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映画レビューアーフォーラムコミュの【ネタバレ有り】『キツツキと雨』 [ 2012年2月11日公開 ]

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●Introduction
 『南極料理人』の沖田修一が監督を務めるヒューマン・ドラマ。下界から離れた山村で、木々を相手に仕事をする木こりの男と、人生の迷子になりかけている新人映画監督との心の交流を描く。子供の頃、父が買ったビデオカメラがきっかけで映画に夢中になり、老舗旅館を継がず監督になった幸一。「父は後悔しているかも」という幸一に、克彦は「自分が買ったビデオが息子の人生を変えたなんて、大喜びしてるよ」と励ますのだった。出演は、役所広司、小栗旬、高良健吾、臼田あさ美他。『南極料理人』に続き、人間社会から隔離された「山村」を舞台にしているが、小栗旬扮する新人監督の葛藤や克彦のセリフから、沖田監督自身の物語かもとニヤリ。

 人里離離れた山村に住む克彦は、森林で木々を伐採する、いわゆる木こり。妻に先立たれ、定職に就かない息子と二人暮らしをしていた。
 ある日、仕事の途中、ゾンビ映画の撮影で山に来た青年、幸一と出会う。車が溝に嵌って身動きが取れない幸一らを撮影現場まで送ると、ゾンビのメイクをされエキストラ出演するハメに。

、そこに暮らす父親のような木こりの男のふれあいを、ユーモアを交えて描いたハートフルドラマ。監督は「南極料理人」の沖田修一。出演は「聯合艦隊司令長官 山本五十六 ―太平洋戦争70年目の真実―」の役所広司、「岳 ガク」の小栗旬、「軽蔑」の高良健吾。

 人里離れた山間の村。木こりの岸克彦(役所広司)は、早朝から仲間と山林に入り、木々を伐採して生計を立てていた。妻に先立たれ、今は息子の浩一(高良健吾)と2人暮らし。定職に就かずにふらふらしている浩一に、克彦は憤りを覚えていた。妻の三回忌はもうすぐ。ある朝、田舎道を行く克彦は、車が溝にはまって立ち往生している2人を発見する。ゾンビ映画の撮影にやってきた映画監督の田辺幸一(小栗旬)と鳥居(古舘寛治)だった。なりゆきから、2人を撮影現場まで案内することになった克彦は、そのままゾンビのメイクでエキストラ出演する羽目になる。木こり仲間たちから出演をネタにされ、まんざらでもない克彦。撮影途中の映像を見るラッシュ試写に呼ばれた彼は、小さく映る自分のゾンビ姿に思わず苦笑いする。傍らでは幸一が、自分の腕を噛みながら、苦々しい表情でスクリーンを見つめていた。
 現場では、大勢のスタッフやキャストから質問攻めにあい、頭が混乱して昏倒してしまう幸一。そこへたまたまやってきた克彦は、弁当を食べながら幸一に年齢を尋ねる。彼が25歳だと聞いた克彦は、生い茂る松の木を指さし、“あそこに松が生えてるだろ。あの木が一人前になるのに、ざっと100年はかかるよ。”と告げる。またある日、露天風呂から上がり、克彦と一緒にそばをすすっていた幸一は、父親が買ってきたビデオカメラをきっかけに、映画を撮り始めるようになったことを語る。しかし、実家の旅館を継がなかったことで、父親は後悔しているだろうと。克彦は“後悔なんかしてねえよ。自分の買ってきたカメラが息子の人生を変えたんだ。嬉しくてしょうがねえだろうよ。”と幸一を諭すのだった。
 嫌がりながらも内心はまんざらでもない克彦は、幸一の姿に息子と自分自身を重ねるように感じるのだった。 やがて克彦は積極的に撮影を手伝うようになり、撮影隊と村人たちとの間に、少しずつ一体感が生まれてゆく。やがて、撮影はいよいよ佳境を迎える……。
[ 2012年2月11日公開 ]

コメント(2)

 タイトルは、きっと撮影の障害となるキツツキ(木こりが木を切る音)と天候を表しているのだろうと思います
。余計な音を立てるキツツキも、止められない雨も、撮影の大敵。それは、主人公の自信を失っていた新人監督にとって、あらゆる障害がプレッシャーとなって押し寄せてくる感覚を言い表したものだと思えました。

 若い映画監督と初老の木こりが、年齢も環境も超えて結ばれる絆を、さりげないエピソードの積み重ねで描写した押し付けがましさのない人間ドラマ。その和気藹々とした雰囲気は、前作でも感じられました。人間関係のおかしみに、優しいまなざしを向けたところに、とても好感を感じたものでした。きっと沖田監督が作る現場の空気感が素晴らしく、スタッフや出演者と一体となって作り上げた作品なのでしょう。
 本作で登場する若手監督とは真逆に思えるようにも思えます。でも前作でプロデビューを飾ったとき、きっと沖田監督にも、こんなプレッシャーを抱えていたのだろうと思うと、思わずニタッとしたり顔になってしまいました。
 じんわり感動させられる人間ドラマとして、よく錬られた作品です。前作よりも一段とユニークな人間描写に磨きがかかったといえるでしょう。映画好きな方には特にお勧めしたいですね。

 奥深い山間の村で山林の伐採を生業として暮らす克彦(役所広司)は、今年で60歳。妻に先立たれ、息子の浩一と2人暮らしだが、定職につかないニートの息子に苛立っていました。そんなある日、克彦は映画の撮影隊と出会い、なりゆきから彼らが撮影中のゾンビ映画に出演することになってしまいます。

 ゾンビ映画の撮影現場は、いかにも楽しそう。監督の掛け声で、談笑していた俳優がゾンビになりきり、まさに映画の一場面が眼前に繰り広げられます。大勢のエキストラ、俳優の動きを追うカメラマン。山間の村での撮影風景がユーモラスに描かれます。だから最初はいぶかしげだった映画のことなど全く知らない克彦が、いつの間にかスタッフの一員となって、協力しているのも納得できる展開でした。
 克彦は、仕事を止められ、周辺の案内役をさせられ、揚げ句にエキストラで出演。迷惑がっていたものの、自分が写った場面を見るとがぜん張り切り出し、先頭に立って撮影現場を仕切り始めたのです。

 しかし、楽しそうに見えるのは、あくまではたから見ているからですね。 スタッフはロケ場所やエキストラを探すのに走り回り、俳優はテストを繰り返す。一切の責任を負わされる、弱冠25歳の監督、幸一(小栗旬)の苦労は言わずもがな。台本を手にうーんと悩み、スタッフや俳優に指示を出せず、彼らの注文に困惑するばかり。
 そんな若い監督の姿に共感できるのは、誰もが経験しうるはずのものだから。自分の周囲のことにしか関心がなく、他人との共同作業を嫌うような、今風の若者なら、なおさらのことでしょう。映画の撮影現場というと特殊な場所のようだが、夢見た仕事と現実とのギャップに苦しむ若者は、どこにでもいそうですね。

 幸一はプレッシャーから現場を逃げ出そうとします。克彦はそんな幸一を励まし、台本確認に付き合うようになります。克彦と幸一の2人の関係は、疑似親子ともいえるでしょう。
 そんな2人の距離が縮まっていくのを、セリフでなく絵で見せるのが面白いところ。日帰り温泉の浴場でのふたりの距離が雄弁に物語ってくれます。離れて湯につかっていた2人でした。当初は、撮影のことに触れられてたくない幸一に、湯船の中で体を浮かせながら、ひたひたとと克彦がすり寄っていくのです。ところが、幸一が次第に克彦に頼り出すと、今度は克彦があまり頼られたくないとひたひたと距離を開けようとするのですね。
 のりを食べながら、将棋をさす場面は、食堂で向きあってあんみつを食べる場面につながります。監督の演出は、鳴り物入りの事件を起こすことなく、克彦のとる何気ないふれあいで、ふたりの親密度を紡いでいくのでした。そんな場面ごとに、沖田監督ならではのユーモアを漂わせ、楽しませてくれました。
 幸一が少し成長するように、幸一に手を差し伸べる克彦も、こころを開き変化していくのでした。定職につかない自分の息子(高良健吾)を見放した克彦は、やりたいことをやろうとしている幸一に共鳴します。その表れは、幸一が実家の旅館をつがずに映画監督になったことで父親を悲しませたと言えば、克彦はその逆だと諭すところに如実に出ていました。克彦の思いは、三回忌の席で息子の浩一を心配する親戚への怒りに表されます。克彦は幸一の悩みを通して浩一の気持ちも分かるように変わっていくのです。
 克彦も心を開いていく。上から下への押しつけでなく、双方が変わっていくのが、理想的な親子のように見え、ほほ笑ましい。
 やがて村を挙げて撮影に協力し、撮影は佳境を迎えていきます。

 特に木こり役の役所広司がいい味を出して盛り上げています。山本五十六を演じた同一人物とは思えない変わりよう。自らも高い木に登って作業する姿は、木こりそのものなんですね。例えば、山林で伐採する克彦が撮影隊に出会うシーンで、音を立てないように要求されると、克彦は「え!」「え!」と何度も間を空けて繰り返すなど、木訥な滑稽味を漂わせていました。 
 監督経験もある小栗も、当初脚本を読んだとき「いくら何でもできなさすぎじゃないか」と思ったそうです。しかし、実際に、幸一を演じていくうちに、「プレッシャーと責任で、押しっぶされそうな感じ」に共感できるようになったと新聞のインタビューに答えていました。
 沖田監督と小栗が考えた幸一像とは、こんな感じで意思統一できたそうです。
 『映画を自主制作していて、たまたま短編映画のコンテストに出品したら、グランプリを受賞。』
 『突然、プロデューサーに「ちゃんと映画を撮ってみろ」と言われ、監督になったものの、それまでの友達感覚が通じず、知らないスタッフの中で身動きがとれない。』
 …「いきなり、プロの現場にきたら、こうなるだろうな」とふたりでうなずきあったそうです。この話を聞いてばっと思い浮かんだのは、石井裕也監督でした。どこか人を喰ったような印象のある石井監督でも、『川の底からこんにちは』でデビューしたときは、相当プレッシャーと闘ったのでしょうね。また本作で悩む浩一に小栗の新米監督しての経験もオーバーラップして見てしまいました。2年前に「シュアリー・サムデイ」は本人も言ってるけれど、気張りすぎて、余裕のない作品になってしまいました。全部自分で何とかしないとという焦りが出てしまっていたのですね。まるで幸一のように、『雨が降ればいい』と祈る毎日だったというのです。今となっては人間なんだから、悩んでいいのにと振り返る小栗ですが、幸一を演じて、その思いも強くしたことでしょう。次の小栗監督作品にも期待したいところです。

 撮影現場の舞台裏モノは、ハズレが少ないもの。映画のためだけに集まった人々が、予期せぬ障害をどうにか乗り越えていく。しかし完成したら散り散りだ。その熱気とはかなさが、ドラマを生みやすいテーマなのでしょう。ただ本作は、それを超える映画愛に包まれた作品でした。
 本作で描かれるように、優秀なスタッフに頼れる部分は頼って、その上で、監督のやりたいことを提示できればいい。そうすれば、もっと映画作りって面白くなるんじゃないか。そんな映画製作に携わる人たちに、ドンマイとエールを送っているところにも好感を持ちました。

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