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千載和歌集コミュの顕輔の歌  その1  鴬の羽風

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顕輔の歌  その1  鴬の羽風


梅の木に雪の降りけるに鴬の鳴きければよめる
   梅が枝に降りつむ雪はうぐひすの
     羽風に散るも花かとぞ見る  (春歌上17 顕輔)

「梅が枝に降り積もる雪は、鴬の羽風で散るとそれは梅の花のように見える」(イベリコ)

 実に自然な読みぶりである。ただ、実際に花に見えるかどうかは怪しいが、梅が枝に降りつむ雪が羽風に散って花に見える風情は想像可能なものだろう。
 千載和歌集にある顕輔の歌をみると、自然な形に詠んだものが多いように思う。そしてそれらは幾分の高尚な面を含み、その歌を鑑賞する人をして、自ずと首肯せさせられるもののように思う。
 この歌もそうしたものの一つではないか。自然な詠みぶり、そして、この歌は古今和歌集にありそうな歌。顕輔が間隙をぬって見つけ出したテーマなのだろう。 鴬の羽風を詠ったものには例えば次に見える。

   鴬の羽風に花や散りぬらむ
     春暮れ方の声になくなり  (一条大納言歌合)

 この歌では雪の季節は終わっている。むしろ落花狼藉の鴬とでも言えるものである。顕輔の歌は、鴬を恨むような気持ちは微塵も見えず、彼の梅の花への静かな気持、透徹した感性が詠まれている。


藤原顕輔(ウイキペディアより)

藤原 顕輔(ふじわら の あきすけ、寛治4年(1090年) - 久寿2年5月7日(1155年6月8日))は、平安時代後期の公家・歌人。修理大夫・藤原顕季の三男。官位は正三位・左京大夫。六条と号す。

康和2年(1100年)1月に白河上皇の院判官代に任ぜられて以降、院の近臣として昇進した。加賀守や中務権大輔を経て、元永元年(1118年)12月正四位下に昇る。大治2年(1127年)1月、讒言により白河院の勘気を蒙って昇殿を止められたが、白河院崩御の翌年(1130年)関白藤原忠通の娘聖子が崇徳天皇の中宮に冊立されると、中宮亮となり官界に復帰。保延3年(1137年)10月従三位に叙せられて公卿に列し、同5年(1139年)1月左京大夫に任じられ、久安4年(1148年)7月正三位に至った。久寿2年(1155年)5月7日に薨去。享年66。  周辺に優れた歌人が多く、永久4年(1116年)の鳥羽殿北面歌合・六条宰相家歌合や久安6年(1150年)の「久安百首」など、多数の歌会・歌合で活躍し、父から六条藤家の象徴である人麻呂影供(ひとまろえいぐ)を受け継いだ。天養元年(1144年)6月に崇徳上皇から勅撰集撰進の命を受けて、仁平元年(1151年)に『詞花和歌集』を完成させ、奏覧に供した。 『金葉和歌集』(14首)以下の勅撰和歌集に84首が入集しており、家集には『左京大夫顕輔卿集(顕輔集)』がある。

小倉百人一首 79番
   秋風にたなびく雲のたえ間より
     もれいづる月の影のさやけさ  (『新古今和歌集』秋・413)

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