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北海道を語る中高年限定サロンコミュの田舎について考える

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はじめまして・・・初めてのコミュニティ参加です。
私は札幌郊外の手稲山のふもとに住んでいますが、自然は田舎のように豊かなのですが、なぜか田舎の雰囲気はありません。なぜなのか。多分、一時的(農業や漁業)な生産活動がなく、生活にもそうした生産活動から引っ張ってくるものがないからです。
自然が豊かでも生産活動や生活が自然と向き合うものがなければ田舎とはいえないのでしょうかねぇ。
そういえば私の故郷はある都市のベッドタウンになっているのですが、農業や漁業が相変わらず続けられています。たまに田舎に帰ると田圃の手伝いもやらされたりします。
こんなところに、田舎の田舎たる所以があるのでしょうか。

コメント(15)

ようこそ。管理人のtakeです。
先週、わたしも郷里に帰ってみました。

耕地の区分が北海道に比べてかなり小さく、鎮守の森や
ケヤキの大木などが随所に残っており、なごめる度合いが
かなり違いますね。保養地みたいな面もあります。

大面積の耕地は効率で押してきた、それで得たものと
失ったものがある…。

都市と田舎、またゆっくり。
北海道の過疎化とか人口が減少して地域が崩壊するかも?とか地域問題の将来はなかなか悲観的・・・

私が一番感じているのは、都会、地方、都市・農村に限らず子どもたちが外で遊んでいる姿をめっきり見かけなくなったことです。どんな空間でも車ばっかり・・・。これは、理屈ではなく心の中で非常に寂しく感じていることです。

今時子どもを産めよ増やせよでもあるまいし、どうしたものかと思いますね。

もう一つ。北海道には自然が豊かで、私もそこに憧れてやってきた人間ですが、なぜか、地方にいっても、田舎という匂いを感じにくいな思っています。これって何でしょうか。

歳もおじさんになってくると、空間が放つ匂いみたいなものに安らぎを覚えたりします。それが北海道には感じにくく、若いときは「北海道は自然が豊かでいいなぁ」と感じることで満足していたのですが、おじさんになってからは、広い大地よりも、土くさい匂いが無いと寂しくて仕方がないのです。土くさい匂いとは、自然が放つものではなく、いろんな人が「自然」に汗水垂らして長年月働きかけるところに出来てくるような気がします。

自然も重要ですが、やっぱり人間の営みがあってこそ、と言う部分をもう少し考えたほうがいいのかなぁと思っています。

草苅さんの進めている「まちの際の森づくり」はそういう土臭い匂いを感じて、いいなぁと思います(参加したことは無いのですが)。

また、思いついたら書き込みます。
グリとグラさん

あの、田舎の、というか田園のにおいがしないのは、
北海道が「近代的合理主義」をそのまま反映している
からだ、と看破した人もいます。

合理主義だけでなく、本来、色々あるわけですよね。
あれっ?僕宛にtakeさんとみかんさんが書き込みしている。嬉しいですね。でも、思いつきで書いただけなのに恐縮です。
しかも僕は田園とか都市や農村問題やそういうことに無学です。

のんびりまちを歩いていて、少し手前に、きれいなお姉ちゃんが歩いていたらどきどきしながら声もかけられないで「あーぁ、あんな人が嫁はんやったら最高やなぁ」とか思いながら、餓鬼の頃から全然成長しないで中年になってしまっているんだと思っているんですねぇ。

でも田舎にはそんな「きれいなお姉ちゃん」が都会のきれいなお姉ちゃんよりもっと艶かしくて手に届かない触れてはいけないものだった気がするなぁ。

こんなつまんないことしか書けませんですみません。

みかんさんは北海道出身ですか。何でみかんさんですか。僕の田舎は愛媛でそれこそ「みかん」しか自慢するものが無いようなところですよ。冬になったらみんなぁ手を真っ黄ィ黄ィにしていましたね。
「みかん」はどこにアクセントをつけますか。み(強)か(強)ん(弱)をよく聞きます、標準語ですかね。私はみ(弱)か(強)ん(弱)です。西の地方では3つの言葉はまん中が高くなります。
テーマと関係ない話ですんません。
「田舎について考える」ってトピックを立ち上げて、皆さんのコメントを読ましてもらって楽しかったです。
でも、考えるのはもう終わりにします。田舎は考えていようといまいとずーと田舎なんですから・・・考えることもあるまいし。

みかんさん、どうも有難うございました。お貞さんもコメント有難うございました。

そういえば、私は札幌の西区平和に住んでいますが、平和小学校の裏山の小川に水芭蕉の群落があります。サンショウウオもいます。娘に教えてもらったのですが、それまで、水芭蕉は尾瀬沼しかないものだと思ってました。自分の足元ってのは知らないことが多いですね。
そうだ、takeさんにも有難うって言うのを忘れていました。
 私が田舎に移住して感じたのは、田舎には2種類あるのではないかということです。
 
 1つは、田舎。そしてもう一つは田舎風。
 
 前者は基本的に生活のほぼ全てを田舎の中で成立させているところ。もちろん、買い物や病院など、近隣の都市に出て行くこともあるが、心の主たる場所が田舎にあり、そこにコミュニティがあるというタイプ。
 
 後者は都市の近くにあることが多く、都市に依存しているタイプ。心の主たる場所は都市にあり、癒しの場として田舎を活用している。週末型田舎ライフもこちらの部類だと思います。
 
 両者を分けるものとして、自然の多い少ないではないように思います。自然の種類が違うように思えるのです。
 
 田舎の自然は人間のための自然ではなく、その自然の中に人間が住まわせてもらっているという自然であり、癒しの対象物である以上に生活であり、厳しさでもあります。
 
 田舎と田舎風、どちらが良いとは言えないと思います。望む人の気持ちにもよると思います。
 
 グリとグラさんが、田舎の雰囲気がないと感じられるのは、グリとグラさんが考えている田舎は前者だけれど、見た目が似ていても手稲は後者なのではないかと思います。
このコミュにおいでいただいたのは初めてですね。
ようこそいらっしゃいました。(^_^)v
若い友人の移住の件でお便りを差し上げたところでした。
ご助言などあればよろしくお願いします。

さて、

>その自然の中に人間が住まわせてもらっているという自然であり、癒しの対象物である以上に生活であり、厳しさでもあります

なるほど、田舎を考えるいいきワードだと思います。わたしがとっさにイメージする北海道の田舎は水田地帯ですが、そこは
大面積を水田にしてしまったので、メガファームのような
風情を見せながら、気象をはじめどこかで森羅万象につながっている、そんな感じです。住まわせてもらっている、と思えるかどうかわたしには微妙ですが、体のリズムと大地のリズムがつながっている、と思えることがままあります。

田渕義男氏の本には「田舎とは田舎人の住むところをいう」と
いう定義が出てきます。そう、都会にもものすごい田舎人が
いっぱいいますよね。田渕氏の本をみながら、寒山の森が、いわゆる田舎だとは思わない。フライと農耕とクッキングとクラフトと読書と執筆と薪割りとで、限りない自給に近い生活をしているのが、もっとも進んでいるように見える。

自分流のこういうライフスタイルを送りたかったのですが、
外れてしまいました。でも、そんな眼差し、憧れはいずれ
別の形でなにかにつながりそう。田舎のチカラさんは、
そこをスパッと入られた。尊敬します。

あ、この書き込みは3ヶ月前のものへのレスですから、タイムスリップしますね。思索の足跡としてとても便利です。
昔のトピックに戻ってきました。懐かしいですね。

4月にこんなトピックを立てたのって忘れてました。

その後、ミクシーもいろいろ徘徊してふざけすぎて怪我もしましたし、なんやかんやらで、最後は、このコミュニティに戻ってくると少しほっとしますね。

田舎のチカラさんが仲間入りですね。よろしくお願いします。

グリグラは最近ますます根無し草の気分です。どこにいても定着している気がしない。そして子ども時代を懐かしんで魂だけそこに帰りたがっている。

心の中ではひょっとしたら死に場所のようなものを探しているのかも知れないと思うことすらあります。深刻な意味では全くないのですが、自然にしても、家族にしても、コミュニティにしても、「ああ、ここで死ねたら最高だよな」なんてものを、人は求めているんでしょうか。

それが、どうも「田舎」と言う幻想をいまつまでも追い求める原動力になっているような気がしてきました。

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