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映画レビューアーフォーラムコミュの【ネタバレアリ】『もうひとりのシェイクスピア』[2012年12月22日公開]

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●Introduction
 『インデペンデンス・デイ』『デイ・アフター・トゥモロー』などのハリウッド大作で知られるローランド・エメリッヒ監督が、シェイクスピア別人説に想を得た歴史ミステリー。18世紀に始まったその論争の中で最も有力とされている、第17代オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアが真の作者であったという説に立ち、「なぜ彼がその真実を隠さねばならなかったのか」を主題にしながら、愛と陰謀渦巻く宮廷を巻き込んだ歴史のうねりを描いている。シェイクスピアの影武者の伯爵を演じるリス・エヴァンスやデヴィッド・シューリス、ヴァネッサ・レッドグレイヴなど、イギリスを代表する名優が勢ぞろいして壮観だ。

 文学史上の大きな謎である“シェイクスピア別人説”をモチーフに、「インデペンデンス・デイ」のローランド・エメリッヒ監督が描き出す宮廷愛憎劇。出演は「アメイジング・スパイダーマン」のリス・エヴァンス、「ジュリア」のヴァネッサ・レッドグレイヴ、「ドラゴン・タトゥーの女」のジョエリー・リチャードソン。

 16世紀末。エリザベス一世統治下のロンドンの街では演劇が盛んになり、市民も貴族も芝居に熱狂していた。ある日、オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィア(リス・エヴァンス)が、サウサンプトン伯(ゼイヴィア・アミュエル)に連れられ、評判の芝居を見にやってくる。作者はベン・ジョンソン(セバスチャン・アルメストロ)。鮮やかな芝居に感心するエドワードだったが、芝居の途中でエリザベス一世の宰相、ウィリアム・セシル卿(デヴィッド・シューリス)の兵が現れて上演を中止させ、劇場は大混乱となる。セシルは、老いたエリザベス(ヴァネッサ・レッドグレイヴ)の後継にスコットランド王ジェームスを据えようとしていた。エドワードにとってセシルは義父だが、彼はチューダー朝の王たるべき者が後継であるべきと考えていた。エドワードが庇護するサウサンプトン伯とともに“エリザベスの隠し子”と噂されるエセックス伯も強力なチューダー朝派で、セシルは彼らをエリザベスから遠ざけようしていた……。16世紀半ば、若きエリザベス(ジョエリー・リチャードソン)は、オックスフォード家に招かれ、エドワードによって書かれた芝居を見る。それから間もなく父を亡くしたエドワードは、ある密かな理由からセシル卿に引き取られて英才教育を受け、文武に秀でた美しい青年へと成長。やがてエリザベスはエドワード(ジェイミー・キャンベル・バウアー)を男性として愛するようになる。女王とエドワードの恋愛に危険を感じたセシルは、エドワードを宮廷から追放。だがエリザベスはエドワードの子を身ごもっていた。エドワードはセシルの娘と結婚を強いられ、以来彼は望みを失い、屋敷の書斎に篭ってばかりいる生活を送るようになった……。牢に捕われていたベンを助けたエドワードは彼を自分の屋敷の書斎に招くと、自分が書いた戯曲を君の名で上演して欲しいと申し出る。エドワードが渡した戯曲は「ヘンリー5世」。半信半疑で役者たちに戯曲を渡したベンだったが、ローズ座での上演は大好評。興奮した観客は作者の登場を要求するが、その時、ベンの機を先んじて、芝居に出ていた役者ウィリアム・シェイクスピア(レイフ・スポール)が舞台に進み出て自身が作者であると名乗り出る……。
[2012年12月22日公開]

コメント(2)

 ローランド・エメリッヒ監督と言えば、パニック大作で著名な監督。その監督が歴史大作を手掛けただけに、得意のVFXを駆使して400年前のロンドンの街を懲りにこだわって忠実に再現。丁寧な時代考証、重厚な装飾とスペクタクルに彩られ、見応え十分の歴史絵巻に仕上がりました。このこだわりが、シェークスピアが活躍した時代の再現に説得力を与えたのです。
 本作の原題は、『Anonymous』(匿名)。つまりシェイクスピア劇の“真の作者”は、なぜ匿名を貫いたのか、その謎を解き明かすことがメインテーマの作品です。
。歴史的な名作の数々は、どのようにシェイクスピアなる人物の手に渡ったのか。これらの謎解きのドラマに期待したのです。しかし、いともあっさりとシェイクスピアは誰だったのか、明かされてしまいやや興ざめしました。むしろエリザベス1世時代の権力闘争やドロドロの愛憎模様が軸になっているのですね。だから、謎解きの部分とエリザベス1世の後継を巡る権力争いが交差しだす後半部分になるまで、ストーリー展開が掴めず、筋に追いついて行くのがきつかったです。それに加えて、主人公のオックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアを取り巻く大勢の登場人物を把握するまでが大変。これは誰だったけといちいち思い出さねばならないことがホネでした。

 さて、なぜシェークスピアに別人説がまことしやかに語り継がれているのでしょうか。本人の自筆の原稿が全くないということに加えて、その根底には、『リア王』などの王侯貴族の戯曲の数々を、田舎町の職人の息子が、書けるはずがないという差別的な発想も影響していると思います。貴族の暮らしや外国の文化について、彼の生まれ育った環境ではそんな知識は得られるはずもないではないかという指摘には一理あると思えました。だから貴族のエドワードが、もうひとりのシェイクスピアとして、スポットライトが当たっても可笑しくはなかったのです。

 本作では別人説がエドワードであることに立脚して語られるのですが、それでも謎は残ります。なぜ彼は正体を明かさなかったのか。物語は丁寧にその事情を開かしていくのです。エドワードは劇中でこう言っている。「貴族は戯曲など書かない。家名に傷がつく」と。ただ真実はそんな貴族のプライドだけで済まされるようなことではなかったのです。 聡明なエドワードは、芝居が社会を変える力を持つことに気づいてしました。そこで自ら芝居を書いて民衆を煽り、政敵となった宰相ウィリアム・セシルの専横を抑止したかったのです。王位継承を巡り、エドワードとエリザベス女王の間に生まれた女王の隠し子にも、セシルの追及の魔の手が及んでいたのです。それは社会的な立場を追いおとすだけでなく、命まで奪おうという陰謀でした。あろう事か女王までその陰謀に陥れられて、隠し子と知りながらも処断しようとするのです。息子の命を守ろうとした、エドワードの対抗手段が戯曲による大衆扇動だったのです。劇中セシルそっくりの猫背の人物が登場して、専横ぶりを発揮する芝居ぶりには、ご当人には腸が煮えくりかえる思い立ったでしょう。 そんなわけで身の安全のためにも、エドワードは名乗り出なかったのです。

 言葉を紡ぐことに天賦の才を持つエドワードでした。彼はしかし、作家としての称賛を得ようとは生涯思わなかったようです。臨終が近くなったとき、代役を務めた劇作家のベン・ジョンソンを呼び寄せて、自分が数多くの言葉を残せたことにいかに満足だったか、達観して語る思いには感動しました。後世に名を残すことはしないという執着のなさに、でもその気持ちはいかばかりだったろうと思いを巡られてしまいます。

 ここで疑問なのが、当初の代役はジョンソンたったのにいつの間にか、役者だったシェークスピアの方にその役割が移ってしまったことです。そして不思議なことにジョンソンは劇作家として成功して、歴史に名を残しました。
 本作では、シェークスピアが代筆させていることを感づいて、エドワードを脅した結果、代筆の権利と自身の専門劇場となるのグローブ座の建築費をエドワードからせしめることにありつけたのです。この辺は史実とはやや異なりますが。

 立場を奪われたジョンソンは、自棄を起こして、エドワードを裏切ることになるのですが、問題はジョンソンから、一介の三文役者に過ぎないシェークスピアになぜ容易に原作者の権利を移すことができたのかということです。
 当時は、劇作家の地位は役者よりも低かったのです。台詞を生み出す人間より、台詞を演じる人間、そしてさらに、それを芸術として享受しえる観客こそ尊いのだという考え方が当時では一般的でした。
 この物語が進行する17世紀の時代の人間とって、筋書きは誰が書いたかなど今ほど重要視されていなく、誰でもよかったのです。だから「別人説」が登場するのは、劇作家の地位が上がった近代以降のこと。ということは、当時を誠実に再現すれば「実際に書いたのは誰か」という主題自体が無意味になってきます。それで、本作では「誰が書いたのか」という謎解きよりも、「なぜ秘密にしたのか」というエドワードの止むを得ない事情を、当時の王位継承にまつわる権力闘争に交えて描いていく展開になったのだと思います。
 
 史実とフィクションが絶妙に融合され、破綻はないけれどやや難解。事前に歴史の下調べをして、登場人物の予習をしておいた方が、より楽しめる作品といえそうです。

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