ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

国際派日本人養成講座コミュのJOG-Mag No.764 競争社会とムラ社会

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
■■ Japan On the Globe(764) ■■ 国際派日本人養成講座 ■■

Common Sence: 競争社会とムラ社会

 福祉、家族、教育など競争社会では解決できない問題には、善きムラ社会の感覚が必要。

■転送歓迎■ H24.09.09 ■ 40,373 Copies ■ 3,584,970Views■
無料購読申込・取消: http://blog.jog-net.jp/


--------------- 創刊15周年のご報告と御礼 ---------------
 弊誌は平成9(1997)年9月6日に創刊号を発信し、本号で無事、
15周年を迎えることができました。これもひとえに、購読者の
皆様のご指導ご鞭撻によるものと感謝申し上げます。
 今後ともよろしくお願い申し上げます。(伊勢雅臣)
------------------------------------------------------------


■1.「政治の貧困」

花子: 大阪市長の橋下徹さんが率いる「大阪維新の会」が台風の目になっているわね。次期衆院選の比例代表の投票先に「大阪維新の会」を選んだ人が23.8%で、自民党と民主党を抜いてトップに躍り出たそうよ。[1]

 民主党は迷走続きだし、自民党もパッとしないので、私も期待してるの。

太郎: 橋下さんは何かやってくれそうな感じがあるからね。でも、最近読んだ本で、橋下ブームに関して、鋭い突っ込みをしていた。新進気鋭の政治哲学者・岩田温(あつし)さんの新著『政治とは何か』という本で、こんな一節があった。

__________
 橋下の「大阪都構想」とて、さほどに「革命」的なものではない。これは大阪における府と市の二重行政を解消することを目指したものであって、究極的には経済的な効率の向上を目指したものだ。・・・

 余りに膨れあがった債務、怠惰な公務員、時代遅れなシステム。こうした矛盾の突破口として「都構想」が為されたのであろう。私はこの都構想に反対するものではない。大いに改革を進めればよいだろう。

 だが、本当に問題にしたいのは、非凡な手腕を持つ政治家の凡庸な構想だ。いや、もう少し正確に言ったほうがいいだろう。こうした凡庸な構想を「革命」と称してしまうほどの政治の貧困こそが日本の問題なのだ。[2,p15]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■2.ムラ社会と競争社会

花子: 橋下氏については、この間、JOG(国際派日本人養成講座)でも取り上げてたわね。「橋下徹 〜 閉塞政治の突破力」というタイトルで、閉塞した情況を改革しようとする橋下さんの「突破力」に期待する、というような内容だったけど。[a]

太郎: その改革は良いとしても、行政の効率化を目指す程度のことが、「革命」だの「維新」だのと大げさに触れ回ること自体が政治の貧困で、それこそが日本の問題だ、という事のようだね。橋下さんの「改革」については、こう評している。

__________
 橋下の掲げる究極的な目的は大阪における経済的効率の向上だ。二重行政の解消、公務員の削減、地下鉄、バスの民営化等々、具体的な政策は全て経済効率の観点から語られている。いわゆる新自由主義の範疇(はんちゅう)に収まる改革ばかりである。

 新自由主義の基本原則は市場原理の重視だ。競争がないシステムは腐敗する。システムの腐敗を防止するためには競争が必要だ。競争は腐敗を防ぐだけでなく、効率の向上にも繋がる。従って、あらゆる分野において競争原理を導入することを目指すのが新自由主義的思考だ。[1,p16]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

花子: 大阪は長らくムラ社会的に福祉や箱もの行政を続けてきて、財政が立ちゆかなくなったんで、橋下さんはそれを改革しようとしている。そして、これは日本全体の縮図の問題だから、果敢に挑戦している橋下さんへの期待が集まっているのではないかしら。

太郎: そうだろうね。停滞して行き詰まったムラ社会を競争社会に変える、という政策レベルの手段は良いとしても、岩田さんが問題提起しているのは「国民が善く生きるためには、日本の社会や国家はどうあるべきか」という、政治の本質的な問題が議論されていない、ということじゃないかな。


■3.競争社会に欠ける問題意識

花子:「国民が善く生きるためには、日本の社会や国家はどうあるべきか」なんて大上段に構えられても、何をどう考えたら良いのか、分からないわ。

太郎: 岩田さんの本では、こんな事例が出てくる。

平成18(2006)年2月1日、京都市内の河川敷で54歳の男性が86歳の母親を殺害し、その後、自殺を試みたんだけど、意識を失って倒れたところを通行人に発見され、一命をとりとめた。

その男性は47歳の時にリストラに遭い、失職してしまった。なんとか派遣会社に就職先を見つけたけど、母親の認知症が悪化して、介護のために仕事を辞めた。生活保護を申請したが認められず、追い込まれた末に選んだのが、母親との心中だった。この話を聞いて、どう思う?

花子: 気の毒な話ね。こんな豊かな国なのに、なんとかしてあげられなかったのかしら、って、思うけど。

太郎: それが善い意味でのムラ社会の感覚だろうね。この母親や男性を同じ国民として同胞感をもって思いやるからこそ、僕らは心を痛める。

ところが、競争社会では、「働かざる者、食うべからず」とか、「働かずに生活保護を受ける人が増えれば経済を圧迫する」と考える。競争社会では、敗者や弱者をどう救済するか、という問題意識が出てこない。

花子: JOGでは、橋下さんが府財政の再建を目指しながらも、障害者、治安、緊急医療の3分野は「どれほど財政状況が悪化しても、堅持しなければならない」と言った点を紹介しているけど、橋下さんも競争社会一点ばりじゃなくて、善きムラ社会の感覚もある場合は必要だと考えたということね。


■4.共産主義とムラ社会

太郎: このムラ社会が行きすぎると、役人の天国みたいになって、財政が破綻してしまう。JOGでも紹介されていたけど、青少年会館の運営を民間に委託したのは良いけれど、民間企業の人件費一人約300万円に対して、1千万円もの職員を天下りさせていた事例があった。

花子: それなんかは、悪い意味のムラ社会ね。大阪はいままで労働組合や日教組の力が強くて、その力で自分たちを代弁してくれる議員や市長・府知事を当選させ、それによってまた自分たちの処遇も安定させてきたようね。

そういう悪い意味でのムラ社会を打破するには、やはり競争社会を持ち込んで、風穴を開けるという、橋下さんのアプローチしかないんじゃないかしら。

太郎: 考えてみれば、そういう悪い意味のムラ社会というのは、共産主義から来ているようだね。各自の働きに関係なく、平等に分かち合う、というのは、極端なムラ社会の発想だからね。

共産主義は20世紀に多くの人を魅了して、ソ連、中国はじめ多くの国で共産革命を起こした。その理由を岩田さんはこう語っている。

__________
 人々は何故に共産主義に魅せられたのだろうか。

 幾多の理由が語られているが、その重要な一つの理由が共産主義の持つ倫理性であった。幾多の知識人、政治活動家を惹きつけて止まなかった共産主義の魅力とは、腐敗した金満家(ブルジョワジー)の倫理的不道徳を糺し、貧しき人々を救済したいという倫理的な願望であった。[2,p20]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

花子: さっきの母親と心中しようとした男性に心を痛めたのと同じ同胞愛が、多くの人を共産主義に走らせたというわけね。

太郎: でも、共産革命の結果、一説では1億人とも言われる犠牲者が出たのは、岩田さんの言う「逆説的悲劇」だけど、このあたりが不完全な人間による社会の難しい所だね。


■5.共産主義の自壊と新自由主義の台頭

花子: 共産主義はイデオロギーとしては破産したけど、悪しきムラ社会の発想は、まだいろいろな所に残っているわね。橋下さんが挑戦した大阪府の問題なんかは、その例ね。

太郎: 小さなムラならお互いに働きぶりが見えるから、自分だけ怠けていることなんかできないけど、大きな自治体とか国レベルになると、皆がムラに寄りかかって、結局、財政が破綻してしまう。

花子: ソ連が崩壊して自由化され、また中国が市場主義という競争社会を取り入れたのも、そのためね。

太郎: そう。国レベルでムラ社会を実現する事が無理だと分かって、そこに競争社会を導入しようとした。サッチャーが社会主義的政策で衰退していた英国に自由競争を導入し、活性化させた新自由主義も、同じ構図だね。

花子: そういう意味では、橋下さんのやろうとしている事も、悪しきムラ社会に、競争社会を取り入れて改革しようというのだから、サッチャーと同じ新自由主義路線というわけね。


■6.競争社会だけでは片付かない問題

太郎: 共産主義に対して、サッチャーやレーガンの新自由主義が勝利を収めたので、保守派の人たちも、競争社会を目指す新自由主義こそ保守主義だと思っているけど、岩田さんは保守主義と新自由主義とは本来、違うと言っている。

花子: どこが違うというのかしら。

太郎: 新自由主義は競争社会一点張りだけど、保守主義は善い意味でのムラ社会を志向している、という事じゃないかな。

 たとえば、派遣社員の制度は競争社会にとっては効率的だけど、ムラ社会にとっては、だいぶ問題がある。僕の会社でも、派遣社員と正社員という身分の区別が、今までの日本企業の強味だった企業内の一体感、同胞感をぶち壊しているという感じがする。

リーマンショックの時は、正社員はクビにならなかったけど、派遣社員は契約を切られていった。そんな情況で、派遣社員の人に「会社のために一緒に頑張って欲しい」とは、とても言えない。

花子: 確かに、さきほどの母親と心中しようとした男性の例でも、競争社会だけでは、どうしようもないわね。共同体として、どう弱者を護っていくのか、という視点は、競争社会からは出てこないようね。

太郎: それに家族や教育、福祉をどうするのか、外交や防衛をどうするのか、文化伝統をどうするのか、など、競争社会の考え方だけでは、どうしようもない問題がたくさんあるよね。こういう様々な問題をどう考えるのかが、政治の本質的な課題で、保守主義者までが、単に競争原理を導入すればいい、と浅薄に考えている所に、岩田さんの言う「政治の貧困」があるのじゃないかな。


■7.全体主義と共同体主義

花子: 競争社会の原理で「働かざる者食うべからず」では片付かない問題があるので、格差社会を訴えたりする声が根強いのね。

太郎: そう、共産主義は破産したけど、「貧しき人々を救済したいという倫理的な願望」は満たされずに残っている。

でも、僕は思うんだ。共産主義が目指したムラ社会というのは、結局インチキだったんじゃないかって。本当のムラ社会というのは、まず家族愛があり、それが郷土愛、祖国愛と広がって、人類愛にまでたどり着くのが、自然な人情だと思う。

共産主義では、家庭、郷土、民族や国家までも無視して、一足飛びにグローバルな全体主義社会を作る事を目指していた。だから、その目指すところはムラ社会というより、全体社会とでも言うべきものだ。

花子: そう言えば、今でも夫婦別姓やら、専業主婦の配偶者控除反対だとか、子供は社会で育てるという理念の子供手当やらで、家族を敵視している人たちがいるわね。同時に、この人たちは国旗国歌まで反対して、国家も敵視している。

太郎: 保守主義とは、自国の歴史伝統の中で、時の荒波を乗り越えて継承されてきた知恵や価値観を基軸として、国のあり方を考えていこうという態度だから、伝統的な家族−郷土−国家という階層的な共同体のあり方を大切にする。[b]

 これが本当の共同体主義だと思う。だから、家族や郷土、国家を無視した一足飛びの全体主義とは相容れないんだ。


■8.「政治の貧困」から脱却するには

花子: 競争社会では解決できない福祉や家族、教育、防衛、外交などの問題では、保守主義として善い意味でのムラ社会、共同体主義の感覚を生かして、どうすべきか、もっと考えていくべきね。

太郎: それがなされずに、競争社会だけで考えるから、「格差社会」云々などとムラ社会感覚に訴える政治宣伝につけこまれる。

たとえば、福祉にしても、日本では太古の昔から皇室が国民を「大御宝」として、安寧を祈ってきた伝統がある。阪神淡路大震災でも東日本大震災でも両陛下の御慰問が被災者を勇気づけ、また被災者救援の動きを盛り上げたのも、その一例だね。[c]

 ここに見られたように、単にお金をばらまくだけではなく、弱者がやる気を出し、周囲がそれを励まし、助けるような形の福祉ができれば、それこそがわが国の歴史伝統に則った福祉制度になるんじゃないかな。

 また競争社会と言っても、各自が金儲けに走るだけの競争では、国全体としての本当の活力は出ない。明治以降の急速な近代産業の発展にしろ、戦後の復興と高度成長にしろ、多くの国民が自分のことよりも、国全体を発展させようという共同体意識をもとに頑張ったからこそ、世界史でも希有な発展が実現できたんだと思う。[d]

花子: 国民の間でこういう議論がなされれば、その中からもっと真っ当な政治家も出てきそうね。それが「政治の貧困」から脱却する道じゃない。

(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(754) 橋下徹 〜 閉塞政治の突破力
 その姿勢は、現代のわが国の民主主義が陥っている欠陥を正す力を持っている。
http://blog.jog-net.jp/201206/article_4.html

b. JOG(613) 英国流保守主義に学ぶ
 今後の日本の目指すべき道を考えるには、ご先祖様の知恵を拝借すべき。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h21/jog613.html

c. JOG(700) 国柄は非常の時に現れる(下)〜「肉親の情」
 両陛下の「肉親の情」が、被災者たちに勇気と希望を与えた。
http://blog.jog-net.jp/201105/article_5.html

d. JOG(295) 豊田喜一郎 〜 日本自動車産業の生みの親
 このままでは日本は永久にアメリカの経済的植民地になってしまうと、豊田喜一郎は国産車作りに立ち上がった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog295.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. MSN産経ニュース、H24.9.3、維新トップ、「自民上回る 比例投票先」
http://on-msn.com/UAjSWS

2. 岩田温『政治とは何か』★★、総和社、H23
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4862860583/japanontheg01-22/


■前号「職務に殉じた9人の乙女 〜 樺太真岡郵便局悲話」に寄せられたおたより

■tenmondaiさんより

もう30年近く前に映画「氷雪の門」を見て感動したことを思い出しました。

また、母も満州からのいわゆる引揚者で、終戦当時のソ連軍の蛮行を聞いていましたので余計に感じるものが多かったです。

30年前は「氷雪の門」を見るだけでも右翼扱いされたことを思うと、時代は変わったなと思います。

学校の歴史教育ではこういうことを教えないといけませんよね。

こういう方々がいて今の私たちの幸せがあるということを。

誇り高き日本の女性たちがいたことを。


■caunoさんより

 遠藤未希さんの行為で、終戦時、ソ連侵攻下の樺太・真岡で電話交換手として最後まで職場を護って殉職した9人の乙女の物語を想起したのは私だけではなかったのですね。

 震災の際,テレビの中の女性アナウンサーが咄嗟に我が身で放送機材をかばうのを見たロシアの当局者が,この国と戦争してはならないと感じたそうです。

 私の勤務する水道局でも,放射能の影響が懸念される中での給水車の派遣に際し,女性を含めて総員から希望がでました。

 日本に対して自信を失いかけていましたが,日本人を見直すことが出来ました。しかし,その後の菅をはじめとする民主党や政府の対応にまたまた幻滅しているところです。

 今回の記事に関連して,1974年に完成し,ソ連の横槍で上映中止に追い込まれた『樺太1945年夏 氷雪の門』を思い出しました。

 興味のある方は,

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%BA%E5%A4%AA1945%E5%B9%B4%E5%A4%8F_%E6%B0%B7%E9%9B%AA%E3%81%AE%E9%96%80

を見てください。

■編集長・伊勢雅臣より

 こういう立派な行為の一つ一つが、日本の国柄を作っていきます。


 読者からのご意見をお待ちします。
 本誌への返信、またはTwitterで、@ise_masaomi あて、お送り下さい。

====================
Mail: ise.masaomi@gmail.com
Twitter: https://twitter.com/#!/ise_masaomi
または本メールへの返信で
姉妹誌「国際派日本人のための情報ファイル」JOG Wing
http://blog.jog-net.jp/
購読解除: http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/quit_jog.htm
相互広告: 弊誌読者の参考になるメルマガとの相互広告歓迎。
====================
◎Japan on the Globe−国際派日本人養成講座
のバックナンバー・配信停止はこちら
http://archive.mag2.com/0000000699/index.html

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

国際派日本人養成講座 更新情報

国際派日本人養成講座のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。