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吉備邪馬台国コミュのはじめまして

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古代史歴は昭和48年からだから38年。書棚は本で埋まっている。専門?は雄略天皇時代の吉備の歴史なのだが、「なんで造山古墳が岡山にあるの」という素朴な疑問がスタート。

大学時代に、経済学部ながら、1年ではシルクロードと中国の勢力地図作りに没頭。2年では吉備の古墳の平面図や分布図作りと現地踏査。3−4年では古墳のように各都市にあった、マヤのピラミッドに興味を持って2度訪問。文学部の考古学の単位も取得。

卒業後も延々と様々な文献を読み、平成4年から2年間、広島の財界誌ビジネスセミナーで吉備古代史小説「勾玉の首飾り」を連載。この当時は造山古墳を大王墓との確信はなかったし、邪馬台国東遷説を取ったが、その後楯築遺跡の発掘とその研究の進展をもとに、邪馬台国吉備説に確信を持った。

写真は、楯築遺跡の神社のご神体、発見された造山古墳の周濠、鯉食神社弥生墳丘墓

コメント(3)

はじめまして・・・じゃないですね。

もともと僕は邪馬台国九州説でした。一番説得力があったのは古代史や考古学のの専門家ではなくミステリー作家の高木彬光の「邪馬台国の秘密」でした。あと
若い頃読んだ松本清張の諸作も影響を受けました。
 ところが昨年、岡山県に帰郷して古墳を中心として史跡巡りをするようになって岡山県―古代吉備王国がとんでもない地域であることに仰天しました。建造当時日本一の規模を持っていた造山古墳、盾築、鯉喰神社、矢藤治、宮山、黒宮など前方後円墳とも称される弥生墳丘墓の存在、そしてそこから出土されたこれまた円筒埴輪の起源と思われる吉備式特殊器台、記紀における吉備出身の妃たちと吉備の反乱の記事、にもかかわらず吉備は全く古代史において注目されることはありません。それはあまりにも意図的なにおいさえします。正直僕の中では邪馬台国吉備説の可能性は60%ぐらいです。残り39%が九州(北九州、宇佐辺り)、畿内説は1%ぐらいの可能性です。

 専門的な話はできませんが参加させてください。よろしくお願いします。
ということで、新しい会ができました。また「吉備邪馬台国」というコミュニティーを作りました。是非ご参加くだい。
楽しかったです お花見会♪♪
また史跡にてお弁当持って語るのもいい企画だと思いますハート

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