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国際派日本人養成講座コミュのJOG-Mag No.708 国家の危機管理能力 〜 佐々淳行・渡部昇一『国家の実力』を読む

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■■ Japan On the Globe(708) ■■ 国際派日本人養成講座 ■■

Common Sense: 国家の危機管理能力
〜 佐々淳行・渡部昇一『国家の実力』を読む

 治安・防衛・外交という「国民を護る仕事」をしない人間が首相になっている。

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■1.逃げ足の速いアジテーター

『国家の実力 危機管理能力のない国は滅びる』[1]という本がベストセラーになりつつある。危機管理の第一人者・佐々淳行氏が、現代の碩学・渡部昇一氏を聞き役に「日本をこのままにしておいてはいけない」と、思いのたけを語った本だ。発売一週間でたちまち1万部を突破し、amazonのノンフィクション分野で1位となっている。

 早速読んでみたが、政治とは国民を護るためのものなのに、それが全くできない菅政権の本質が明らかにされており、佐々氏の公憤と憂国の思いが迫ってくる。

 それもそのはずである。菅首相は、かつて学生運動の中心人物であり、大変なアジテーターだったという。演説を始めると500人ほどの学生が集まってきて、皆興奮し、闘争的な雰囲気になる。

 その菅氏を当時、警視庁に奉職していた佐々氏は3回も捕まえ損なったという。菅氏は学生を扇動するが、実際のデモ闘争では4列目にいて、前の3列までは警察に捕まるが、乱闘になった途端に菅氏はどこかにいなくなってしまう。ここから、佐々氏は菅氏を「第4列の男」と呼ぶ。

 逃げ足の速いアジテーターが、かつての価値観のまま、首相になってしまったらどうなるのか、その混乱と悲劇の様を我々は今、目にしている。

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■2.40年前の経験則だけを頼りに

 佐々氏は、菅首相らの原発災害への対応が学生運動家の精神状態のままであることを、以下のように明らかにしている。

 福島第一原発の電源が失われて、冷却装置が使えず、早急に原子炉を冷やさなければならなくなった時、菅政権が指示したのが、警視庁第一機動隊の高圧放水車の投入だった。

 学生運動が盛り上がっていた昭和43(1968)年の暮れに、いままでの放水車ではどうにもならないというので導入したのが、この高圧放水車だった。これを水平に構えて、デモ隊の足元を狙って打つとたちまち引っくり返る。「きっと菅さんも仙谷さんもなぎ倒された経験があるんじゃないですか(笑)」と佐々氏は語る。

 しかし「高圧」と言っても、あくまでも暴徒を怪我をさせない程度になぎ倒すものだ。学生運動家たちに占拠された東大の安田講堂に向けたら、窓にはったベニヤ板に跳ね返されてしまったという。水平に向けた時の射程も100メートルしかなく、結局、原発冷却には役立たなかった。

 出来ないと分かりきっていることを、無理矢理やらされた「警視庁第一機動隊の無念さは察するに余りある」と佐々氏は、ある本に書いた。

 次に選んだのが、ヘリコプターから水をかけるという手段だった。これも安田講堂に対して、佐々氏らがとった戦術だったという。しかし、ヘリコプターの回転翼の起こす風で、水があらぬ方向に散ってしまって失敗した。その失敗も知らずに、菅政権はこの手段を指示して、やはり同じ失敗を繰り返した。

 結局は、遠距離からピンポイントで水を注入できるコンクリートポンプ車が効果を発揮したのだが、業者は「あれを使えばいいのに」と最初から言っていたという。

 世界中が福島原発の危機を固唾を呑んで見守っている最中に、菅政権は自分達だけで手柄を立てて国民にアピールしようと、40年前の経験則だけを頼りに、意味のない指示を次々と下していた。その間に、国家国民を護るための貴重な時間が、刻々と失われていった。


■3.「まず防災服に着替えよう」

 菅政権の異様な振る舞いは、これに限らない。

 地震直後に各閣僚がすぐさま官邸に集まったのは良いが、菅首相は「まず防災服に着替えよう」と言い出した。防災服でテレビに出れば、第一線に立って非常事態への対応に邁進する内閣、というアピールでもできると思ったのか。

 この緊急事態に1分1秒でも早く動いて、国民を護ろうということよりも、自らのパフォーマンスの方が大事なのである。しかし、いつも折り目正しい防災服を着ていることで、逆に底の浅いパフォーマンスであることが見透かされてしまった。

 原発事故の後、最初にテレビに出て解説した審議官は原子力の専門家で「炉心溶融(メルトダウン)が進んでいる可能性がある」と発言したところ、菅首相は、この発言が軽率だと怒って、交代させたようだ。

 替わって出てきたのが、原子力安全・保安院の人だが、実は東大法学部出身の経済官僚。原子力の専門家でもなんでもない。原発の汚染水の濃度を許容量の1万倍と発表した後に、10万倍と訂正し、その翌日は1千万倍。その後は平気な顔で10万倍と言う。

 自らのパフォーマンスのために、専門家に意見も言わせず、かわりに素人がいいかげんなことを言う。正確な情報を提供してこそ国民も安心して、政府の指示に従うことができるのだが、これでは国民の不安と混乱が増す一方である。

 こういうところからも、菅首相は自分のパフォーマンス第一で、一人でも多くの国民を救おう、という思いは微塵も感じられない。40年前のアジテーターは、今もそのままなのだ。


■4.「これが危機管理というものです」

 真の危機管理とは、どういうものか、佐々氏は内閣安全保障室長在任中に体験した大島三原山噴火の際の対応を例に語っている。

 昭和61(1986)年11月に大島の三原山が噴火し、溶岩が地元の町に迫った。全島民1万人、観光客3千人の生命が危機にさらされた。

 最初に、国土庁に19省庁を集めて災害対策会議が始まった。ところが、名称を「大島災害対策本部」とするか「三原山噴火対策本部」とするか、などと、どうでもいいようなことを議論している。

 これでは埒があかないと見た佐々氏は、即座に中曽根康弘総理に安全保障会議の設置を進言した。これは重大な危機の発生時に各省庁の動きを一元化して、取り組むための体制である。

 中曽根首相は「全責任を私が負うから、指揮しろ」と佐々氏に命じた。佐々氏はすぐに都知事の鈴木俊一氏に、海上自衛隊出動要請を促した。さらに島民を避難させるために、橋本龍太郎・運輸大臣の権限で、夏しか就航しないフェリーボートなども含め、約40隻を現地に向かわせた。

 国土庁の災害対策会議が終わった午後11時45分頃には、すでに島民に避難指示が出され、午前4時までには全島民1万人、観光客3千人が船に乗っていた。

 船団が東京の竹芝桟橋に向かっている間に、東京の公立学校やYMCAなどで宿泊所を確保し、毛布や握り飯の準備が進められていた。「これが危機管理というものです」と佐々氏は語る。


■5.国民を護ろうとする首相、しない首相

 この事例を今回の大震災と比べて、改めて感じるのは、首相の姿勢の違いである。

 中曽根首相は「全責任を私が負うから、指揮しろ」と佐々氏に命じた。こうした場合の首相の役割とは、適任の人材を実務のリーダーに任命し権限を与えること、そしてその責任をとること、の二つである。その結果、専門家の佐々氏が辣腕を振るって、島民救助に成功したわけである。

 菅首相の姿勢はまるで逆である。専門家の意見も聞かず、自分がしゃしゃり出て、放水の方法まで指示する。失敗しても責任はとらない。今の政府に佐々氏に匹敵する人材がいたとしても、こんな首相のものでは、腕を振るえるわけがない。

 姿勢の違いの根本にあるのは、政治家としての志の違いであろう。中曽根首相の言葉からは、この危機にあたってなんとしても国民を護ろうという意思が感じられる。

 逆に菅首相の「まずは防災服に着替えよう」という言葉からは、国民を護ろうという心はかけらも感じられない。

 政治の根本をつきつめれば、犯罪者や災害や外敵から国民を護ることである。佐々氏は「治安と、防衛と、外交だけが国家の仕事である」という言葉を引用して、それがリーダーの仕事である、と主張している。[1,p158]


■6.治安・防衛・外交

 この治安と防衛と外交を一貫して、ぶちこわそうとしてきたのが、菅氏がアジテーターを務めていた頃の学生運動だった。

 治安については、当時の学生運動は、全国で大学紛争を起こし、街頭でデモ行進をして、時には激しく機動隊と乱闘まで展開した。高度成長で豊かになった社会で、彼らは最大の治安攪乱者であった。

 防衛については、「アンポ反対」と街頭デモで気勢を上げる。日米安全保障条約への反対、そして反自衛隊活動。「反核」を叫びつつ、反対するのは同盟国アメリカの核のみで、ソ連、中国の核については反対活動はしなかった。結局、我が国の防衛力を弱めることが学生運動家たちの狙いだった。

 外交についても、反米親ソが彼らの基本政策だった。ソ連は世界共産革命をめざしており、彼らはその一翼を担っていたのだから、そこには日本国としての独自の外交という考えはあり得なかった。

「治安と、防衛と、外交だけが国家の仕事」という姿勢とは正反対で、彼らがしていたのは、いかに日本国の「治安・防衛・外交」をぶち壊すか、という反国家的な活動であった。

 時あたかも、東西冷戦の最中で、我が国は西側につき、日米同盟と自衛隊に守られて、平和と繁栄を謳歌していた。学生運動家たちは、そんな温室の中で「革命ごっこ」に明け暮れていたのである。

 そんな革命ごっこのアジテーターあがりの菅氏が、いまや国家の中枢にいる。いきなり「治安・防衛・外交」をきちんとやって国民を護ろう、などと正反対の志を持てるはずもない。

 温室の中で、平和と繁栄を謳歌していられる時代は過ぎた。今や、政権中枢で「治安・防衛・外交」をぶち壊す「革命ごっこ」をやられたら、国が滅びる時代である。


■7.我々自身が「治安・防衛・外交」を忘れていた

 現実に菅氏のような人物はいつでも、どこにでもいるものだ。真の問題は、こうした人物を首相にしてしまった事であろう。

 その前の鳩山氏も「治安・防衛・外交」への知識も責任感もなかった事を考えれば、これはたまたまの人選の失敗というより、もっと根深い、我が国の体質的欠陥であると言わねばならない。

 問題はやはり、我々自身が平和と繁栄の中で「治安・防衛・外交」を忘れ、なおかつこれらの重要性を隠してきた左翼的な報道と教育を正すことができなかった、というところにあるのだろう。その安逸と怠惰の中で、自民党は衰微し、民主党がバラマキ政策で政権をとり、かくしてかつての逃げ足の速いアジテーターが首相になってしまったわけである。

 すなわち、こういう人物を首相にしたのは、我々自身の精神の混迷と衰弱である。我々の反省は、まずこの点に向けなければならないだろう。


■8.天皇制は危機管理の国家機関

 どこから改めるべきか。そのヒントを筆者は、佐々氏の天皇陛下のメッセージに関する次の発言に見る。

__________
 それにしても改めて、天皇制は危機管理の国家機関であると思いましたね。災害でみんなの心が沈んでダメージを受けているところへ必ず出かけられるでしょう。終戦の時もそうでした。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 終戦時、日本中が焼け野原になった時、昭和天皇が日本全国を巡幸されて国民を励まされた。我が国の奇跡的な復興はここから始まった。[a]

 幕末の黒船の危機においても、明治天皇を中心に、江戸幕府から明治新政府に一大転換を果たし、そこからアジアで最初の近代国家を築いていった。[b]

 なぜ天皇制が危機管理の国家機関になりうるのか。その理由は、天皇の役割りが、無私の御心で国民の安寧を祈られることだからだ。

 その御心を体して、政治家が政治を行えば、まずは国民を護ろうという志となり、それが治安・防衛・外交のそれぞれの分野の専門家により政策として展開されていく。

 特に国家的危機の場合は、国民それぞれが各自の利害を離れて、国家と国民を護るために、力を合わせていくことが必要だが、天皇が民の安寧をひたすらに祈られる姿を中心とすることで、国民それぞれの思いが一つにまとまりやすい。

 天皇は国民統合の象徴という憲法第一条の真の意義はここにある。そして、この国民統合は平時よりも危機の時にこそ、必要とされるものだ。

 国民一人ひとりが、互いを護るという志を持って、我が国の治安・防衛・外交を真剣に考え、それを託すに相応しい政治家を選ぶところから始めるべきだろう。

 本書のサブタイトルは「危機管理能力のない国は滅びる」だ。「危機管理能力」とは、限られた専門家の持つべき特殊技術というよりも、国民一人ひとりが国家国民の安全を思う、その思いの深さであるとすれば、それがなければ「国は滅びる」というのは、自明のことであろう。

(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(136) 復興への3万3千キロ
 「石のひとつでも投げられりゃあいいんだ」占領軍の声をよそに、昭和天皇は民衆の中に入っていかれた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog136.html

b. JOG(267) 変革の指導者・明治天皇 〜 ミカドから立憲君主へ
 崩御された明治天皇を世界のマスコミは日本の急速な変革の中心者として称賛した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog267.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 佐々淳行、渡部昇一『国家の実力』★★★、致知出版社、H23
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4884749286/japanontheg01-22/


■前号「知的障害者に『働く幸せ』を提供する会社」に寄せられたおたより

■憲朗さんより

 707号を拝読しまして、我が子(広汎性発達障害:現在中3)に照らしました。我が子の関係から、自閉症のお子さんとも広くお付き合ひしております。高校には仮に入れても、最後は、就業が一番の課題。707号を拝読しまして、なにか、光をいただけました。
 さういふ企業は、北海道にもありますね。社長 大山泰弘さんに多くを学びました。心が前向きになりました。企業人としても自分の勤める会社にもさういふ文化を根付けたいと思ひました。

■編集長・伊勢雅臣より

 多くのミニ大山さんが現れることを期待しています。


■魑魅魍魎さんより

 私はいま現在カナダにおります。やはり海外で生活すると、日本人である自分を意識しなくなってくることがあります。そんな時、伊勢さんのメールマガジンはいつも、自分の原点にある、「日本人」というものを思い出させてくれます。

 いつも「日本人としてがんばろう」「日本人として恥ずかしくない行動をとろう」と奮い立たせてくれるのです。さて、今回の「知的障害者に「働く幸せ」を提供する会社」を読ませていただきました。

 以前にも同じ会社のお話がありましたね。よく記憶しております。以前、中国で日本語教師をしていた際、学生たちの中に日本企業で働く学生が多かったのですが・・・。「日本人の上司はよく働く」という点は一致していても、「日本人はいつもお金の話ばかりする」「日本人はお金と女のことしか考えていない」というような愚痴を聞かされたものでした。

 そこで、日本理化学工業の話を授業の中でやりました。授業の評価は良かったもの・・・「信じられない」「この資料は日本人が書いたものですよね。じゃ、日本人がうそを書いたのかもしれない」と、なかなか信じてもらえなかったのも事実です。

 中国での幼少期からの反日教育の強さには、こういった「日本のいい話」をやるたびに痛感させられたものでした。

 もうひとつ今回のお話を読んで感じたことなのですが、やはりオーストラリアにいたときも、今カナダにいるときも感じるのですが、現地に住む多くの方が、「労働そのもの美徳」のようなものは持ち合わせていないようですね。「労働は苦役」…あるいは「金の為に仕方なく」というのを、皆口にしている気がします。

 私の父はもうすぐ定年なのですが、「俺も好きで仕事をしているわけじゃない。金の為だ」と言ってはいるのですが、じゃ、老後は何をしたいというと・・・・農業に専念したいと言うのです。「あっちの畑を整地して…草も全部刈って、梅も栗も無駄にしないで全部拾って…田んぼももうちょっと広げて…」などなど、何だかんだ言っても働き続けるつもりなのです。

 祖父も死ぬまで田圃に鍬をかついででかけて行った人間ですし、祖母も今はもう「足が痛い、足が痛い」と言いながら、毎朝自転車かごに草刈をもって畑に出て行きます。

「足が痛いなら休めばいいのに…」というのが、私の…というかいまどきの人の感覚なのでしょうが…。

 でも祖母は、「畑に出れなくなったら、オラ、誰の役にも立たなくなっちまうから、死んじまうわ」と笑って言うのです。

 働くこと、そして働くことで自分も微力ながら家族に貢献しているんだということが祖母のエネルギーなのかもしれません。

 あるオーストラリア人の方に、そんな話をしても理解はしてもらえませんでした。私の英語がつたなかったせいもあるでしょうが、「どうしてお年寄りをそうやって働かせるの?かわいそうじゃない?」「もう十分働いてきたのに、どこかに旅行に行って楽しく暮らせばいいのに」そう言われると、やはり感覚がまるで違うのだなぁと感じました。

 日本人に偏見を持った人だったら、「だから日本人はワーカーホリックなんだ。だから過労死するんだ」なんて言い出しそうです。

 しかし、私が長く失業していた時、強烈にあせっていたのには、「収入がない」ということよりも、「労働そのものをしていない」ということでした。「人に貢献しているかどうか」というほど高尚には考えませんでしたが、やはり「何もしていない自分」が、周囲から切り離されているような気がしてあせったものです。

 中国での日本語教師なんて…日本企業で無難に働いていた頃より四分の一以下の給料で4年も働けたのは、まさに「人に貢献している」という喜びを間近で感じられた職業だったから他なりません。

 今、ニートの問題が深刻です。特に田舎の自営業には、ニートが驚くほど多く、私の親戚にも恥ずかしながら私の知る限り2名のニートがいます。

 私は彼らに足りないものは、やはり「労働の美徳」なのではないかと思うのです。親のお陰で物も金も満ち足りている。だったら別に働く必要はない…というのが、二人の理屈でした。

 だったら、自宅で漫画やゲームに没頭するより何か生産的なものをすることもできるはずです。漫画を読むこと、ゲームをすることは自分だけを楽しませてはくれるのでしょうが、社会貢献としてはほぼ無というものでしょう。

 何とか彼らに…とは思いながらも、なかなか日本理化学工業のような志を持った企業がないのも実情です。

 その一人は、一時立ち直ろうとした時期がったそうです。しかし、高校中退の上、資格もなく、長いニート生活…。どこの会社でも、履歴書を送っただけで落とされ、面接でも、そのことを執拗に問いただされノイローゼのようになってしまったこともあったそうです。
 どうにか彼らが立ち直れるような仕事場はないものかと思います。
 安さ追求が過激化し、その為なら偽装も…というような風潮はすでに数年前からずっとあります。モラルよりも利益。そして規制が壊れ、仲介業者が瓦解していく中で大企業だけが勢力を伸ばし続ける昨今。

 こういう、日本理化学工業のような本当の理念と志をもった企業を支えてゆくのが、これからの日本の急務のような気がします。それが「社会貢献の場」を守り続けることにもなるのでしょう。

 そういえば、この企業を、当時人気絶頂だった鳩山前総理が訪問しているニュース映像を見たことがあります。訪問したのが鳩山さんというのが私としてはちょっと癪ではあるのですが、とにかくメディアもこういった企業をきちんと紹介してくれるようになってくれれば…と思いました。

 長文になりましたが、思ったままを書かせていただきました。これからも配信を楽しみにしております。

■伊勢雅臣より

 お祖母様の「畑に出れなくなったら、オラ、誰の役にも立たなくなっちまうから、死んじまうわ」という言葉は、人間の幸せがどこにあるかを如実に示していますね。

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