ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

映画レビューアーフォーラムコミュの【ネタバレ有り】『ハラがコレなんで』 [ 2011年11月5日公開 ]

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
●Introduction
 PFF(ぴあフィルムフェスティバル)出身の28歳。そのオリジナリティあふれる作風で、日本のみならず海外の映画祭でも称賛される石井裕也監督の新作は、“粋(いき)”と“義理人情”を何よりも大切にする24歳の女性の生きざまを描いた人情コメディだ。八方ふさがりの自分の状況そっちのけで泰然自若にどーんと構え、他人の幸せばかりを考えているそのヒロイン像は、先行き不安な今の時代を元気づける“ヒーロー”像なのかもしれない。そんな主人公・光子を演じる仲里依紗は、持ち前の明るさと演技力で監督の世界観を真正面から受け止め、抜群の存在感を発揮している。クライマックスの壮絶な台詞の応酬は、“石井ワールド”を象徴する本作の白眉だ。

義理人情と粋であることをモットーに生きる妊婦と、彼女を取り巻く人々の姿を描く人間ドラマ。監督は、「川の底からこんにちは」の石井裕也。出演は、「モテキ」の仲里依紗、「行け!男子高校演劇部」の中村蒼、「陰獣」の石橋凌。第16回釜山国際映画祭「アジアの窓」部門上映作品、第24回東京国際映画祭特別招待作品。

 原光子(仲里依紗)は妊娠9カ月で、子供の父親のアメリカ人と別れ、所持金もなく、行く当てもないままアパートを引き払う。しかし、義理人情を大事にし、粋に生きることを最も重んじる光子は、昼寝すれば大丈夫と楽観的に考えている。光子は、子供のころ夜逃げして両親と暮らした時代遅れの長屋にたどり着く。毒舌だった大家のおばちゃん・清(稲川実代子)は寝たきりで、戦死した夫のもとに行きたがっている。光子は、清の世話をしながら長屋で出産する決意をする。賑やかだった長屋に残っていたのは、閑古鳥の鳴く食堂を経営する、光子の幼馴染の陽一(中村蒼)とその叔父・次郎(石橋凌)だけ。15年前の結婚の約束に責任を感じ光子を想い続けていた陽一は、再会を喜びながらも動揺する。両親に捨てられた自分を育ててくれた次郎に対し、自分だけが幸せになってはいけないと感じていた。一方次郎は、喫茶店“べる”のママ(斉藤慶子)に想いを寄せながら、世話になった清を残してママに想いを伝えることはできないと思っていた。陽一はいつものように清に夕食を届けると、光子に預金通帳を渡し、子供の面倒をみるとタンカを切る。しかし光子は通帳の残高を見て、自分が店の面倒をみると切り返す。翌日から、光子は客引きを始める。次第に光子の人柄を慕う客で食堂は繁盛し始める。そうするうち、ママが店を閉め、病気の母親がいる福島に帰ろうとする。しかし次郎は引き留めることもできない。じれったく思った光子は、みんなで福島へ行こうと提案する。そこに、また夜逃げした光子の両親がやって来る。混乱のなか、光子の号令で一同は昼寝をすることに。その数分後、思いもよらないことが起こる。
[ 2011年11月5日公開 ]

コメント(1)

「川の底からこんにちは」の成功に気をよくしたのか、それともワンパターンなのか、前作よりもよりアグレッシブで脳天気な主人公が徹底的なKYぶりで、他の登場人物や観客をケムに巻くのが本作です。まぁ主役が満島ひかりから仲里依紗に変わっても、キャラ的に違いを感じさせないところは、この監督の演出力の賜物でしょう。
 けれども前作も今作も余りにステレオタイプ過ぎて、全然主人公の生き様に共感できないのです。具体的にいえば、本作の主人公は思いつきの風任せ。それが粋だと勘違いしているのですね。しかも何が粋なのか、適当なんです。その場を繕うよう強がっている言葉にも聞こえてしまいます。ただ世の中はそんな甘くはありません。「粋だね」という強がりが通じない場合は、「ハラがこれなんで」と妊娠を逃げ口上にしてしまいます。あるいは、昼寝すれば大丈夫とたた待ちぼうけで風向きが変わるのを待ち続ける脳天気さでした。

 主人公がこんな感じだから、ストーリーはハチャメチャの連続。妊婦だから、安静にしていろという周囲の言葉は、全く馬耳東風。逆に妊婦だから生まれてくる子供ために動き回らなければ粋ではないというのが、主人公の口癖なんですね。
 一時が万事こんな風なナンセンスに包まれています。きっと演劇が好きでナンセンス劇で笑い転げてしまうような人には、ツボにはまるかも知れません。でも小地蔵はずっと白けてしまいました。
 なんか石井劇場に、役者人形を投入して、監督の好きなように役者人形を操って楽しんでいる感じなのです。前作が受けたからといって観客を無視。自分が面白いと思ったら観客も面白がるだろうという独りよがりな思い込みは、ちょっと考え直した方がいいと思います。

 さて物語ですが、主人公の原光子は成り行きでカルフォルニアにふらっと行き、そこで格闘技をやっている黒人男性とゆきづりでエッチしてしまい、成り行きで結婚。やがてなんとなく妊娠したものの、やっぱり成り行きで離婚。両親にも内緒でこっそり帰国して、独りで日本で生活しているうちに臨月を向かえってしまったのです。
 出産費用どころか、アパートの家賃にも事欠いた光子は、思い切って子供のころ夜逃げして両親と暮らした時代遅れの長屋の大家さんのところに転がり込むのです。凄いのは、タクシー代を「大丈夫」のひと言で踏み倒してしまうのですね(^^ゞ

 石川作品で気になるのは、登場人物がみんな貧乏で挫折している人ばかりというところ。光子の両親は、夜逃げのあとのパチンコ店経営も客が不入りで倒産寸前。光子が住むことになった長屋も、幼馴染の陽一とその叔父・次郎だけ。無愛想な次郎が経営する食堂も閑古鳥が鳴いていました。そんな店に光子が客を呼んできても、ホームレスばかりで、お代は光子のおごり、といっても光子には支払い能力はありません。前作も倒産間際の会社が舞台でした。きっと石川監督の理想は、最小不幸社会の実現なんだろうと思います。金持ちを憎み、貧乏な人たちが助けあいながら、慎ましく生きる姿に、「粋だね〜」と感動を覚えてしまうのでしょう。
 小地蔵は、思わず石井監督作品を、「貧乏神映画」と名付けてしまいましたよん♥

 まぁ、主人公の個性的なキャラとは対称的に、脇を固める人物たちのエピソードは、どこにでもあるような話でパッとしません。面白かったのは、大家の清の部屋が不発爆弾の爆発で吹っ飛んだショックで、寝たきりの清が突如立ち上がっることができてしまうというくだりぐらいでした。
 寡黙でシャイな次郎が喫茶店“べる”のママにずっと告白できなかったことは、無理無理に引っ張りすぎなのではないかと思います。まぁ、これは一行を福島へ引っ張っていく伏線として必要だったのかもしれません。ただ妊婦の光子があえて車を運転して、ママの実家のある福島までママと、次郎を送り届ける必要性があるのでしょうか。臨月で苦しみながら運転する助手席には、光子と結婚したいと思っている陽一がいて、後ろには光子の両親まで居合わせているのです。なのに口では口論しつつも、誰も光子の運転を体を張って止めようとしないのは、あり得ないことです。
 さらに福島に到着して、いよいよ産気づいた光子に、救急車も呼ぶポーズだけで、結局草原の青空の下での出産になってしまうのもナンセンスとしか思えませんでした。普通なら、目の前にあるママさんの家を借りてお産に臨むが当たり前でしょう。

 そんなリスキーなことも、浮き雲を見つめながらも、粋だねと受け流してしまう光子のどの抜けた楽観主義が、小地蔵には最後まで共感できませんでした。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

映画レビューアーフォーラム 更新情報

映画レビューアーフォーラムのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング