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東日本大震災記録コミュの218.「自粛」で大切なものを失ってないか 興奮の沸点から平穏さへ、感情の落差に潜む落とし穴

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 ある村で「今回の震災で数名の死者が出た。ひとりでも犠牲者が出たら、日ごろの訓練の意味はない」とその村の防災訓練担当の男性が言っていた。

 壊滅状態の中、ほとんどの村民が日ごろの防災意識の高さと訓練で避難した結果、被害者が「少なく済んだ」のではなく、「ひとりでも出たら意味がない」と悔やむ姿に、改めて意識が高いとはどういうことかを教えられる。

 またある老夫人が「地震がきたら津波がくる。自分の命を守れるのは自分ひとりだ」と先代からの日ごろの意識を話していた。

 大規模の災害や困難に見舞われた時、日ごろ足の引っ張り合いに翻弄されている政治家たちが一致団結し見事な采配を振るとか、的確な判断を瞬時に下すとかいうのはもはや幻想だ。

 原発にせよ、「大丈夫です」を連呼してきた企業の混乱の中に無責任さが露呈するのも、想定内だ。

 国も、企業も、皆がオタオタする中、危機意識が高く幸運にも恵まれた少数の人たちが生き延びた。

 震災後の買い占め問題も、意識の高い人たちはとっくの昔から家には水もカップラーメンもガスボンベも常備していたに違いない。

 大きな悲しみから学ぶことは大きい。“最悪の事態を常に意識し、その準備をし、生きよ”ということではないだろうか。

 大丈夫、皆が応援している、というのも力だろう。世界がこの国を応援している、というのもいい。著名人からの希望のメッセージもあったほうがいい。

 だが、人の命を救うのは国でも企業でも応援でもなく、個人の意識の高さと準備であり、まずそれがあってから、後付けでおまけのように救援や応援がくる。
 それくらいに思っていないといけないほど、大きな災害の前には失望が多い。

 では、被災しなかった人々は今どんな現実か。

2011年3月30日(水)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20110328/219185/

 「ええんやろか、こんな時に温泉行って」とか、「こんな時期に御馳走を食べたことをブログに載せてしまった」とか、「エステに行ったことを秘密にしてね」とか、被災しなかった人たちも混乱の渦に巻き込まれている。

 自粛というのはどこまでかを推し量るのは難しい。イベントが自粛され仕事が減った。番組も自粛で減った。インタビュー記事でさえ自粛で消えた。「平常どおりに生活を」と、買い占めを戒めるメッセージを流そうが、仕事や日常生活が自粛で委縮しているのに買いものだけ平常を求めるのも違和感があった。

 悲しみをクローズアップするメディアの情報発信で「大変だ」と感情が高ぶり、徐々に自粛から解き放たれて「やれやれ」と落ち着く経緯に、被災者の現実が忘却されていきはしないか。

 興奮の沸点から平穏さへと、感情の落差の落とし穴はここにある。ヒートアップが自粛を呼び、自粛組はそこから開放されると日常に戻るが、被災者は関係なく過酷なままの日常が続く。

 被害に合っていない地域が自粛して誰が得をするのか。温泉もグルメもエステも行けばいい。その利益から企業は寄付をすればいい。過剰な自粛が何を生みだすのか私にはわからない。

 「日本人は今、皆が喪に服すべき」と知人の喜劇俳優が言った。

 しかし、と続けた。

 「それは、うなだれて何もせず仕事も楽しいこともせず、ということではない。日常の中からできることがあるはず」と、喜劇興業の収益をワンステージそのまま寄付した。

 喪に服しながら、皆を笑わせたのだ。

 “意識”は感情に振り回されず抱き続けるものだ。人は感情の生き物だからそれから開放されるのは難しい。だが、意識を持ち続けられた人が今回の被災から自身を救えたことを鑑みれば、「今もなお苦難を生きる人がいる」という意識と「我もまた危機を常に意識する」ということはつなげて抱き続ける価値がある。

 危機は災害だけではない。今私たちがすべきことは水の買い占めではなく、遊興を辞めることでもなく、冷静に自らの危機を想定し、淡々と支援し続けることではないか。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20110328/219185/?P=2

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