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映画レビューアーフォーラムコミュの【ネタバレ有り】『サンザシの樹の下で』[ 2011年7月9日公開 ]

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●Introduction
一生待ち続けると誓う恋は、慎ましく奥床しくどこまでもイノセントだ。チャン・ツィーをスターダムに押し上げた『初恋のきた道』以来となる純愛映画で巨匠チャン・イーモウが描くのは文化大革命下の悲恋である。原作は中国系アメリカ人作家エイミーが友人の手記を基に発表したベストセラー小説「サンザシの恋」。その友人こそが主人公ジンチュウのモデルであり、物語は実話に基づいているという。監督の審美眼に叶ってヒロインに抜擢されたのは、これが映画初出演のチョウ・ドンユイ。汚れ無き純真を演じるにふさわしいあどけなさと心の強さを感じさせ、恋人役のショーン・ドウ共々本作で大ブレイクを果たした期待の新星だ。

「初恋のきた道」のチャン・イーモウ監督が、文化大革命真っ只中の中国を舞台に描く切ないラブストーリー。出演は7000人の中から選ばれ、本作でスクリーンデビューを飾ったシンデレラガール、チョウ・ドンユイと「金陵十三釵/Nanjing Heroes」のショーン・ドウ。原作は中国系アメリカ人作家エイミーの同名小説。

文化大革命の嵐吹き荒れる1970年代初頭の中国。農民こそ素晴らしく、学生は彼らから学ぶべきだという教えのもと、都会の高校生は農村で住み込み実習を行っていた。ジンチュウ(チョウ・ドンユィ)もそんな女子高生の1人。彼女が派遣された村にあるサンザシの樹には、ある言い伝えがあった。それは、樹の下で亡くなった抗日戦争の兵士の血が染み込み、白い花が赤く咲くという、革命精神を象徴するものだった。村長(リー・シュエチェン)の家で暮らすジンチュウは、年上の青年スン(ショーン・ドウ)と出会う。家族と離れて暮らす中、自分への好意を隠さず、何かと気に掛けてくれるスンに恋心を抱くジンチュウ。しかし、それは彼女にとって許されぬ恋だった。反革命分子と見なされた両親が迫害を受けていたからだ。投獄された父、職場で辛い労働を強いられる母(シー・メイチュアン)。そんな中、幸運にも教職に就く機会を得た彼女は、家族が絶望的な状況から抜け出すための唯一の希望だった。だが、もし革命の精神に背いて恋愛に浮かれていると知られたら、たちまち非難を浴び、すべてを失ってしまう。それでも、気持ちを抑えることができず、人目を忍んで逢瀬を重ねる2人。ところがある日、2人で自転車に乗っているところを、ジンチュウの母に見つかってしまう。“娘の幸せを願うなら、会わないでほしい”。ジンチュウの母の言葉に頷き、彼女の元を去るスン。しばらくして、スンが入院したことを知ったジンチュウは、母に内緒で見舞いに訪れる。彼女の心配をよそに、気丈に振舞うスン。翌日、町の店で色鮮やかな赤い布を見つけたジンチュウはスンと約束を交わす。“サンザシの花が咲く頃、この布で作った赤い服を着て、あなたと一緒に見に行くわ”別れ際、泣きながら手を振るジンチュウ。その姿をいつまでも見送り続けるスン。だが、ジンチュウが次に病院を訪れた時、スンの姿はなかった……。
[ 2011年7月9日公開 ]

コメント(2)

 チャンー・イーモウが、新たなミューズをひっさげて、原点回帰とも言うべき純愛映画に戻ってきました。最近のイーモウ監督作品は、『HERO』などアクション映画が多くなっていました。小地蔵は、商業路線に毒されたのではと斜に構えていたので、本作の発表には、多いに期待したものです。なぜかというと、監督の出世作『初恋のきた道』という作品が小地蔵の涙腺を思いきっりえぐったピュアな初恋物語でして、今でも忘れ得ぬ感動を記憶しているから。
 本作もその『初恋のきた道』に負けず劣らず、世界遺産に登録すべきではないかと思うくらいの純情が描かれていていました。何しろ予告編だけでも思わず泣けてくるのですから相当なものなのです。
 本編を見ても、後半やはり感動の余り泣けてきました。破格の経済成長に沸く現代の中国人から見れば空想のおとぎ話と映るかもしれません。まして日本人からすれば、神話のような純情さです。でも世知辛い世の中にあって、現実に打ちひしがれることの多い日々を過ごしがちですね。たまには銀幕の世界にどっぷり浸かって、世情を超えた純情に心を打たれれば、魂のいい洗濯になること請け合いです。ちょっとト書きの多い進行には疑問を持ちましたが、きっと映画を見た満足感に包まれる作品でしょう。
 
 さて、物語は実話を基にした初恋の悲話です。
 ヒロインが恋する相手が白血病で死んでしまうという悲恋物語は、韓国映画にありがちなストーリーです。しかし、韓国映画が観客を力業で泣かせようと仕掛けてくるのに比べて、イーモウ監督は、圧倒的な映像美と僅かな表情の機微の変化で、見ている方をごく自然に号泣させてしまうのでした。
 一番印象に残るシーンとしては、小川の辺をふたりが連なって歩くシーン。まだ手をつなぐことすら気恥ずかしいふたりでした。それでも川を飛び石越しに渡ろうとするとき、スンはジンチュウに小枝を渡し、誘導します。カメラはその小枝をアップしていくと、徐々に小枝を握っているふたりの手と手との間が短くなっていく、最後はその手がしっかり結ばれるのです。初めてお互いの恋心が確認された瞬間でした。
 ふたりの関係は信じがたいほどうぶでピュアなプライトニックでした。スンをお泊まり看病にきたとき、一つのベッドで一夜を過ごすことになるのですが、スンは一切手を出さないのですね。そしてジンチュウは堕胎しようと悩む友人に、自分も妊娠したかもと告白するのです。ベッドで一夜を共にしただけでも子供が出来てしまうと信じていたジンチュウでした。
 『コクリコ坂から』を見て、そこで語ろうとした「人を恋うる心」にイマイチぴんと来ませんでした。本作を見て、これこそ「人を恋うる心」なのではないか!と溜飲を下ししたのです。本作がふたりが恋した時代をリアルタイムで瑞々しく描き出しているのに比べて、宮崎駿監督は、遠い過去の記憶を息子監督を使ってぼんやりと伝えているのに過ぎなかったのです。
 それに比べて、本作は単なる甘い哀愁に浸るのでなく、文化大革命の嵐が吹き荒れた1970年代初頭、当時の厳しい「現実」を直視しています。
 そもそもジンチュウは「下放」という国家の政策で都会から農村へ送られてきたのです。そこで偶然スンと出会ったのでした。村には大きなサンザシの樹がありました。その樹の下で、二人は次第にお互いを意識し恋するようになったのです。でも、反革命分子と断罪された彼女の両親に対する制裁や予期せぬ試練に行く手を阻まれます。
家族が背負った苦難を乗り越えて、幸運にも教職に就く機会を得たジンチュウ。革命の精神に背いて恋愛に浮かれていると知られたら、たちまち非難を浴び、すべてを失ってしまうことになりかねません。
 監督は、甘美な初恋の話のなかに、強烈な毒を埋め込んだのでした。表向きは毛沢東語録を手に文革を支持する一方、裏ではその政治闘争の時代が過ぎ去ることを密かに念じたり、自由と解放を夢見たり。そこには苦難の時代を歯を食いしばって生き抜いた庶民の本音が、ありありと浮上してきます。
 激しい文革の陰で脈打つ生への渇望と人間性の回復こそ、この時代を生きた監督の実感ではないでしょうか。あれから40年たった現在、文革を歴史的な事件として客観的に見つめられるようになったところは評価できます。しかし、チベットやウイグルでの民族弾圧を思えば、まだまだ中国で本作のような悲恋は終わっていなく、現在も進行しているといえるでしょう。いや、日本もうかうかしていると中国の属国にされて、本作が描かれたような社会に逆戻りさせられることだってあり得ることです。
 東電の国有化が検討されるなど、次第に国家社会主義の足跡が、日本にも忍び寄ってきています。本作で涙するばかりでなく、自由でいられること、好きな人と自由に恋愛できることがどれだけ価値あることか、噛みしめて欲しいものだと小地蔵は思います。

 イーモウ監督の新たなミューズとなったチョウ・ドンユィ。チャン・ツィイーのデビュー時と比べて、可憐で透明感を感じさせてくれました。彼女の存在なくして、ジンチュウの純情さは説得力が出なかったでしょう。犯しがたい雰囲気をもった彼女の今後の活躍にも注目したいところです。

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