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街角の言論人 玉木実のコラムコミュの裁判員裁判・・・押尾学裁判に思う。

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押尾学の保護責任者遺棄致死容疑が求刑された裁判の結果を見て、裁判員の意外な冷静さに驚いた。

なにしろここ数年の犯罪報道と言ったら、「交通事故でも人が死んだら極刑にしろ」と言わんばかりのヒートアップがあったからだ。
残虐な殺人事件が、劇場型に報道される。それはあたかも、サスペンスドラマを見るが如く息を飲むような報道だ。

そのような報道に日常触れていると、この社会の安全に対する危機感がつのり、加害者に対し極刑を持って対処しないと、自らの生活の安全も保全できないように感じてしまうのだろう。
それに答えるように、刑法は改正され死刑等の重大犯罪の長期刑期は長くなり、ついには、重大事件の時効廃止というところまでいってしまった。

だが、殺人等の重大犯罪がここ数年において急増したのではないことは、犯罪の統計を見れば一目瞭然である。この事実はあまり知られていない。
つまり、重大事件は過去においても同じ件数が発生しており、ただ、かつては報道がそれほど加熱していなかっただけなのである。

このような、煽動といってもよい「売れるニュース」の押し売りに、視聴者は加害者に対し、極刑を望むことが当然の人のあり方であるが如く刷り込まれてしまった感がある。

だから、押尾という金も名誉もある有名人が、薬物と情欲に溺れたあげく、罪のない女性を死に至らしめたこの事件は、一般市民にとっては格好の餌食として、押尾の極刑を望む雰囲気があるように感じた。

しかし、裁判員の下した結論は、遺棄致死は成立しないという結論だ。
事実認定では、押尾の救急車をすぐに呼ばなかったことと、被害者の死の因果関係が立証できなかった。立証できなかったというのは、因果関係があるとも言えるし、ないとも言えるということだ。すなわち、遺棄致死の可能性もあるのである。
刑法理論の原則から言えば、このような場合は「疑わしきは被疑者の利益に」というのが大原則である。従って、今回の裁判の結論は、原則に則った順当なものと言ってよいのである。

一般市民感情からすれば、わりきれないと感じた人も多いと思う。裁判員になった方々も、もし裁判員でなかったら、遺棄致死の成立を望んだのかも知れない。しかし、「人を裁く」という重大な任務を背負った責任感から、原則に則った結論を今回の裁判員はもたらしたのであろう。

考えてみれば、世論の雰囲気に押し流されやすいのは、本職の裁判官かも知れない。彼らは、世論に反した結論を出すことで、職業上具体的にしかも継続的な非難を浴びる可能性がある。
だが裁判員は、もし非難を被るとしても今回限りであり、また自分の生活上の不利益までは発展しないのだ。だから、誰が何と言おうと正しいと確信できる結論を望むのだと思う。
裁判員が世論の雰囲気に流されて、重罪判決を連発しないだろうかと、危惧していた私には思わぬ「市民の司法参加」の効果であった。

確かに犯罪は憎い。だが、刑罰として死刑を執行することも構成要件としては殺人罪であり、刑務所に収監することは監禁罪である。
ただそれは、社会の安全を守るために必要な「正当な行為」であるから、その違法性が阻却されるというのが学説の主流である。

つまり、「正当な行為」であると、間違いなく認定された場合のみ刑罰での殺人も違法な犯罪行為ではなくなるのである。
その正当な行為であるかどうかを決するのが裁判なのだから、その裁判にて厳格な「立証責任」を課されるのも当然のことなのである。

これが、「疑わしきは被疑者の利益に」とか「推定無罪」などの、被疑者に有利な刑事裁判の原則を定めている理由なのである。

肉親を失った遺族の悲しみは理解できる。遺族が、加害者に対して極刑を望むことは非難できるものではない。遺族にとっては、加害者の罪状が、殺人であっても、遺棄致死であっても、またたとえ、過失致死であっても、加害者を許せない感情は同じであろう。
そう考えると、遺族や被害者の慰撫のためだけに刑罰を考えることはできないという結論になる。

被害者や遺族の救済は、加害者への刑罰以外の立法措置で検討すべきであろう。

コメント(4)

私も、そう思います。今回の事が、もし押尾学が、亡くなっていて女性の方が、生きていたら、どうなのでしょうか?女性も、薬物常習者…即ち犯罪者ですよね。私は、法律的な事は、分かりませんが、もし、愛する人を殺されたら、その時は、殺したい程憎しみで、一杯になると思いますが、その人が、死刑になっても、何の解決にもなりません。心は、反対に やるせない思いで、一杯になるでしょう。自分に自分以上に、大切な人がいるように 相手にも大切な人がいるんです。極悪人 ヒットラーも、家族には最大限の愛を注ぎました。色々な要素が重なって、事件や事故は起こりますが、どう 受け止めるか、これから先 どうするかが一番大切なのではないでしょうか?過去に縛られ続けると、決して前には 進めません。
玉木です。

ナナさん、コメントありがとうございます。

刑罰が被害者や遺族の気持ちを癒やすと言うのは、多少はありますがそれほどには、大きくはないと私は考えています。

数年前に、九州で酒に酔って家族の乗った自動車を、川に落として死に至らしめた事件が、危険運転致死傷罪に問えるかどうかと言う、裁判が話題になりました。

結局、危険運転致死傷罪は成立せず、過失致死とひき逃げを合わせて16年の懲役になりましたが、危険運転致死の18年に比較して刑が軽すぎると、マスコミは騒ぎ立てました。

しかし、被害者遺族にとって、16年と18年の違いは重要でしょうか。
マスコミが、現法規の最高刑を適用しないのが許せない、と騒ぎ立てるから、遺族もその気になってしまったような感は、否めません。

遺族に、16年と言う交通事故では破格に重い刑になりましたと、説明すればきっと納得して貰えるのではと、感じます。

現在の状況は、あたかもマスコミが刑罰を下すような様相があります。

そのようなマスコミの喧伝が、法理論の原則までも、踏みにじってしまうのではないかと言う懸念から、この投稿をしてみました。

ちょっと追記ですが、死刑についでは、別に論じなければなりません。

私は、死刑廃止論者なので…。

これは、またの機会にゆっくり論じたいと思います。

マスコミの怖さ、恐ろしさ、そこに自分も、加担してる現実…考えても、答えは出ません…また、私も、死刑廃止論者です!

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