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千載和歌集コミュの道因法師の歌  その19

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道因法師の歌  その19


五月五日、菖蒲をよめる
   けふかくるたもとに根ざせあやめ草
     うきは我が身にありと知らずや  (雑歌下 1182 道因法師)

「節会の今日掛けるこの袂に根を生やせ、菖蒲草よ。泥(うき)は私の身にあると知らぬのか。」(松野・片野)

 松野片野の註によると、泥(うき)に憂きをかける。泥をウキと読むのは知らなかった。漢和辞典で「泥」を引いても、そういう読みはなかった。ただ、「ひぢ」とは読ます。次の和歌は「泥」を内包する。

陽明門院、皇后宮と申しける時、久しく内に参らせ給はざりければ、五月五日、内よりたてまつらせ給ひける
   あやめ草かけし袂のねをたえて
     さらにこひぢにまどふ頃かな (後朱雀天皇、『後拾遺和歌集』)

 この和歌では「こひぢ」に「恋路」をかけている。この和歌の方が泥のイメージが明瞭である。
 道因法師の和歌の面白さは、「根ざせ」と「うき」の対比ではないだろうか。松野・片野の註には憂きを泥としてもよいのかもしれないが、それはむしろ、浮きを憂きに掛けているのではないだろうか。その方が読みとしては自然だろう。また、「かくる」と「あり」の対比も歌を面白くさせているのだろう。

 維摩経には「泥中蓮」という言葉があり、汚中の清の意味をつくるが、蓮は菖蒲と異なるものの略同じものと考えてもよい。汚れたイメージの泥、そこに生え出る蓮、菖蒲は泥と一対のものである。


 5月5日の節句には、宮中では邪気払いのために続命縷(しょくめいる)をつけた。 続命縷は香袋を糸、造花で飾り菖蒲を差した薬玉である。

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