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Hiroppy牧師を応援します!コミュのパリサイ派にならないために(2)

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「羊群」2月号より
「パリサイ派にならないために(2)/2月の言葉・羊群編集長」
主イエスの地上生活のころのパリサイ派は、聖書を誤りのない神の言葉と信じておりました。それに対して、サドカイ派は、超自然的なことを受け入れませんでした。今日に当てはめてみると、サドカイ派はリベラルなクリスチャンに相当し、パリサイ派は、聖書信仰のクリスチャンに相当すると言ってよいのではないかと思います。そして、うっかりすると、今日の聖書信仰のクリスチャンは、主イエスの地上生活時代のパリサイ派の人たちと同じようなことをし始めているのではないかという気がしてなりません。

その第一は、自分の聖書解釈を絶対視して、それと少しでも違った考え方を持つ人を裁くことです。それが、聖書の重要な教えでないことについてそうするのです。そして、聖書がはっきり教えていることについては、それを無視します。

たとえば、聖書ははっきりとクリスチャン同士がこの世の裁判に訴えてはいけないと教えているにもかかわらず、平気でこの世の裁判所に訴えているのです。聖書はこう教えています。「クリスチャン同士がお互いにノンクリスチャンの裁判官の前に訴え出るか。そもそも互いに訴え合うこと自体、すでに敗北である。なぜ、むしろ不正を甘んじて受けないのか。なぜ、むしろだまされていないのか」(Ⅰコリント6章6-7節)。そのことを指摘すると、相手はもうクリスチャンではないと、苦しい言い訳をして、自己正当化をしようとします。主イエスが地上生活を送っておられたころのパリサイ派と一体どこが違うと言うことができるのでしょうか。聖書信仰者は、自分がパリサイ派にならないように気をつける必要があるでしょう。
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なるほどぉ、、、心の片隅にいつも置いておきたい教訓。

「その第一は、自分の聖書解釈を絶対視して、それと少しでも違った考え方を持つ人を裁くことです。それが、聖書の重要な教えでないことについてそうするのです。そして、聖書がはっきり教えていることについては、それを無視します。」

Hiroppyは2つの学校で聖書に関する勉強をしました。
様々な立場の献身者たちと同じ目的のために机を並べて勉強するなかで、私の中の考え方が変わったことを思い起こします。

今までは、
何が一番正しい信仰なのかを聖書に求めてきた。。。

でも今では、
聖書がどこまで私たちの信仰を許容するかを知りたい。。。

と思うのです。

というのは、聖書の教えにははっきり書かれている事柄もあれば、はっきり書かれていない事柄もあり、つまり信仰の立場には幅があるということが分かったからです。また、自分で幅を狭めすぎると、自分の人生においてJesusの恵みを受け取る両手の幅を狭めることにもなると思ったのです。

でも、許容の幅が広くなればなるほど、他の人の信仰はさておき、自分の信仰の立場を見つめ直す必要が出てきたことを感じていました。

続く。。。

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