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雑学を沢山、楽しむ会(^O^)コミュの疑問の扉12「線香づくり」?(^O^)

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「日本書紀」に、595(推古3)年の夏、香木(こうぼく)が淡路島に漂着します(^O^)手(パー)
漁民が薪(まき)にして燃やすと、よい香りが たちこめたので 漁民たちは、この木を天皇に献上したそうです(^O^)人差し指
淡路に線香製造技術が導入されたのが、江戸時代末の 1850(嘉永3)年頃だと 言われています(^O^)人差し指
当時、淡路西浦いちの良港と言われ 江井浦(えぶら)には、100数十隻の帆船があり 港をにぎわしていました(^O^)ぴかぴか(新しい)
ですが、冬季は 季節風が厳しく 船乗りの多い江井浦(えぶら)の人々の 暮らしは、かなり厳しいものでした(>_<)
この地域に住む『田中辰蔵(たなか たつぞう)』は、冬季の窮乏を救おうと 泉州(大阪府)堺より 線香製造の職人を連れて帰り、江井浦(えぶら)で製造を 始めました(^O^)人差し指
原料は、主として 九州方面より仕入れしてました(^O^)
また九州は、大量消費してくれる販売先でもありました(^O^)人差し指
その輸送は全て 江井浦の帆船が 行っていました(^O^)手(チョキ)
江井浦の港に 早くから 目をつけていたのは、徳島藩主で 江井浦に藩邸を築き 港の修築を重ね、淡路の富の7割までが 江井浦にあると言われたぐらいの黄金時代を築いたんです(^O^)
が、その恩恵は 船持ちの者だけに 限られてました(^O^)
創業以来 百数十年、線香づくりの伝統をもつ堺の町は、第二次世界大戦で 空襲にあい、壊滅的状態までになりますが 見事に復興し、重工業が発展します(^O^)
一方、淡路では 手作りから 機械製造へと変化し、需要は 年々拡大(^O^)手(チョキ)
大メーカーによる工場進出もなされ、線香づくりで 日本一の生産高を誇るようになりました(^O^)
仏事用線香から、香水入りの 部屋線香、無煙線香、灸線香など 多種多様の線香を作っています(^O^)人差し指

コメント(5)

線香にハマって
いろんな香りを試したけど
1番気持ちが落ち着くのは
白檀の香りでした(^O^)

慣れ親しんだ香りだからでしょうね(^O^)
わぁ(^o^)試してみたいなぁ

香木と、聞いたら天下一の香木が浮かびまふ
蘭奢待ランジャタイは、天下一とゆわれ正式名は黄熟香。
ちょ〜貴重で切り取ったのは足利義満、義教、義政と、土岐頼武、信長、明治天皇。

どんな香りやねん(@_@)

正倉院にありましゅ。
ちなみに蘭奢待には東大寺の文字が隠されているのだ〜。カクレテナイガ(^。^;)
詳しいね(^O^)人差し指
唐招提寺には、とっても良い香りがする“線香”、販売してますよ(^O^)人差し指
確かに 良い香りでした(^O^)
白檀の香り、いいですね(^O^)人差し指
ランジャタイにそんな秘密が(@_@)

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