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心斎橋 若松コミュの911七周年を迎えて〜アラスカとNYの光景

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今年も「あの日」がやってきました。
7年という年月は半端ではなく、例えば三大ネットワークの全国ニュースでの扱いなどは、今年から「トップ扱い」ではなくなっています。また、ニューヨークのローカル局はともかく、その他の三大ネットワーク局では、追悼式の中継もほとんどありませんでした。当日朝の新聞の扱いも一面トップではなくなりました。
毎年少しずつ扱いが小さくなっているのは感じていましたが、ここまで来ると、やはり年月の流れを感じさせられます。

今週の全国メディアの関心は、そんなわけで、911ではなく「ペイリン旋風」でした。
共和党大会での指名受諾演説で大喝采を受けたペイリンは「副大統領候補」として認知を受けただけでなく、世論調査の数字ではオバマを追う立場だったマケイン陣営を、オバマと拮抗するところまで押し上げたのです。
慌てたオバマは「マケイン=ペイリンの改革なんて、ブタが口紅を塗ったようなもの。口紅を塗ってもブタはブタ」という「暴言」を演説会でも、そしてTVインタビュー(インタビューアーは、故ティム・ラサートの遺児のルーク。
若者向けの演出ということでしょう)でも口にしていました。

もっとも、この「暴言」は全く同じセリフをマケインがヒラリーを意識してやっており(TVではビデオ映像を並べて放映しているところが多いです)、しかもオリジナルはチェイニー副大統領(これもビデオあり)という「アリバイ」があるのです。
その効果もあって、先週までの「実子疑惑」をリベラルが叩いたときほどは「逆効果」は出ていなかったようです。誰もが予想しなかったドラマは始まったばかりですが、どんどん先へと物語は進んで行きます。

そのペイリンですが、候補となって以来、各局から申し込みのあった単独インタ
ビューはずっと断っていたのですが、いつまでも逃げているわけにはゆかないということで、9月11日の木曜日にはABCテレビのメインキャスター、チャーリー・ギブソンとの対談に応じました。
ABCは、同じ日にアラスカで行われるペイリンの長男トラック・ペイリンさんを含むアラスカ州兵部隊の「イラクへの派遣に当たっての進発式」も取材するとして、ペイリン陣営に食い込み、ギブソンがわざわざアラスカ州のフェアバンクスに出向いていったのです。

ちなみに、そのトラック・ペイリンさんですが、3年前に不祥事(酒に酔ってスクールバスを破壊した)を起こしたために、アラスカ州を離れてミシガン州の高校に転校し(州外には州法は適用されないため)、今回軍に志願したのも18歳になって収監されるのを逃れるためという報道が一部にあります。
この材料も、深追いすると保守派を団結させるだけかもしれません(福音派の重要な布教活動の中には身内の出所を待つ人への癒しというのが入っているくらいですから)が、この一家はやはりこの種のエピソードが多すぎるようにも思います。

それはともかく、ABCと言えば、ブッシュ大統領に近いとされるディズニー社の子会社どころか社内の一部門、またギブソンというのは、今でこそ夕方のニュースのメインを張っていますが、つい最近まで主婦層をターゲットとした朝のニュースで女性ファンの多いソフトタッチのキャラクターということで、陣営には油断があったのかもしれません。
ギブソンという人も百戦錬磨のTVジャーナリストの一人です。病死したピーター・ジェニングス、イラクで瀕死の重傷を負ったボブ・ウッドルフなどの偉大な前任者の後を継ぐ者として、今回の取材には野心をもって臨んだのは間違いないでしょう。

インタビューはいきなり「ペイリン知事、あなたは副大統領だけでなく、場合に
よっては合衆国大統領に就任することもあるわけで、その準備はできていますか?」という質問をぶつけました。万が一の「昇格」に準備はできているのか、という意味ですが、ペイリンは躊躇なく「イエス」と答えた上で「マケイン候補と私は1月20日に就任式に臨む準備は整っています」と質問をすり替えて、マケイン候補に配慮する余裕も見せていました。余裕というよりも予習の成果というところでしょうか。

ですが、ギブソンはそこからどんどん軍事外交政策の問題に突っ込んでいったのです。「アブハジアと南オセチアの位置づけはどうあるべきですか?」「パキスタンの同意なくパキスタン領内で米軍を展開する意志はありますか?」といった現在進行形の、しかも大統領選で争点となるべき重要な課題を聞いていったのですが、ペイリンの答えはトンチンカンなものでした。少なくとも、「アブハジアと南オセチアは法的にはグルジア領だが、親ロシア勢力による実効支配は今回の停戦でも全世界が認めている」とか「パキスタンは政変の真っ最中であって、米国とパキスタンの共同戦線は転機に来ている」といった問題の核心は全く理解していないようでした。

それどころか、ギブソンが「グルジアのNATO入りというのは、ロシアがグルジアに侵攻した場合はNATOとロシアの全面戦争になることを意味しますが、それでもNATO入りを支持しますか?」という問いには間髪を入れず「イエス」と言ってしまい、その後で「ロシアはアラスカの隣です。アラスカから見えるんですよ」という意味不明のコメントをつけていました。弁明不可能な範囲ではないのかもしれませんが、やり取りの流れからすると「抑止力としてのNATO入り」というのではなく、本当に戦争を覚悟しているような口ぶりでした。

話題になったのは「ブッシュ・ドクトリンを支持しますか?」という質問です。
ブッシュ・ドクトリンといえば、先制攻撃を正当化した重大な宣言として日本でも有名ですが、ペイリンはこの「ブッシュ・ドクトリン」を全く知らなかったのです。
その場を取り繕おうと、トンチンカンな答えを続ける様子は各局のニュースが何度も放映するに至りました。例えば、翌朝のFOX5(ニューヨーク)では、キャスターのジュディ・アップルゲートが「理事長の娘が大学に入れてもらおうと思って、怖い学長先生の面接を受けているみたいですね」(実にうまい比喩ですが)とペイリンに同情的だったものの、「ブッシュ・ドクトリンを知らなかった」という点については何度も首をかしげていました。

ギブソンは攻撃の手を緩めず「ところで、外国にいらっしゃったことはあります
か?」と突っ込みました。「ええ、州兵の激励にクゥエートに、それから傷病兵の見舞いにドイツへ、どちらも素晴らしい経験でした」「分かりました。それ以外には?」
「いいえ、ですが歴代の副大統領には国外に出たことのない人も大勢いるんですよ…> …」どうやらペイリン旋風も風向きが変わっていくことになりそうです。この調子では、ジョー・バイデンとの一対一のTV討論では相当に苦しいことになるでしょう。

こうした「ガチンコ」のインタビューが行われる、しかもABCの夜のニュースでは完全にトップ扱いということは、9月11日という日付の意味合いがどんどん軽くなっている証拠でしょう。決してほめられたことではありませんが、マケインがやたらにグルジア情勢のことを取り上げるのは、世論の中に「911」の風化、イラクとアフガンでの厭戦気分というものがあるのを察知してのことだというのは明白です。
その「ランニングメイト」がこれでは、やはり「旋風」も失速を免れないのではないでしょうか。

その一方で、7年の年月を逆に重さとして、追悼の意味を深めている場所もありました。
それはニューヨークのダウンタウン、事件後は俗に「グラウンドゼロ」と呼ばれている空間に他なりません。911の直後、2002年の1月から就任したニューヨークのブルームバーグ市長は、どうやら息の長い計画を持っていたようです。
つまり、毎年この場所で行われる慰霊祭を、順に少しずつ変えていって、ある目的地にまでもって行く、そんな計画です。

今年、2008年9月11日には、その計画が一つの達成を見たように思います。
それは、911の悲劇をアメリカの国家から切り離し、ニューヨークという移民社会、つまりある種のコスモポリタン的な「人種のるつぼ」に起きた悲劇という風に再定義を行うということです。式典の中で、世界各国の詩を紹介することや、アメリカ人以外の遺族に追悼の中心となってもらう、演出は大胆でした。既に形として決まっている追悼式のプログラムはそのままに、世界90カ国を越える地域から参加した遺族を主役にしたのです。

追悼式は8時42分にアメリカ国歌で始まりました。ロウアー・マンハッタン少年少女合唱団の歌声は、柔らかく澄み切ったもので、そのトーンが今年の式のムードを予感させるものがありました。市長の短いスピーチに続いて、第一回の黙祷。
これも通例なっている通り、ワールドトレードセンターの南棟と北棟のそれぞれに、航空機が突入した時刻と、各棟が倒壊した時刻の計4回の黙祷が行われ、その間はずっと牲者の名簿がアルファベット順に読み上げられたのです。

その読み上げ役ですが、911の直後の追悼式から少しずつ変化してきており、犠牲者の配偶者・パートナー、犠牲者の親、子、同僚などが、その役を担ってきています。
今年はそれを全世界に拡大し、110カ国を越えるという犠牲者の出身国の中から95カ国の遺族が、代わる代わる全犠牲者の名簿を読み上げて行きました。それだけではなく、アメリカ人の遺族も交えており、ブルームバーグ市長によれば、「人種のるつぼ」であるニューヨークの街、その悲劇に向き合うのにふさわしい方法だというのです。

ここ7年の伝統により、犠牲者の氏名はファミリーネームのアルファベット順で行われるのですが、担当する海外からの遺族も出身国のアルファベット順として、非常に客観的な構成になっていました。
国名はAから開始され、やがてアルゼンチン、アルメニア、オーストラリア、オーストリアと続きました。国際色の中にも、また人種の選択もミックスされており、例えばカナダ代表はアジア系でした。最初の方で印象に残ったのは、国名「C」の中の中国です。若い女性が代表していたのですが、英語の発音も見事でしたし、凛とした振る舞いが追悼の場面にふさわしく立派でした。

毎年のことながら、2500人を越える読み上げには3時間以上を要します。その間に黙祷が入り、黙祷の後は簡単なスピーチが入ります。そのスピーチですが、遺族からの自然なものに加えて、ニューヨークゆかりの政治家も壇上に上がるのですが、これも数年前からの伝統に従って、政治家のスピーチからは政治色は完全に排除され、内容としては古今東西の詩を朗読させる演出になっています。

その政治家による詩の朗読ですが、例えばニュージャージーのコーザイン知事はポーランドの詩、ニューヨークのパタキ前知事はロバート・ケネディがキング牧師の追悼の際に読んだという古代ギリシャの詩、という具合でひたすらに文学的な追悼の内容ばかり、政治やましてテロとか復讐というようなニュアンスのものは排除されていました。
興味深かったのは、ニューヨーク市のジュリアーニ前市長です。今年も彼の
読んだ詩はなかなかのもので、英国の詩人の作だというのですが「想い出は時を経て輝く」という内容で「落日の美しさは翌朝の朝日の中に見いだされる・・・・輝く星の美しさは暁に消えゆくときに思い起こされる」という格調の高いものでした。

ジュリアーニ氏の朗読も、明らかに教養を感じさせる見事なもので、つい二週間前にはミネソタ州の共和党大会で冗談交じりにオバマの悪口を言っていた同一人物とはとても思えないものがありました。やはり、この人はある種の政治的怪物で、国のトップを務めるには生臭すぎたか、あるいは人物として複雑すぎたのでは、スピーチの様子からは、そんなことを思わされたのです。ブッシュ政権の閣僚からはマイケル・チャートフ国土保安長官が姿を見せていましたが、チャートフ長官が朗読するよう用意された詩は、12世紀のペルシャの詩人のもので、これはブッシュ政権に対してイランとの外交を改善せよという市長の暗黙のメッセージなのかもしれません。

それにしても、本当に多くの国から遺族がやってきていました。グルジアからの代表は控え目で素朴な人で、妙な拍手は起きませんでした。「I(アイ)」の部では、インド、インドネシア、イラン、イスラエルと、テロという言葉とは様々な意味で関係を想起させる国が続きましたが、全ては静かに進行していったのです。そして、10時20分過ぎ、ジャマイカの次は日本でした。
日本を代表していたのは、若い女性の方でしたが、コンビを組んだアメリカ人の老婦人(息子さんを亡くされたそうです)をいたわるような柔和な姿勢が良かったと思います。犠牲者名簿の読み上げも立派でした。

式の間は、ずっと静かな音楽が流れていました。時折、ラテン調のギターが入ったりしていましたが、基本的には小編成のクラシックの曲が多く、前年にも使われていたベートーベンの「カヴァティーナ」や、バッハの「無伴奏チェロ」、ドボルザークの「アメリカ四重奏曲からレント」など、悲痛なメロディーのものが多いように思いました。
ただ、そのメロディーは、聞く者の気持ちを沈ませるというよりも、遺族の心の痛みを分かち合うために響いている、そんな印象を持ったのも事実です。それは、やはり式典として非常に立派なものだったということなのでしょう。

3時間を越える長い式は、最後にブルームバーク市長が短い挨拶をすると、ロウアー・マンハッタン少年少女合唱団がもう一度登壇しました。昨年はサイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」でしたが、今年はカナダのシンガーソングライター、サラ・マクラクランの「アイ・ウィル・リメンバー・ユー」でした。それほど古い曲ではないのですが、人との別れの辛さを静かに癒す歌として、スタンダードになっている曲です。同じ北国の「サラ」でも、自称猛犬の女性知事とは大違いというわけですが、それはともかく何とも絶妙な選曲で、若い人たちの歌声はここでも澄んでいました。

さて、ニューヨークのローカル局ではこの追悼式を延々とやっていたのですが、同じようにこの朝、7周年を迎えた他の被災地、ワシントン郊外のペンタゴンと、ペンシルベニアのピッツバーグ近郊でも、追悼の式典が行われていました。特にペンタゴンでは、長い間、追悼式典は戦時色の強い色彩だったのですが、今年は新たにペンタゴンの前に慰霊のための公園が完成し、そこに設置された犠牲者追悼のベンチが披露されていました。ベンチというのは文字通り、人の腰掛けるベンチで、モダンな流線型をしているのがユニークですが、アメリカの伝統に従ったものです。

アメリカでは、故人を偲ぶための記念のベンチという習慣があります。多くの場合は、故人(特にカップルが多い)が好きだった湖畔とか浜辺、あるいは野球場のスタンドでも良いのですが、故人の名を記した銘を埋め込んだベンチを置くのです。そこに故人ゆかりの人間は腰掛けて亡き人を偲ぶという趣向です。このペンタゴンの場合は、職場を愛し、職に殉じた人を偲ぶという主旨で、この五角形の巨大な建築の前にベンチが設置されたということなのでしょう。実際の慰霊公園は、184名分のベンチが整然と並ぶことで犠牲の大きさを物語っている一方で、一つ一つのベンチにはそれぞれの遺族のパーソナルな思いが込められているのは間違いないでしょう。
実際にベンチに手を置いて、泣き崩れている人の姿もTVには映っていました。ペンタゴンもまた、NYと同じような被災地としての人間的な顔を見せ始めたのです。

さて、両大統領候補ですが、マケインはペンシルベニアのUA93便の墜落地での追悼式に列席、いかにもマケインらしく、伝説となった「ハイジャック機を果敢に墜落に導いた英雄」への顕彰スピーチを行っています。オバマは午前中は移動にあてて、午後にはマケイン、オバマが揃って「グラウンド・ゼロ」での黙祷と献花に臨みました。
両陣営はこの日一日はお互いに中傷合戦を停止し、静かな時間をNYで過ごすこ
とで、お互いの品格をアピールしていました。

そんなわけで、風向きがまた変わりつつあるのですが、当面は軍事外交政策が大きな争点になるでしょうし、またそうしなくてはならないと思います。論点を整理しておくと(1)イラクの戦後体制をどうするのか(2)パキスタン政変とタリバンの攻勢を受けてアフガン政策をどう見直すのか(3)対ロシア政策はどうするのか、という三点は待ったなしではないでしょうか。北朝鮮は噂されている金正日の健康問題を見極めてからということでしょうから、特にこの三点が大切です。ペイリンはこの際「得意」の「社会価値観」や「内政の改革」を専門に頑張ってもらうということになるのだと思います。
ギブソンのインタビューでも、少なくともアラスカの自然の中で「温暖化を招いた人為的なファクターの反省」を口にして、マケインとの価値観の共有を言っている部分は悪くはありませんでした。第一回の大統領候補TV討論まで二週間、大統領選はまた新たな章(チャプター)に入りました。

冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)

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