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千載和歌集コミュの慈円の歌  その(5)

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慈円の歌  その(5)


題しらす
   山深みたれまたかゝるすまひして
     槇の葉分くる月をみるらん  (雑歌上 1020 慈円)

「山深い比叡山でまた誰がこうした生活をして、槙の葉からもれくる月をみるのだろうか」(イベリコ)

 慈円は建久三年(1192)、天台座主に就任し、建久七年(1196)までその職にあった。座主就任の大望を遂げ、仏法興隆への大願を成就せんと、山深い場所でその力を振るったのだろう。ただ、この歌にあるように、なんとなく疲れた気持ちを洩らすのは、彼を取り巻く環境が徐々に変化し始めたからだろう。

 慈円が天台座主に就任したのも、兄の九条兼実の力であった。建久元年兼実の娘任子が入内し、朝廷での摂政の地位を得たからである。それ以前から慈円は兼実の支持を得ていたが、それが兼実の実権掌握で慈円を天台座主にまで押し上げたのである。ただ、兼実の実権も源通親と後白河院の寵姫丹後局らの政敵が実権を得て、兼実を追放した。このために、弟の慈円もその地位を追われたのである。

 延暦寺の内部でも派閥的な争いは絶えずあり、座主を意識した争いは慈円をも悩ませたものではなかったか。そうした背景を思うと、こうした歌が慈円の口から詠まれたものであるとも想像がつく。

西行の歌に
入道寂然、大原に住み侍りけるに、高野よりつかはしける
   山深み槇の葉分くる月影は
     はげしきもののすごきなりけり

 慈円の歌が社会でもまれる時の歌であるが、西行のそれはそうした世間との紐帯が少しく外れた所で詠まれた歌のように思える。より個人の内省的な感情の表現ではないだろうか。

(参考)
http://ci.nii.ac.jp/els/110001004395.pdf?id=ART0001181723&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1289050065&cp=

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