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雑学を沢山、楽しむ会(^O^)コミュの疑問の扉27「静岡県にあった油田」〔19〕(^O^)

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現在では、茶、メロン、スイカの栽培を主産業としている静岡県榛原郡相良町は、かつて 太平洋岸唯一の油田“相良油田”がありました(^O^)あせあせ(飛び散る汗)
この町は、江戸時代 9代 10代将軍に老中として仕えた『田沼意次(たぬま おきつぐ)』の城が築かれた城下町で、大坂と江戸を結ぶ海上交通の中継基地として栄えましたo(^-^)oぴかぴか(新しい)
相良油田は、1872(明治5)年 徳川家の旗本『村上正局』により発見(^O^)
はじめは、油臭い水が出るということで 調査してたんです(^O^)人差し指
翌年 『石坂周三』が開抗し、採油をはじめます(^O^)人差し指
1874(明治7)年には、日本石油(現:UX鉱日石エネルギー)の前身である 長野石炭油会社により 日本最初の機械掘りが行われました(^O^)
それまでは、勿論 ツルハシとスコップによる手堀りでした(^O^)あせあせ(飛び散る汗)
深さは、109メートルでしたが 明治末期には、180メートルにも及ぶものもあったんです(^O^)あせあせ(飛び散る汗)
中には 21メートル程度で、石油が湧き出す所もあったそうです(」゜□゜)」
採掘の盛んだった1887(明治20)年には、500〜600人の従業員をかかえ 年間721.6キロリットルの石油を採掘しました(」゜□゜)」
採掘量は、年々減少してゆき 最盛期には150本ほどあった採掘井戸は、現在 1つも残ってません(^O^)あせあせ(飛び散る汗)
現在残ってる やぐらは、1950(昭和25)年に開抗された 相良油田最後の 深さ約310メートルの機械掘りのもので、個人宅の裏に残されています(^O^)人差し指
この油田で採掘されたものは、世界的にも希で 精製せずに そのまま車が動いたそうですよ(^O^)人差し指

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