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心斎橋 若松コミュのアレンネルソン納骨式・偲ぶ会報告

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ご縁の皆様に<アレン納骨式><偲ぶ会>報告
(090709)AN救援基金 世話人代表 平塚淳次郎

二週間経過しました。御礼と報告が遅れたことをおゆるしください。
 石川県加賀市の街はずれにある光闡坊は、真宗中興の祖、蓮如上人建立の寺跡に立つ古刹。上人の大きな立像が目立つ以外は寺院通例の土塀や墓石とてない緑滴る境内の奥に質素な本堂が佇みます。
その昔武家権力の介入により分裂した本願寺の東西のいずれにも属さない稀有の存在として孤高を保持するとか。雨漏りのする荒れ寺に、十余年前に住み込んで、今親鸞を説きながら全国行脚をする佐野明弘師の「根城」。
そして今「釈阿蓮」の永久の棲家となりました。

当日の謝辞を、日本国憲法第九条の朗読で始めることによって参列者を感動させたアネッタ夫人は、光闡坊納骨のいきさつを語りました。
「アレンは、もし自分があとに遺ったら、わが心の師、佐野さんの傍で暮らしたいと語っていました。今回の来日は彼の遺志を生かす当然の務めでした。」 
アレンと佐野師の初の出会いは04年5月30日、師自身の企画した当地の<アレン講演会>でした。
以後急速に深まるご両者の心の交流の一端を物語るエピソードを師自身に語ってもらいましょう。

<・・・今沖縄の辺野古に米軍の基地が作られようとしている・・・それに反対して・・・アレンさんも抗議行動をしていました。ところが海上保安庁の大きな船が、皆の乗っている小さい舟の前で、スピードを出してギュッと曲がる・・・すごく高い波が襲ってきて・・・お年寄も皆命がけなのです。アレンさんは怒りの心が起こってきて「あいつらを殺してやりたい」と思ったというのです。「人には非暴力を説いて、そして自分自身もたくさんの人を殺して、そのことに死ぬほど苦しんできた。にもかかわらず、まだ自分の中から暴力が消えていない。どうしたらいいのだろう。」これには困りました。
私自身が浅い経験しかない。彼の深い問いに応える言葉がない。
二十分ぐらい黙っていました。しかし、彼はずっと待っているのですね。
(私が)最後に一言言ったのは「そうやって苦しんでいるあなたを信頼しているのです。あなたがそうやって苦しんでいる、そのことを信頼しています。」
(アレンさんは)「自分の求めている答えとは全く違うけれども、大切なことを聞いたようにおもいます」というようなことをおっしゃっていました。
>(以上「名古屋別院フォーラム人権連続講座講義録」より)
 
6月25日午後。本堂は170名の参列者であふれました。
<仕事が休めずに残念>というお断りをいただいた人たちを含む全国何千何万のアレンを悼む人たちの想いを代表した人たちの集いでした。
午後一時佐野師のつく鉦の音で開式が告げられ、20名近い僧侶の荘重な読経が響く中、アネッタ夫人、アレン令妹マーシェラを先頭に参列者それぞれの思いのこもった焼香が続きました。
佐野師による蓮如上人「白骨の書」の清澄な朗読。
そして「my father」三宅信一氏の弔辞―-アレン十余年の足跡を辿る慈愛に満ちた回想――が第一部を締めくくりました。
 
「キリスト教牧師の身で、アネッタさんに仏式焼香の作法を伝授しました」と語る、札幌山本光一師の人柄のにじむ司会が5時半まで続く<偲ぶ会>の座を和ませてくれました。
世話人の皆様の取り組み,寄せられた諸氏の弔辞,心のこもる会場でのご発言,通訳のご苦労,地元あるいはお寺関係者による準備から事後処理まで、感謝は尽きません。その中から敢えて登場願います。

―アレン来日の仕掛け人、宜野座映子さんは十三年前、彼女の教室で「一回だけだよ」と重い口を開いてくれた戦場体験の本邦語り初めと、以後毎年欠かさぬ、そして昨秋は「来年もきっと」と念をおしたアレンと沖縄との絆を、いつに変わらぬ「九条最前線」の心そのままに伝えてくれました。

―奉納演奏の若き堀越大二郎さん。故人に対する十年の敬慕と惜別の入魂のジャンベでした。アメリカからのお客様は皆踊り出さんばかり、最後は控えめな日本人も総立ちの拍手。“I’m happy here.”と笑顔のアレンが登場しそうな幕引きでした。

「アレンが蒔いた種の芽生え」(長野代表の言葉)は他にも集いの各所に見られました――納骨式の勤行に居並ぶ若き仏僧たち、大学キャンパス内の大講演会の取り組みを語った藤澤千夏さん、永らく通訳として各地でアレンの心を伝え当日も通訳団の中で優しい気配りをしてくれた中村みずきさん、そして太平洋の向うから駆けつけてくれたイラク帰還兵アッシュウールソン夫妻と通訳の相ケ瀬茜さん‥などなどの熱きハートにわが心も晴れやかに。

「アレン基金」残余分を、「ベトナム枯葉剤被害者への救援に充てる」課題をあとに残しました。その「執行及び報告」を以って世話人会の解散とさせていただきます。

改めて故アレンネルソン氏に対して、そして彼の活動を支えていただいた全ての人々に感謝!

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