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シャーク◎市屋の面白い話コミュの僕と彼女と就職活動【後編】

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本気で変わらなくては。

決意した私は
不退転の覚悟で夜の世界から身を引き
中華料理店でアルバイトを始めたが
レタス炒飯のレタスを入れるタイミングが早すぎると
高校生のアルバイトに怒られ3日で辞めた。

自分にはミュージシャンを目指す覚悟が足りなかった。
夢を言い訳にし
ただ楽な方へ転がっただけだった。
転がり落ち辿り着いた先が地の底。
どこにも所属していないと状況は時間的には自由であっても
その他の面では不自由ばかりで疎外感に苛まれ孤独で苦しかった。
先の見えない毎日が怖かった。
このまま消えてしまいたかった。
だけどやっぱり彼女に会いたかった。

その為にはやはり・・・

働くしかなかった。
結局、仕事を辞めてから一度もギターケースを開けることなく
再び就職活動を始めた。

就職活動を開始するにあたって
一つのことを心がけた。
それは続けられる会社
すなわち「自分の本当の価値観」にあった会社を
選ぶと言うことだった。
学生時代は時給を基準にして
アルバイトを選んでいたため
自分の価値観は お金>その他 と考えていた。
しかし、実際に働いてみるとそれは違っていて
勤務地>職種>お金 だと気付いた。
よって、愛知県内に本社がある企業で
事務、もしくはルート営業と言う条件で探した。
前職を僅か2ヶ月で辞めてしまっているため
就職活動は困難が予想されたが
あっさりと最初に受けた企業で内定を貰った。

本社 名古屋 職種 事務 初任給20万円

営業職ではない為、前職よりは若干給料は下がったが
一般的な額であり、問題はなかった。

2003年6月下旬。
社会人としてリスタートした。
しかし、これは新たな悲劇のリスタートでもあった。

最初の会社と比較するとビルの1階にスタバはないし
美味しいうなぎ屋も近所にはなかった。
その代わりにビルの隣にはラブホテルが2軒。
環境は悪化したが
配属先は総務部総務課。
1日10km歩いていた営業と比べ
デスクワークは天国だった。
仕事が終わっても
汗かかない。
足痛くならない。
靴底減らない。
の疲れ知らずで
そのまま深夜まで飲み明かしても
体力的には平気な毎日だった。
しかし、入社後1週間も経つと
社内に潜んでいた悪魔は
その正体を露にして行った。

悪魔とは5つ年上の女性上司。
有名女子大の院を卒業し
入社3年目で主任に昇進したエリートで
顔は元ヤクルトの八重樫に似ていた。
入社直後に

「あんたみたいな奴、普通うちの会社に入れないんだからね」

と言われた時から若干の違和感を覚えてはいたが
違和感では済まない明らかないじめの日々が幕を開けた。

仕事で判らない事があり質問をしても
「教えない」と突き放され
それで出来なければ
「何で出来ないの?」と怒られた。
でも・・・と言い訳をすれば
「言い訳するな」と更に責められた。
そして怒りが少しでも表情に出れば
「嫌なら辞めれば?」の理不尽コンボ。
またスカートは無駄に短く
胸元は不必要に緩く
髪をかき上げる度に
袖から臭いそうな脇が
覗くと言う逆セクハラコンボもあった。

この時、漸く面接の際に社長が
根性はあるか?と繰り返し聞いて来た意味と
男でありながら、事務職で採用された理由がわかった。
高校、大学とラグビー部に所属し
体育会系の縦社会で生きて来た為
目上の男性に怒られる事に耐性はあったが
ネチネチと女性にいびられる経験は皆無であり
それは進行性の病の様に私の精神を蝕んで行った。
ちなみに同時期に入社した女の子は2週間で出社拒否になった。
私も心が折れそうになったが、また同じ事を繰り返す訳にも
行かず、必死に耐え抗った。
しかし、この抵抗が火に油を注ぎ
いじめはエスカレートした。
終業直前に故意に仕事を振られたり
1000人分のアルバイトの給与計算を一日でやれと命令されたり
作成したはずの書類が捨てられたり
ものを拾おうと屈んだ瞬間にパンツが見えたり
生き地獄の日々が続いた。

そして入社後2ヶ月が経ったある日。
心より体が先に折れ、入院した。
診察後、3週間の入院が必要と医師に告げられたとき
不安になるよりも先にゆっくり休めることに安堵した。

入院生活は仕事や自分について考えるよい時間となった。
入院当初は「病気になってまで働く必要はない。辞めよう」
と考えていた。
しかし、次に向け

自分は何のために働くのか?
自分の本当にやりたい事って何だろう?
本当の自分とは?

と自問自答してみたが答えが出ることはなかった。
じゃあどうする?
結局3週間の入院生活で答えは出なかった。
しかし、これがある種の答えだった。
要するに辞めたところで人生は変わらないのである。
入院をきっかけに逃げることは可能だったかもしれないが
それが「逃げ」である限り、そこに道はなく
また息の詰まるニート生活に戻るだけ。
それならば働き続けるべきであると判断した。

こうして、私はまた戦場へと戻って行った。
再び戦場に戻った私に部長は言った。
「仕事は淡々とやるものだ。感情は出すな」
社会人デビュー間もない病み上がりの部下に対して冷たく
夢の欠片もない言葉の様に思えるかもしれないが
私にとってそれは凄く重みのある言葉だった。
なぜならその部長は一時は多くの従業員を抱えていた元社長。
本来なら人を使っている立場だったにも関わらず
ほんの少し歯車が狂っただけで
雇われの身となり家族の為に働いている。
年下の社長に毎日の様に無理難題を押し付けられ
面白くない事も多々あるはずなのに
私は一度も部長が感情を露にしたのを見たことがなかった。
そんな部長を見ていると
上司の言動にいちいち苛立っていた
自分が大変小さく、つまらないものに感じるようになった。
部長と違い守るものはないかもしれないが
早く一人前になって彼女に会いたいと言う強い想いがあった。
だから、人に振り回されず淡々と仕事が出来る人間になろう。
そう決意した。

淡々と仕事を進める様になってからは
上司との関係は僅かであるが改善され
決して居心地が良いとは言えなかったが
何とか続けることが出来た。
しかし、どうしても淡々としていられない時がやって来た。

それは忘れもしない2003年12月24日。
奇しくもクリスマスイヴ。
世界中が幸せに包まれるこの日は
生まれて始めてのボーナス日でもあった。
私は一ヶ月以上前からこの日を待ちわびていた。
入社しておよそ6ヶ月。
途中入院もしたが、毎晩遅くまで残業をし1ヶ月休みなく働いたこともあった。
アルバイトが足りないと言われれば、総務部勤務にも関わらず
会社が運営する飲食店の厨房に率先して何度も立った。
社長が出社すれば毎朝必ずコーヒーを淹れた。
支社から研修に来た女の子と一晩を共にしたこともあった。
こんなに一生懸命働いているし
会社の業績は好調。
例え入社1年目とは言え、10万は固いと信じて疑わなかった。
しかし、明細を開けた私は震えた。
そこに書かれた数字は
10万・・・ もなく
5万・・・もなく
3万・・・もなく
2万・・・もなく
僅か・・・

13000円。


定期代より安いじゃねぇかぁあああああああああぁああああ!!!!

私は無職で新年を迎えた。

6ヶ月振りのニート生活。
好きな時間に寝て
好きな時間に起きて
好きな事をする。
あーしあわせ。
と感じたのもやはり最初の1週間。
13000円のおかげで
取りあえず今日明日の食べる事には困らなかったが
将来を考えると不安に押しつぶされそうで憂鬱だった。
1年足らずの間に2社ドロップアウト。
それなりの理由があったとしても全ては言い訳に聞こえてしまい
問題があるのは私の方であると見られることは必至。
もうどこにも就職出来ないと思った。
諦めと焦燥感に挟まれ何も出来ないまま
時間ばかりが過ぎて行った。
傍から見たらナマケモノにしか見えない私に
両親は何も言わなかった。
それが唯一の救いだった。
ただ、ある日テーブルの上に新聞の切抜きが置いてあった。
そこには

「職員募集。○○大学」

の文字。

いつまでもゴロゴロしていないで
職を探せと言うことであろう。
面白そうとは思ったが
大学職員は人気の職業だと聞いたことがあるし
履歴書が真っ黒な人間が受かるわけ無い。
と応募する前から戦意を喪失した。
しかし、無言の親のプレッシャーを避けることも出来ず
取りあえず履歴書を送った。

書類合格。
筆記試験合格。
面接合格。

運良く採用してもらう事が出来た。

2004年4月。
三度社会人としてのスタートを切った。
私が配属されたのはキャリアセンター。
職務は学生の就職指導。
初めは自分に就職指導なんて出来る訳がないと思った。
大学時代に真面目に就職活動を行った経験はないし
就いた仕事は直ぐに辞めている。
これ程就職指導に向いていない人間はいないはずだった。
しかし、そんな考えでは今までと同じ事を繰り返すだけ。
そう思った私は逆の発想を持った。
失敗ばかりして来た自分だからこそ伝えられる何かがあるはずだと。
そして、より専門的に就職指導が出来る様にと
多くの書籍を読み、研修会に参加し
キャリアカウンセラーの養成講座も受講した。
そして、学生の就職に積極的に関わり
一緒に泣き、笑った。
この様に仕事と真剣に向き合っていると不思議と
学生時代に就くとは想像もしなかった大学での就職指導と言う仕事が
どんどん面白くなって行った。

1年が経ち少しだけ自分に自信が持てるようになった私は
彼女の友人に連絡先を聞きメールを打った。
彼女に振られてから2年半が過ぎていた。

現況を伝えると
昔の彼女と同じ柔らかな言葉が詰まった返信をくれた。
ただ、最後にこうあった。


「先月結婚しました」


遅かった・・・
一瞬そう思ったが、彼女にとって
私との関係はあの日で終わっており
タイミングの問題ではない。
認めてもらおうと奮起していたのはただのエゴ。
そう理解した私は
死ぬほどの心の痛みに耐えながら

「ありがとう。そしておめでとう」

と心からの感謝と祝福の言葉を送った。


あれから約8年の時が過ぎ
今でも大学職員を続けている。
毎年新しい学生との出会いがあり
毎日が楽しい。
天職ですか?と聞かれたら
迷うことなく、はい。と答えられる。
しかし、私は天職に出会ったとは思っておらず
「天職になった」と思っている。
あくまで私の持論だが
「本当の自分」などと言う決まった形は存在せず
人間は無色透明の液体。
綺麗な結晶となるか
泥水となるか。
それは全て自分次第。
例えどんな仕事に就いても、真剣に向き合えば
いくらでも輝けるはずである。


学校が潰れない限り
私はこの仕事を定年まで続けるつもりであるが
独身は明日にでも卒業したい。

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コメント(1)

日ロワのデータがないぢゃないか・・・
まぁ、面白いのに。
モデルが悪かったか

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