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ひろ兄記念館【離れ】コミュのある塾講師と最後の生徒。《前篇》

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その塾講師は、勤めている塾を辞めるつもりでいた。

別に大きな理由はない。担当していた生徒が死んだとか、担当していた生徒と恋仲になったとか、そういうドラマティックな理由は全くなくて、要するに「疲れたから」という本当に呆気ない理由で塾を辞めようとしていた。

実際、昼の仕事と夜の講師業を両立させるのは厳しかった。9時間みっちり働いたあと、帰宅してスーツに着替えて、ほんの少しの休憩を挟んだあと、人々が帰宅する夕暮れの道路を無駄に背筋伸ばして塾に向かうことが日に日に苦しくなっていた。それに「塾講師」と言っても、田舎の小さな個別指導塾のアルバイト講師である。「ダブルワークがしんどくなったので辞めたくなった」という理由以外に大した理由はなかったし、それで辞められる程度の環境だった。

アルバイトが一人辞めるだけのことなので、就業規則に則って伝えた辞意はすんなりと受け入れられて、規定のコマ数を消化すれば晴れて穏便に辞められる。

そう考えていた塾講師を、けれど塾長は慰留した。

「高橋だけ、卒業まで見てくれないか?」

塾長はそう言った。高橋以外の生徒はすべて他の講師に振り分けるし、授業終了後の会議にも出なくていい。提出義務のある書類も全部塾長が代わりに書く。だから高橋の授業だけは続けて欲しいと、塾長は言った。


高橋さつき。


その塾講師は塾長のその言葉に簡単に揺さぶられた。それぐらい塾長のその言葉は彼を慰留するのにうってつけだったように思う。いや、それ以外のどんな言葉であったとしても、彼は辞意を撤回する気はなかった。たかだかアルバイトだし、個別授業というのは家庭教師みたいなものである。一人辞めたら、もう一人を雇えば良い。それぐらいに軽いフットワークの仕事を選んでいたつもりでいたのに、それでも高橋さつきの名前を聞いて彼が狼狽えたのは、それでも私情ではなかった。ただの一介のアルバイト講師の中にも、ほんの少しだけ「プロ意識」と呼べる感情がある。高橋さつきの存在は、今まさに塾講師を辞めようとしている彼の、その「プロ意識」の真ん中を大きく突いて、揺らした。

高橋さつきは公立中学校に通う中学3年生、受験生である。まず、受験生であるというだけで、そういう大切な時期にいる生徒を手放すということについて、罪悪感を持てるぐらいに、その講師はまだ「プロ」だった。しかし、それだけなら何度も反芻した「辞めても良いのか?」という自問でクリアできていた。
受験直前に辞めるのは申し訳ないから、新しい講師との関係を築いていけるだけの猶予、具体的には冬期講習が始まる前に辞めて、冬期講習からは新しい先生と受験戦争に挑んでいければ、なんとかなるだろうという、もちろん勝手ではあるけれど、最大限の配慮はしていたつもりだった。

それに、高橋さつきが問題児だったかというと、そうではない。そうではないどころか問題児とは真逆の、「優等生」の肩書きがよく似合う女の子だった。勉強はよくできる。通知表は数学を除いて全部が満点の評価5、テニス部で副部長を務めながら、生徒会でも副会長を務めている。いわゆる「内申点」に一点の曇りもない生徒である。

だから、別に自分じゃなくてもどんな先生の元であっても彼女なら頑張れるだろうというのがその塾講師の考えだった。

けれど、塾長はそうは考えていなかった。その理由は、高橋さつきのお母さんの存在を抜いては語れない。塾長というポジションは講師とはまた色を異にする。講師は生徒と向き合っていれば良いが、塾長が主に向き合わなければならないのは、生徒の親である。


「大学生の講師がいらっしゃると聞いたんですけど、本当ですか?」


入塾相談の際、高橋さつきのお母さんは、塾長に真っ直ぐそう切り出した。曰く、「大学生のような若い人に、自分の子供を預けるのは不安だ」とのことだった。さらに「女の先生はやめて欲しい。友達関係になってしまってはいけないから」と続けたお母さんの強い意向に沿う講師というのが、その時はその塾講師しかいなかった。

その塾講師、年齢は30歳。性別は男。塾講師の経験は7年。お母さんの意向にうってつけだったのである。

ほぼオール5の生徒を担当してほしいと言われたのが4月。「オレ、必要でしょうか?」と笑いながら引き受けて、それから毎週水曜日、講師は高橋さつきの授業を受け持つことになった。それから徐々に講師の担当生徒は増えていった。中学生、高校生。男の子、女の子。いろいろな生徒を担当するようになると、中学生なのに九九が覚束なかったり、何度叱っても遅刻が直らなかったり、宿題を全くしてこなかったり、授業中寝てしまったり、誰でも多かれ少なかれ成績を上げるという以前の問題行動が目立ってくるのだけれど、高橋さつきに関してはそれが全くなかった。彼女は塾でも優等生だった。

これを読んでくださっている人の持つ「優等生」のイメージがどういうものなのかはわからないけれど、彼女はクールで無口というわけではない。むしろニコニコして、よくしゃべってくれる明るい生徒だ。そして世間話の途中でも講師が「じゃあ、問題やろうか」と言うと「はい」と一言、すぐに問題演習に没頭する。問題がわからなければ「わかりません」と訊いてくるし、本当に手間のかからない生徒だった。

もちろん、テニス部最後の試合が近づいてくるにつれ、ハードな練習のあとに塾に来るようになって、授業中寝てしまうことだってあるし、「宿題が終わらなかったんです」と言うこともあった。


けれど、少なくとも、彼女は高校受験に真剣だった。


そして、真剣なのは彼女だけではなかった。先述したお母さんについて、僕の書き方から、きっと「教育ママ」のイメージを植えてしまっているだろうけれど、そうではない。

そうではなかったのである。

その塾では、講師と生徒の両親が直接面談することは禁じられている。その代わり、講師は毎回の授業の「授業報告書」を書いて生徒経由で保護者に見てもらい、保護者は気になったことがあれば報告書を通じて講師に質問するというやり方でコミュニケーションをとっていたのだけれど、高橋さつきの母親は、その塾講師が担当しているどの生徒の親よりも熱心に報告書を利用した。というか、ほとんどの親は報告書に印鑑を押すだけで、その塾講師が何をどう書いても、返事なんて書かないのが普通だった。いつも一方的に授業報告を書くのがその塾の「授業報告書」の現状になっていた。けれど、高橋さつきの母親は、小さな文字で保護者記入欄を埋めるだけでなく、余白にもビッシリとメッセージを書いてきた。

けれど、母親が書くのはさつき勉強のことだけではなかった。

「先日、さつきが家に帰ってきてから、先生が授業でしてくださった『142857』という数のおもしろさの話をしてくれたのですが、たどたどしくて、先生から直接聞きたかったー!と笑いました。でもすごくおもしろかったです!」

とか

「さつきがテニス部で県大会に出場できました!」

とか

「なつみ(姉)も先生の授業を受けてみたいといつも言ってるんですよ」

とか。


入塾当初こそ、その塾講師も高橋さつきのお母さんを教育ママだと思っていた。けれど、3ヶ月もすればそうではないことぐらい、報告書のやりとりを通じてわかってくる。

もちろんさつき本人の口からも語られるこの母子の関係が、それはもう、ものすごくいい感じであることはわかる、もうわかる。誰でもわかる。わかりすぎるほどわかる。お母さんはさつきを愛しているし、さつきはお母さんを愛している。

だからこそ、さつきは塾に通っているのである。

母親は教育ママではない。実際、母親は「娘が望むことをさせてあげたい」としか考えていなかったことがあとでわかる。

高橋さつきは「アナウンサーになりたい」という夢があった。そのためには東京の有名大学に通わなければならないという想いがあったし、その想いは間違っているわけではない。東京の有名大学に通うには、高校の中でも、トップレベルの高校に通わなければならない。それも間違いではない。

さつきが夢を叶えるためには、県下の公立高校でもトップの高校に進まなければならず、そこに合格するには少しだけ、実力が足りていなかったのである。

ほぼオール5の生徒なら受験なんて問題ないだろうと考える人がいるかも知れないが、実はそうでもない。おおまかに言えば、通知表の成績は、学校での「授業態度」と「中間考査」、「期末考査」で決定される。授業態度は、真面目に授業を受けて提出物を出していれば問題ない。中間考査と期末考査は、テストの一週間前にテスト範囲が提示されるから真面目な生徒はその範囲内を真面目に勉強しているわけで、まぁ点数がとれる。

だから通知表の成績はよくなる。

けれど、高校受験というのは通知表の成績、いわゆる「内申点」での評価が全体の半分で、残りの半分は当日の「実力試験」で点数をとる必要がある。

中間考査と期末考査は点数がとれるけれど、実力テストでは全然点数がとれないという生徒はいる。いるどころか、実はとても多い。高橋さつきはまさにそのタイプの生徒だった。

定期テストでは平均点90点なんて平気でとってくるけれど、実力テストになると70点台にまで下がってしまうのである。この辺りの原因理由についてはここでは触れないけれど、彼女が塾に通う理由、それは「本番試験で高得点をとるため」なのである。

彼女が志望するT高校の場合、当日の実力試験で平均85点以上をとってもらいたいところである。これは、とても難しい。全教科100点をとるつもりで挑まないと達成できない。もちろん、彼女の「内申点」があれば、そのひとつ下のランクの高校なら余裕で入れるだろう。入った高校で自分の人生のすべてが決まるわけではないから、彼女の真面目さがあれば、ひとつ下のランクのH高校であっても、大学受験で夢に近づくための学校には入れる可能性は十分ある。

けれど彼女がT高校を譲らなかったのには、T高校がトップの高校だからという理由以外にもうひとつ大きな理由があった。


高橋なつみ、高橋さつきの姉がそのT高校の3年生なのである。


高橋さつきと高橋なつみ、そしてお母さんの3人がとても仲が良いことはもう授業の度に聴いていた。時にその塾講師はさつきが持ってきた、なつみが解けないという問題を解いて、解説を添えて渡したこともある。高橋なつみは大学受験を控えていた。志望は京都大学である。関西最難関最高峰の国立大学に向けて、さつきと机を並べて受験勉強をする、それが高橋家の日常になっていたのだ。

さつきにとって、隣で勉強する姉は憧れの存在だった。憧れの姉が通う高校に通いたいという願い。それゆえにさつきはT高校にこだわったし、そのこだわりを母親も後押しした。

母親はさつきの志望校について、実はどっちでもよかったという話を、講師は後に聴くことになる。「ひとつ下のH高校は制服がかわいいし、自由な校風なので、さつきにはそっちの方が合ってるような気がしたんです」と母親は後に笑う。ただし、母親はやはり厳しい。厳しいことは厳しい。「あなたがそう進みたいと言ったのだから、必死にやりなさい」というスタンスである。

けれど高橋さつきの成績はなかなか伸びなかった。特に講師が担当する数学について、停滞は顕著だった。基本に忠実な問題は難なく解けるけれど、複数の単元をまたぐ応用問題になると途端に手が止まった。夏が過ぎ、秋になり、少しずつ周囲も受験モードになっていく中、それでも高橋さつきが実力テストで高得点をたたき出せるようになれなかったのには、もちろんその塾講師の手腕が及ばなかったことも理由のひとつだ。間違いない。

けれど、情けない話、塾講師はその当時、塾の仕事どころではなくなっていた。

ダブルワークの苦しさにもはや心身共に疲れていたのだ。昼の仕事も雑になるし、夜の講師業も同様に雑になってきた。いよいよ授業を休むようになり、限界を悟った講師が選んだのが「辞める」ということだった。


塾長の言葉でその塾講師が思いとどまったのも、成績が伸び悩んで苦しんでいる高橋さつきを今手放していいのかという悩みがずっとあったからだ。でも、それは情けないけれど、「高橋さつきのため」ではない。「伸び悩んでいる生徒を手放して、その生徒が落ちていったら、なんか自分のせいでイヤだなぁ」というとても自分本位の考えに基づいたものであったかもしれない。

けれど、もうひとつ。

高橋さつきを通じて、塾講師はその向こうの家族を見ていたのかもしれない。

さつきが語る口から、また母親が書いてくれる報告書からは、否応なく「高橋家」が感じられた。毎日晩ご飯を食べたあとは女3人でガールズトークをする。お父さんは話の腰を折るから仲間に入れてあげない。3階に姉妹の部屋があるのだけど、夏場は直射日光で暑くて仕方ないからリビングで勉強してる。夜は家族4人、同じ部屋で寝ている。夏休みの自由工作を姉妹でがんばった、その写メを見せてもらったりするうちに、いつの頃からか、塾講師の担当は高橋さつきだけではなく、高橋家全体になっているように、少なくとも彼はそう思い込んでいたのかも知れない。

塾に通わせているから、それ以上のことは無関心だという親が本当に多い。両親が仕事で忙しくてそれどころではないという気持ちはわからないでもないけれど、思春期の子供が、塾の片隅で菓子パンを食べている姿を塾講師は首を傾げながら見ていた。高校受験も大学受験も、受けるのは本人である。けれど、そのすぐ近くで暮らす人たちの影響を受けないはずがない。高橋さつきは愛されていた。一家が全力を挙げてさつきと、そしてなつみの受験を応援していたのである。


だからその塾講師は講師を続けることに決めたのだけれど、それまでにやらかした欠勤などについての謝罪を、高橋さつきの母親にすることになった。

なんとも悲しい初対面だった。報告書の中で、勉強について、勉強以外について、楽しいことや悲しいこと、つらいことについても毎週毎週大量の文字でやりとりしてきた母親に、最初に言わなければならなかった言葉が「ご迷惑をおかけして、本当にすみません」であることを彼は心から恥じながら、目の前に立つ小さな、けれど力強い母親に頭を下げた。

高橋さつきの母親は、彼が頭を下げきる前に手でそれを制して、「謝らないでください」と言って、笑った。

「先生のことを信じています。先生でなければ塾を辞めることも考えています。先生と一緒に、高校受験を終わりたいのです。先生のペースで構いませんので、娘の授業を続けて欲しいという、わたしの勝手を聴いて頂けないでしょうか?」

そう言って母親は塾講師に頭を下げた。躊躇なく、真っ直ぐに。


こうして講師は高橋さつきの専属となり、卒業まで担当することが決まった。つまり高橋さつきがその塾講師の最後の生徒となる。塾長の計らいで、さつき以外のすべての生徒を他の先生に振り替えて、すべての会議を免除されて、すべての書類を塾長に任せて。

手放した生徒からの視線、あるいは会議がある日に早々に帰宅するときの他の講師からの視線、そういったものが痛い時期もあったけれど、プライベートも落ち着いてきて体調も戻りつつあったし、なによりも、あのときの母親の真っ直ぐな目で自分がしなければいけないことがなんなのかがはっきりしたことで、講師は調子を取り戻した。

冬期講習に入り、さつきに応用問題の演習を繰り返させる。基本問題演習の時はマル印ばかりだったノートに容赦なくバツがつく。何度もつく。けれど、さつきの目が全く死ななかったのはもちろん彼女の根性が根底にあるのだけれど、それだけではなくて、家に帰ると、いよいよ大学入試センター試験を間近に控えた姉のなつみが、それこそ鬼気迫る様子で勉強している姿に感化されていたのである。

高橋なつみ、さつきの3つ上の姉は絵に描いたように「愚直」だ。もちろん会ったことはないのだけれど、その「愚直さ」はさつきや母親が舌を巻くほどだった。彼女は1日14時間勉強すると決め、それを1日もサボらず続けていた。既に模擬試験での京都大学合格判定でもA判定を出していたけれど、気を抜くことなく毎日毎日14時間の勉強を続けていた。その隣で、なつみに比べればどちらかというと楽天家のさつきは感動し、憧れながら受験勉強をしているのだ。ふたりの受験はいよいよ佳境を迎えていた。

そして年が明けて1月。

「お姉ちゃん、来週いよいよセンター試験やな」
「そうなんです。でもなんか今日、お腹痛いって学校休んでるんです」
「それはかわいそうやな。この時期インフルエンザとかノロウイルスとか流行ってるから、無理せんと、休んだ方がいいよ」
「昨日も38度熱があったのに、ずっと勉強してたんです。今日、病院に行くって言ってました」

センター試験間近で体調を崩したというのに、あまりに真面目な姉を心配するさつきを、塾長が呼びに来たのは授業が終わる10分前だった。

「高橋さん、おうちから電話やわ」

塾長の言葉に違和感を覚えた理由は簡単で、さつきの母親が、あの母親が、塾の授業中に電話をかけてくるなんて、ありえないからだった。

けれど、現実はそんなものなのか、あるいは彼の察しが悪いのか、塾講師は考えなかった。


【それなのになぜ、母親が電話をしてきたのか】ということを。


さつきが席に戻ってきた頃にはすでに授業時間が終わっていた塾内はいつもそうであるように、とても騒がしくなっていた。帰宅を急ぐ者、友達に声をかける者、子供達の甲高い声が飛び交う中、さつきはいつの間にか戻ってきていて、落ちるようにすとんと椅子に座った。
「どうした?」と軽く訊く塾講師に、さつきはとても険しい表情になって、悲しい目になって、鼻をすすって、一度唇を噛んで、それから、まるで自分でその言葉の中身についてきちんと確認するようにゆっくりと、呆然と呟いた。



「お姉ちゃんが入院するらしいです」



高橋なつみが救急病院に搬送されたのは、センター試験5日前のことだった。

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