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東日本大震災記録コミュの561,効率優先の耐えられない短期思考 100年で見れば「津波は想定内」

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 東日本大震災では日本の電力供給システムの「もろさ」が思わぬ形で露呈した。福島第1原子力発電所事故の影響から、3月には東京電力管内で計画停電があり、またこの夏にも電力不足が懸念されている。

30億円のロボットを放置

 もともと日本の電力政策は、安定供給の名の下、各電力会社に割り当てた地域を独占させ、発電から送電までのすべてを担わせるという「垂直統合型」の方法をとってきた。なぜ「垂直統合型」と言われるのかといえば、各電力会社が発電から送電までの一連の過程を「垂直」に「統合」して電力を供給するからである。つまり、日本はこれまで、「独占」と「集中」によって電力の安定供給を目指してきたわけだ。

 しかし、今回の大震災ではこの方法が裏目に出た。垂直統合型の電力供給システムでは、「集中」と「統合」によって電力の安定供給を達成しようとするため、どうしても火力発電所や原子力発電所などの大型の集中電源に頼らざるを得ない。そのため災害やテロなどによって大型集中電源が破壊されてしまうと、一気に電力不足に陥ってしまうのである。安定供給という「強さ」のために集中化した電源が、非常時には逆に弱点になってしまうのだ。

 本来なら、集中化されたハブ(拠点)は絶対に破壊されてはならないため、幾重にも安全対策を施す必要がある。あるいは、リスクをゼロにできないことを考えるなら、たとえハブが破壊されても、そのダメージを減らしたり、早期に復旧できるようなバックアップ機能をあらかじめ準備しておかなくてはならない。

 しかし、実際には、今回のような津波による非常用電源の喪失に対しては――その危険が度々、指摘されていたにもかかわらず――何の対策も施されてこなかった。

 また、事故が起こった時のための復旧用遠隔操作ロボットも、30億円という国の予算を使って開発されたものの、電力会社が「活用する場面はほとんどない」と判断して、実用化されなかった。つまり、大型集中電源に頼らざるをえないシステムを作っておきながら、それに対するセキュリティー意識は非常に甘かったのである。

 ただし問題は、こうした非常時対策の不備にとどまらない。なぜなら、その脆弱性は「垂直統合型」の電力供給システムそのものに内在しているからだ。

 平時の「強さ」のために集中化した電源が、非常時には「弱さ」になってしまう、というのは、垂直統合型システムの構造的な問題である。とりわけ、その集中電源を原発に頼る時、安全対策や事故対策のコストは莫大になり、経済性の観点からどうしても非常時対策の必要性は過小評価されがちになる。だから、今回の原発事故を招いた東京電力や政府の見通しの甘さは、決して偶然ではない。この「避けがたい過小評価」によって、垂直統合型の構造的な弱点はより増幅されてしまうのである。

2011年6月1日(水)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20110527/220271/?rt=nocnt

想定の時間軸を長くとる

 こうした弱点を克服するためには、垂直統合型のシステムそのものを変えていかなくてはならない。具体的には、風力や太陽光、バイオマス、小型水力などの小規模電源をスマートグリッド(コンピューターシステムによって制御された次世代送電網)によって双方向的に結びつける「水平分散型」の電力供給システムへと転換していくということだ。この方法だと、多数の小規模電源がグリッド状に結びつけられるため、災害やテロなどの非常事態によって一部分が破壊されても、一気に電力不足になることはなく、システム全体が機能不全に陥ることもない。

 これは非常時に「強い」システムなのである。ちょうどインターネットが、今回の大震災では、他の通信回路が軒並み不通になる中で機能し続けたように。インターネットもまた、グリッド状の分散型ネットワークによって成り立っている。

 これまで、水平分散型の電力供給システムは、平時の安定性という点では大規模集中電源による垂直統合型のシステムより「弱い」とされてきた。例えば、太陽光発電は晴れた日中しか発電できないし、風力発電も風が吹いていないと動かない。

 また、水平分散型のシステムへの移行には電力自由化が不可欠だが、その完全な自由化は基幹インフラの保全に支障を来す危険があるので(例えば、送電網が短期的な投機の対象となってしまう可能性など)、日本のエネルギー安全保障という観点からいくと完全自由化は望ましくはない。この意味で、システムの移行といっても、直ちに完全な移行が実行されるのではなく、現実的には、しばらく両者の併用という形になるだろう。

 重要なポイントは、電力供給システムの「強さ」を再定義することだ。平時における安定性や効率性だけが強さではない。非常時における「耐性」もまた強さに含まれる。今回の大震災とそれにつづく原発事故が私たちに突きつけたことは、まさに非常時も含めて「強さ」を考えなくてはいけない、ということだ。

 「非常時を含めて考える」ということは、時間軸を長くとって、長期的視野で「強さ」を考える、ということでもある。50年、あるいは100年という長期スパンで考えるなら、大地震は日本にとって例外でも想定外でもなくなる。

 そもそも日本列島は、ユーラシアプレート、北米プレート、太平洋プレート、フィリピン海プレートという4つのプレートが衝突することで、地殻が隆起してできた土地である。いわば地震そのものが日本の国土にとっては「存在の条件」となっているのだ。

「強さ」の常識が揺らいでいる

 また、4月14日に米テネシー州で開かれたアメリカ地震学会では、米ニューメキシコ鉱工業大のリック・アスター教授らの研究チームによって、「現在は巨大地震の活動期であり、東日本大震災に連動して隣接地域で巨大地震が再び起きることが強く懸念される」という研究結果が発表された。

 チェルノブイリ原発事故による放射能汚染地域の面積は、日本の国土面積の約4割に達する。日本の国土は地震を所与とし、なおかつ狭いのだ。こうした日本の地理的条件を考えるなら、決して平時を前提として「強さ」を考えることはできないのである。

 今回の震災によって、平時における「強さ」の常識は大きく揺れている。たとえば奥羽本線は、乗客数が少なく、平時においては経済効率の悪い線路だと言われてきた。だが、震災で不通となった東北本線に代わって救援物資を運ぶことができた。もし平時に、経済性が低いから「弱い」と見なされて奥羽本線が廃線になっていたら、救援物資を被災地に届けることは、さらに困難を極めただろう。

 私たちは、短期的な安定性や効率性ばかりを優先して、災害などの事態における耐性を犠牲にしてはならない。とりわけ経済や生活を支えるインフラについては、そうした短期の議論は危険をはらむ。

 コストや経済性についても、これまで「非常時」と考えていたことを、時間軸を長く延ばして「平時」とすれば、結論は違ってくることがある。

 原発で言えば、発電コストは発電の部分だけを見れば安いかもしれない。しかし、核廃棄物の処理や、原発立地自治体への補助金、そして事故があった時の対応や賠償金の支払いなどを含めれば、決して安いとは言えないはずだ。

 一方、太陽光や風力による発電は、徐々に技術が高まってきて、設備コストも下がっている。今後100年を考えれば、どちらが「強い」と言えるか――。

 3・11は、我々日本人にとって決定的な転換点になったと言われる。だが、この本質的な意味は、これまで非常時と捉えていたことをも「平時」としてくくり直す、という思考の転換点に他ならない。その転換を経て初めて、我々は日本経済の再生を果たすことができるだろう。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20110527/220271/?P=3

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