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義侠!三州吉良の仁吉親分顕彰会コミュの初代(寺津)西尾の治助

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父、六角山甚平
寺津(西尾市)在住。
田舎相撲の親方。
(天保四年6月に岡崎市祐金町善立寺境内にて江戸相撲を興行。頭取六角山吉五郎)
天保八年(1837)年6月9日死去。

本名、藤村次助。通称、西尾の治助。渾名「今天狗」(相撲の四股名との説も)。
文政初年(1818)ごろの生まれ。
本職、瓦師。
二十歳の頃、諸国を渡り歩き博打を覚える。
清水に滞在し清水次郎長と親交もあり。
吉良一家初代。

「寺津のすもう、六角山の子に
今天狗という者あり。
勇武絶倫と称す。
ちかごろ東国よりかえり
子弟数百人、
侠名四隣に振ふ。
(中略)顔面蒼白、隆準深眼(りゅうぜつしんがん)、長け常人に超え
額上刀ハンあり。縦横三四寸、あたかも十字の如し。
(中略)治助は三河の人、かつて駿河に遊び
長五の家に寄食する者なり。」(東海遊侠伝、第三章より、明治17年)

「この一家は赤穂義士により有名なる吉良家の領地に起これるよりこの名(吉良一家)あり。
県下においてもっとも面白き歴史を有する一家なり。
幕末嘉永の頃治助なる者西三河に起こりて、
おおいに勢力を振るひ一家をなす。
清水港の治郎長(清水次郎長)はその食客なりしと云う。」
(司法省調査課発行「賭博に関する調査書」吉良一家の項)

嘉永二年(1849)2月13日死去。
墓、西尾市寺津町、養国寺。
(正面)勇応猛進信士
(右側面)嘉永二酉年二月十三日
(左側面)俗名 藤村次助 (行年34歳)

(以上愛知県吉良町博徒研究家冨永氏資料より)

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