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日本の城 訪問記コミュの高根城址〜北遠江と南信濃を結ぶ主要街道を見下ろす国境警備の城

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もう前のことですが「道の駅」に夢中になって寄った静岡県の「天竜相津 花桃の里」、そこにあった案内板に「高根城址」、見た途端、行きたい!!!

今日、長年の夢が実現しました

応永21年(1414)、奥山金吾正並びに諸士が「伊良親王」を守護して周智郡奥山に仮宮を設け、葛郷高根の城を築いたのが城の始まりと伝わっています

[参考]
(その1)
1414年は室町幕府(1338年〜1573年)の頃、金閣寺を造営した「足利義満」が死亡したのが1408年、その6年後です 各地で一揆が勃発し、幕府は衰退の一途を辿ります

(その2)
南北朝の時代、後醍醐天皇の子宗良親王(むねながしんのう)とその子、伊良親王 伊良親王の最期は浪合村(長野県)か豊根村(愛知県)であったとか

1505〜28 城主の奥山氏は「今川氏」の配下に組み入れられ、北遠江のほぼ全域を支配下としました

遠州そう劇の頃、今川・徳川・武田のどこにつくかで内部分裂が起こり奥山惣領家は滅亡、最終的に傍系が「武田」の支配下に組み入れられたようです

この高根城は武田信玄・勝頼親子によって国境を守る橋頭堡として大改修されました

1575年 長篠の戦いで武田氏は敗北

1576年 遠江から武田勢力が一掃されるとこの高根城も武田氏滅亡と共に廃城となったようです


(写真 左)
山道を登るとまず最初に見えてくるのが「本曲輪の大手門と井楼櫓」

(写真 中)
二の曲輪

(写真 右)
三の曲輪と二の曲輪はこの「堀切」で隔てられています、兵士の移動手段は土橋だとか

コメント(8)

(写真 左)
本曲輪の矢狭間、弓矢だけで防衛、以後「鉄砲」によって武田氏は滅亡します

(写真 中)
二の曲輪(梯子は別物)

(写真 右)
城外と城内を仕切る「二重堀切」、山城ならではの防御方法です


城とは呼ばれていますがほぼ砦ですね 面積から考えると守備隊200人ぐらいかと

(写真 左)
本曲輪にある裏虎口門、木造です

(写真 中)
本曲輪にある城壁

(写真 右)
三の曲輪

俊之さん こんばんわ 石垣で囲まれた豪壮な城もいいのですが砦のような山城は私は素朴で好きです 岡崎城、足助城、浜松城は管理人がいますからね この高根城は無人でしたよ

現在、この地区は市町村合併により 浜松市天竜区水窪町となっています そしてこの地方を治めていた「奥山惣領家」の名残か「431-4101 奥領家」、「431-4102 地頭方」という字名が残されていますよ

(写真 左)
麓の水窪町

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