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映画レビューアーフォーラムコミュの【ネタバレ有り】『コクリコ坂から』 [ 2011年7月16日公開 ]

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●Introduction
 『ゲド戦記』の宮崎吾朗監督がメガホンをとった、スタジオジブリ作品。原作は、1980年頃に少女マンガ誌「なかよし」に連載されていたコミック。ちょっぴりノスタルジックな、だけど今よりずっとエネルギッシュだった1963年を舞台に、高校生の海と俊の純愛と、その両親の青春時代を描く。また併せて、ほどよい距離感で異性を尊敬しあっていた当時の高校生たちを活写。自分たちの聖域である部室棟を死守しようと、学校側に訴える彼らの活動をすがすがしく、活き活きと描く。細かく描き込まれた、当時の風景―様々な船が行き交う海、舗装されていない坂道と立ち並ぶ家々、人と車でごった返した商店街なども見どころ。手書きならではの温かさがこもった画を見ているだけで、当時を知る世代の人は、懐かしさから涙を流してしまうかも。舞台はノスタルジックなのに、若葉のようにフレッシュな人間模様を描いた、ジブリの新たな名作!

 高橋千鶴・佐山哲郎の同名コミックを原作に、「崖の上のポニョ」の宮崎駿が企画・脚本、「ゲド戦記」の宮崎吾朗が監督を担当するスタジオジブリ作品。1963年の横浜を舞台に、16歳の少女と17歳の少年の出会いと交流、まっすぐに生きる姿を描く。声の出演は「岳 ガク」の長澤まさみ、「SP」シリーズの岡田准一、「レオニー」の竹下景子、「死にゆく妻との旅路」の石田ゆり子、「八日目の蝉」の風吹ジュン。

東京オリンピック開催を目前に控えた1963年の横浜。女系家族の長女である松崎海(声:長澤まさみ)は高校二年生。父を海で亡くし、仕事を持つ母・良子(風吹ジュン)をたすけて、下宿人もふくめ6人の大世帯の面倒を見ている。そんな海は、同じ高校に通う新聞部の部長・風間俊(岡田准一)に心を寄せるのだが……。
[ 2011年7月16日公開 ]

コメント(3)

 見終わったとき、宮崎駿はやおはもはや老害でしかないと思えました。シブリとしては、何ら新機軸を打ち出していなく、そこに描かれているのは、東京オリンピックが開催される直前、昭和38年(1963年)という時代へのノスタルジーでしかありません。
 その年、宮崎青年は大学を卒業し、東映動画に就職し、労組の書記となるまさに青春ど真ん中にありました。おそらくは、当時経験した淡い恋心や学生運動の記憶は、団塊の世代の人たちにとって、忘れがたき思い出なのでしょう。
 小地蔵も、学生自治会の役員を経験して、過激派学生に対して、学園暴力反対活動に取り組んだ経験があります。小地蔵の時は、既に学生運動は廃れて、残党みたいなのが残っているだけでした。それでも、作品に登場する小汚いサークルボックスやガリ版印刷の新聞発行などは、小地蔵の学生時代にも残っていて、堪らなく懐かしさがこみ上げてきました。だから原作を書いた宮崎駿の気持ちは、よく分かるのです。
 しかしクリエターがノルタルジー浸ってしまうというのは、お迎えが近い(^^ゞということで、本来なら気鋭の新進に道を譲らなくてはいけないのです。

 そんなおやじ殿の企画を押しつけられるような格好になった、息子の吾郎監督は、「あの頃は良かった」みたいなことをやるのは下の世代として承服できないと抵抗はしたものの、どうあがいてもおやじ殿の懐古趣味に浸っているモチーフを抜け切れません。
 それでも、いろいろと工夫して、自分らしさを出そうとしている吾郎監督の努力は感じられます。
 水彩画のごとく柔らかな空気と光と色どりが導入されて、昭和の雰囲気や作品のテーマである「人を恋うる心」を良く表現していると思います。台詞使いも、吾郎監督ならではのピァアな純情が、衒いもなくストレートに表現されていました。惜しむらくは、自分のモチベーションで描いていないということです。だから、何とか作品背景に太平洋戦争とか朝鮮戦争に目を向けさせようとした結果、戦争でお父さんを失ったことを引きずっている暗い女の子の話になってしまったのです。
 それを挽回すべく、話の軸は、主人公の海が自分以外の誰かを思うことを描いていきます。安易に恋愛ものにしたくなかったので、海にとって、思いを寄せる俊だけでなく、戦争で亡くなったお父さんへの思い、そして自分を大きく包んでくれるお母さんへの思いを感動的に描いていきます。あることで海が母親の胸に飛び込んで、涙を流すシーンは、吾郎監督らしさが良く出たエモーショナルなシーンだと思います。
 但し、恋愛ドラマを回避した結果、俊との関係が薄くなってしまったことが否めません。もしかしたら実の兄妹かもしれないという可能性が高くなって、その証拠の写真が、海の恋心を苦しめます。悲恋がメインのストーリーなら、もっと濃厚に兄妹かも知れないという禁断の恋に葛藤する姿が描かれたでしょう。またこれまでの宮崎監督作品なら、ここで必ず時空を超えた異次元的な展開となったはずです。ところが本作では、兄妹疑惑をあっさり描いているので、なんで今さらこんな因果な話を持ち出すのかと疑問に感じてしまいました。その中途半端さは、まるで「安っぽいメロドラマ」(劇中に出てくる俊の台詞より引用)を見せられているかのようなのです
 一方、学校の古い建物を改築から守る学生運動も、当時としては考えられないくらい穏やかな団交で一見落着してしまいます。これまでのシブリ作品では、対立のなかにもののけも絡んで、派手なバトルを見せるものでした。また当時の団交を知るものとしても、あまりに簡単に決着がついてしまいう過程は出来すぎです。結局は、学生運動も伏線にもならない飾りでした。

 さて、本作は製作が遅れに遅れて、東日本震災を跨いでしまいました。「上を向いて歩こう」というコピーは、何やら被災者を励ますメッセージともとれなくはありません。吾郎監督は、意識はしているものの、特に被災者に対する直接的なメッセージは描かれませんでした。
 但し、劇中に何度も上を見上げる人々の顔が印象深く描かれます。海は毎日、亡き父手向ける旗を高く掲げ、カルチェラタンの建物は高く仰ぎ、遙か高台にあるコクリコ荘への道中は、いつも見上げて登ることになります。当然人々は自然と顔をあげます。坂本九の音楽と映像だけで、「上を向いて歩こう」というメッセージは、描かれていたのでした。震災後の困難な状況に置かれ、足元ばかりを見がちな昨今。その表情の一コマに、国民のひとりひとりが、失ってはいけないものを、思い出させた人ならば、忘れられえぬ作品となることでしょう。
 とはいえ、これまでのジブリファンからの、かなり手厳しい批評を受けてしまうのは、必至だろうと思います。

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