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湯浅直樹コミュのワールドカップ3位!

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ついにやりました!
マドンナ・ディ・カムピリオのワールドカップで自身最高、そして初の表彰台となる3位!
日本製スキーが日本人選手の力で表彰台も初!
後は優勝と第一シード、そして来年のオリンピックでメダル!

コメント(6)

 ▼湯浅直樹の話 この結果は奇跡ではなく、積み重ねの一つ。できると思ってここに来ているので、結果については驚いていない。でも、まさか1回目のあの順位(26位)からここまで上げられるとは思っていなかった。(共同)
日本人男子でワールドカップの表彰台に立った人は昨日まで三人でした。

岡部哲也さん

木村公宣さん

佐々木明選手

この大先輩方に加えて本日より

湯淺直樹

の名前が加わる事になりました。

少し遅くなってしまったけど、お待たせしました。

これから私は日本のエースとして、日本人アルペンレーサーの最大の目標である『世界一』に向けて進んで行きます。

私自身エースとして申し訳ありませんが情けない位、至らない人間です。

なのでこれからも皆様から与えてもらった力をそれを前へ進む力に変えて世界一へと上り詰めたいと思います。

どうかこれからも私に力を分けてください。

皆で力を合わせれば間違いなく頂上まで行きます。

私は絶対に頂上から目を離しません。


1番高い所まで行きましょう。

(ブログより)
おめでとうございます。
更なる活躍を楽しみにしてます
元月刊スキーコンプ編集長 土谷守生さん

18日、マドンナディカンピリオ(ITA)で開催されたワールドカップ、男子スラローム第3戦で、湯淺直樹選手(スポーツアルペンスキークラブ)は1本目、ラップのマルセル・ヒルヒャー(AUT)に2秒06差の26位という10位以内も難しい大差をつけられていた。しかし、2本目、湯淺選手はスタートから果敢に攻め、とくに中盤から後半にかけては1度もフォールラインを外すことなく切れるスキーを展開、男子スラローム4人目、自身初の3位に入賞した。

この湯淺選手の表彰台には、日本のスキー(Hart)が獲得した初の表彰台というおまけがついた。

アルペンのワールドカップがスタートしたのは1966/1976シーズンから。日本はその翌1967/68シーズンからワールドカップ挑戦を開始した。実に46年に及ぶチャレンジの軌跡があり、その長い歴史の中で表彰台に立ったのは岡部哲也(SL=2位/3位)、川端絵美(DH=3位)、木村公宣(SL=3位)、佐々木明(SL=2位×3)、そして今回の湯淺選手と5選手、8回しか記録されていない。それだけ上位進出するのが難しい競技なのである。

1967/68シーズン、最初のワールドカップ遠征のメンバーに選ばれたのが星野富雄と柏木正義の2人で、当時、スラロ−ムで9秒、10秒差は当たり前というほどレベル差があり、とても上位入賞など考えられる状況ではなかった。

そのとてつもない差の中で戦ってきたジャパンチームが最初に「日本選手でもやれる」という記録が飛び出したのは1976年のキッツビューエル(AUT)。市村政美(現在登龍門主宰)がはじめて中間ラップを叩き出し、会場内に「ヤーパン」のアナウンスが流れて大観衆をどよめかせた。この時市村はトータル7位というこれまで最高のランクを記録した。それから2シーズン後の1978年、海和俊宏(現在スキー学校・ホテルなどを経営)が5位に引き上げ、1980年レークプラシッドオリンピックが開催される直前、当時の西ドイツ、レングリースで開催された大会で、児玉修(現在小賀坂スキー勤務)がラップに1秒を切る(0秒96、順位は6位)快挙を達成、このあたりから「ひょっとして表彰台があるかも知れない」という希望がチーム全体を覆うようになった。

1987年、スラロームの最終戦は当時のヨーゴスラビア、サラエボで行われたが、FISファーイーストジャパンシリーズで総合優勝した選手に与えられる最終戦への出場権を得た岡部哲也(現在ネーヴェ主宰)が2本目に日本選手初のラップタイムを叩き出し、4位入賞、ラップとの差0秒48差、そしてラップタイムとすべてこれまでの日本選手の記録を塗り変えた。

ここから男子スラローム陣は岡部哲也、木村公宣、佐々木明と繋がり、2006年から途切れていた表彰台を7シーズンぶりに湯淺選手が達成した。

今大会の会場となったイタリアのマドンナディカンピリオは、これまで10位以内に入ったのはたった1回しかない。1984年、児玉修が10位に入賞しただけで、日本選手が得意とするバーンではなかった。湯淺選手も過去4回の10位以内の記録のうち3回はシュラドミング(AUT)で挙げたもので、マドンナをはじめイタリアでの上位入賞はなかった。

ビブナンバー21番を曳いた湯淺選手は、シーズン前に腰を痛めて万全の状態ではなかった。「滑っているときは痛みを感じていない」というが、カリンカリンの凍ったバーンで影響がないわけはない。1本目、大きな失敗はないもののラップタイムを奪ったマルセル・ヒルヒャー(AUT)に2秒06(26位)もの差をつけられては、上位入賞は極めて厳しい。それは本人が1番感じている。その湯淺選手は、持ち前のポジティブ思考で「2本目は5番目にスタートできる。一発狙って攻めよう」とスタートから、まるで開き直ったかのように失敗を恐れずポールのインを突いた。前半はさほど速さは感じなかったが、中間からは見違えるようにスキーにシャープさが増し、加えて安定感も増して「失敗」の不安もなく、速さを保ったままフィニッシュ。フィニッシュ後、腰の痛みに耐えかねて倒れ込んだ湯淺選手は数分、起きあがることはできなかった。

まさに渾身の一発だった。リーディングボードに立つ湯淺選手は、残り5人を切っても立ち続けた。この時点で表彰台は見えた。さすがに1本目、湯淺選手に2秒以上の差をつけたヒルヒャーとセカンドラップのフェリックス・ノイロイター(GER)に勝つことはできなかったが、2本目はノイロイターも湯淺選手を上回ることはできなかった。

2006年、トリノオリンピック7位入賞、2011年世界選手権大会6位入賞、そして昨シーズンのワールドカップでは5位2回とステップバイステップで確実に「世界」へ迫る湯淺選手。もうそこには、「Did not Finish 1st run」のイメージはない。
うお〜!!
ぴかぴか(新しい)表彰台!おめでとうございます!
リーディングボードに立ち続け…ってイスに座ってましたねたらーっ(汗)腰の痛いの治れ治れ〜!
湯浅さん、素晴らしい成績( ̄^ ̄)ゞ
おめでとうございます。

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