し」かつ「徒歩5分以内に避難できる高台がない」行政区は犠牲者率が低い傾向を確認した。谷下教授は「一見すると津波防災上は不利な条件が、かえって逃げる意識を高め、結果として人命を守った可能性がある」と話す。
 石巻市でも、1次避難場所から海の見える32行政区で犠牲者率が約4%(中央値)だったのに対し、見えない57行政区は約14%(同)だった。一方で、防潮堤の高さと犠牲者率の相関関係は見いだせなかった。
 さらに石巻市では、高齢化率の高い行政区ほど犠牲者率が低くなる傾向が判明した。
 分析結果を踏まえて谷下教授は「防潮堤の建設は、自然、歴史、文化などの地域条件、低地の土地利用や避難システムといった防災の考え方、費用対効果、財政など総合的な観点で議論してほしい」と指摘する。

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