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手作りネットプロトコル工房コミュの携帯電話とマンガ

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今日、ホテルでNHKワールドを見ていたら、今日本では、携帯電話で漫画を読むのが流行っているということをやっていました。 最近の携帯電話では、マンガが読むことができ、それだけではなく、小説、映画、音楽など、色々なものを携帯電話を使って読むことができるそうです。 忙しくて本屋にいけなくても、その場でネットでマンガをダウンロードして読むことができますし、場所もとりません。

ですが、それは、本当に便利な事なのでしょうか。 それは、確かに便利な事です。 ですが、そこに大切な何かが忘れられているのではないでしょうか。

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私は、マンガというのは、とても優れたメディアだと思います。 かさばらず持ち運びが簡単で、寝転びながらでもすぐに読めます。 その手軽さは、全く場所を選びません。

例えば、混雑した通勤電車の中でも読むことができます。 これは、忙しい生活の一瞬の息抜きであるためにはとても重要な特徴といえます。 その他にも、授業中でも先生に見つからないように読むことができる程コンパクトであるのも、重要な特徴といえます。 読み終わったマンガはそのまま隣の生徒に伝播していきます。 それは、値段が捨てても気にならない程に安価なマンガ本だからこそ実現できる、リサイクル手法であると共に贅沢な楽しみといえます。

しかし、マンガというメディアの利点はそれだけでしょうか。

映画・音楽・などの大勢の人の協力がなければ成立しない高価なメディアと異なり、マンガでは、完全に一人で独立して作業する事ができます。 これは、とても重要な特徴といえます。 手元に資金がなかったとしても、わずかな食いぶちと自由な時間さえあれば、思う存分、独創的な発想を実験する事ができます。 出る杭は打たれるという閉鎖的な日本の社会のなかで、多様性のある文化を育むために欠かせない特徴といえます。

書き上げた後で、例えメジャーな会社と契約が成立しなかったとしても、落胆する必要はありません。 そこには、自主出版という道が開けています。 これも、正に、マンガが安価で手軽なメディアであるからこそなせる方法です。 これは、音楽を自主的にレコーディングしCDを作るまでの敷居の高さ、映画を作りあげて配給するまでの敷居の高さを考えると、桁違いだといえます。

そして、一度出版されたマンガは、本というメディアの最大の特徴を併せ持つことになります。 つまり、100年〜200年という単位の時を経てもいつまでも読むことができます。 これは、当たり前なような気もします。しかし、旧式の8インチレコードや、ベータ式ビデオ等の旧式メディアを再生したくなった場合、それらのデッキを入手する方法の困難さを考えると、、比較にならないほど優れた特徴といえます。 これは、つい先日まで主流だったカセットテープに録音された音声を、今再生する困難さを考えても明らかだといえませんでしょうか。

私は、ここで、マンガというメディアは、読み手にとって優れているだけではなく、書き手にとっても、非常に良い特性を持っており、それが結果的に、読み手に、独創性に富んだバラエティーあふれる豊富な作品を提供しているのだ、という事をここで指摘したいと思います。

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それが、携帯電話とどういう関係があるというのでしょうか。

その前に、携帯電話で取り扱われる新しい時代のメディアについて説明したいと思います。 そのメディアは、コンピュータで取り扱われ、これまでの本・カセットテープ・CD・ビデオといったメディアとは全く違った特徴を持つメディアであり、全く違った特徴を持ちます。

コンピューターに初めて出会うと、その表現の可能性の大きさにまず驚きます。 それは、既存のメディアのように、文字のみ、写真のみ、という単独の情報だけでなく、音声と文字と写真というように、複数の方法で、より具体的に感覚に迫るものがあるからではないでしょうか。

そして、いざ、それらを使ってみると、どことなく、漠然とした使いづらさを感じる事が多いようです。 その使いづらさは、漠然としており、つかみどころがありません。 私は、現在の日本では、その漠然性とした使いづらさを表現する言葉として 「いやぁ、おじさんには全くついていけない世界だなぁ」と言い表される事が多いように私には思えます。

これは、現在の日本社会を背負っている「おじさん」がついていけないのではなく、この新しいメディアが、既存のメディアにあったような柔軟性を併せ持っていない事に、起因しているのではないか、と私は思います。 そして、これらは、「マルチメディア」という眩しく華やかな言葉の影にかくされている、一つの欺瞞ではないかと私は感じています。


マルチメディアとは一体なんでしょうか。 マルチメディアは日本語では複合媒体と訳されますが、一般的には漠然とコンピューターで扱う映像や文章、音声などの情報を総称して指す言葉ではないでしょうか。 しかし、マルチメディアの正体は、その正体が紙と文字であるメディア=「本」と比較するとあまりはっきりしません。

マルチメディアも、本と同じ様に一つのメディアです。 本とマルチメディアで、大きく異なる点は、本が文字で表されるているのに対して、マルチメディアは、バイトストリームと呼ばれる抽象的な数列で表されることです。 そして、本では紙に記録されますが、マルチメディアでは、紙ではなく用途に応じて様々なものに記録されます。

このマルチメディアでわかりづらい点は、記録される対象によって呼び名が全く変わることです。 例えば、レコードの溝の深さを数値としてグラフ化したものを単層式光ディスクに記録すると音楽CDと呼ばれますが、磁気テープに記録するとDATと呼ばれます。 また、コンピューターに取り込むとMP3などと呼ばれます。 映像データを数値化して音楽CDに記録するとVCDと呼ばれますが、多層式光ディスクに記録するとDVDと呼ばれます。

しかし、どんな種類の本でも基本的に文字で表されているのと同様に、どんなに名前が変わろうとも、基本的に全て単純にバイトストリームと呼ばれる数列で表されます。 どんなに名前が変わろうとも、基本的には同じものです。 一般的にこのバイトストリームの事をデジタルデータと呼びます。

これらデジタルデータは、コンピューターに取り込み、1つの電子ファイルとして管理する事ができます。一旦コンピューターに取り込まれてしまえば、あらゆる作業を全自動で、しかも、手作業では考えられない常識外れの速度で行うことができる点も、これまでの既存のメディアと大きく異なる点です。



ところで、私たちは、誰でもすぐに本を読むことができます。 当たり前なことですが、しかし、それは、何故でしょうか。 それは、本が何百年もかけて少しずつ改良されてきた、誰もが読みやすいと思う形式にのっとって書かれているからではないかと思います。

もしも、目次が本の途中にあり、冒頭に後書きが、後半半ばに前書きが、章立てが7章6章と来た後で、123章、その後に索引があり、その後、偶数章と奇数章を分離して逆順に並べてある本があるとしたら、非常に読みにくいものになると思います。

もちろん、現実の本はそうなっていません。 表紙には本の概要が書かれ、最初のページにタイトル、前書き、目次と来て、本文が降順に並んでいます。 そして、後書き、索引と続きます。 最後のページには必ず、出版社と版数が記録されています。 人は、長年の経験からこの配置を覚えているため、意識しなくともスムーズに本を読むことができます。

コンピューターに読ませるデータの場合もこれと同じことが言えます。 とくに、コンピューターは、たとえ、変則的な形式に出会ったとしても、人間のように自分で構造を考えて元の章立てを起こす事ができないため、 形式は、前もって完全に固定的に決定されている必要があります。 読み込むデータは、本以上に厳密に決まった形式に従う必要があるのです。

この形式のことを、コンピューターの世界では一般的に「ファイル形式(File Format)」と呼びます。

このファイル形式はとても重要でその設計によって大きく特性が変わります。そういう意味では、これまでの、「本」や「カセットテープ」というような、れっきとした1つのメディアと同じくらいの存在意義を持ちます。

ファイル形式とは、本やカセットテープのように実体を持たず、 どことなく、とらえどころがないものです。 しかし、例えば、新しいファイル形式が作られるということの意義は、本が発明される意義、カセットテープが発明される意義、と同じぐらいの重要な意義を持つ事があります。

ファイル形式は1つのメディアなのです。 私は、このことは、どれくらい強調してもしすぎる事は無いと思います。 私は、このことが世の中でもっと認識されてよいと思います。

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問題は、このファイル形式の寿命が、本と比較すると、圧倒的に短命である事です。

ファイル形式の寿命とは聞きなれない言葉です。 本に寿命があるとは聞いた事がありません。 (もちろん古くなって読めなくなることはありますが...) しかし、ファイル形式には、寿命があるのです。 これはどういうことでしょうか。

本であれば、誰でも「からだひとつ」で読むことができます。 しかし、ファイルは、必ずそれを再生する「ソフトウェア」が必要となります。 このソフトウェアは、コンピューター上で、CDに対するCDプレーヤー、ビデオに対するビデオデッキの役割を果たします。

ソフトウェアを作るためには、そのファイル形式に関する情報を知る必要があります。ところが、ファイル形式の開発者(会社・個人・団体)の方針によって、情報を公開していない場合があるのです。 そうすると、他の開発者が自由に再生ソフトを開発することはできません。

それが、私たちに、一体どういう関連があるというのでしょうか。

大きな関連があります。 実は、開発者は、往々にして、再生ソフトの公開を取りやめてしまう場合があるからです。 もしも開発元が再生ソフトの公開を取りやめてしまうと、問題が起こります。 情報を持たない開発者がファイル形式を解析してソフトウェアを再現する事は大変困難な作業であるため、世の中から再生ソフトは消えていきます。 (※1)

もしも、その再生ソフトがなくなってしまうと、特定のファイルフォーマットを使って公開していた作品は全て再生不能になってしまいます。

これは、100年以上保存し、いつでも好きなときに眺めて読むことができる本というメディアには絶対にありえない、大きな欠点といえます。 華やかなマルチメディアという言葉の影に隠された、コンピューターのエキスパートが語りたがらない、大きな欠点だと思います。

そして、これは最終的には、一つの文化破壊の形にもなりえる特徴なのだということを、と私は指摘したいと思います。


ファイルフォーマットの寿命は、様々な要因がありますが、一般的に、MP3(音楽ファイルの一種)の様に、仕様が公開されているデータ形式は寿命が長く安定しているといえます。 逆に、単独の会社などの団体によって独断的に仕様が策定されているデータ形式、例えばSONYのATRAC3のようなデータ形式は寿命が短いといえます。

私は、もっと世の中がこのファイルフォーマットの寿命について認識を深めてもよいと思います。 そして、ファイルフォーマットの重要性について、1種類のファイルフォーマットが、「本」「カセット」 更に踏み込んで 「テレビ」「ラジオ」といった個別のメディアと同じクラスのインパクトを持つのだ、というはっきりとした認識をもってよいのではないでしょうか。

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私がこの文章を書いた理由は、携帯電話が、正に、その仕様が公開されていない再生ソフトの代表的なものだからです。

10人中9人が携帯電話を持つ時代、 デジタル時代到来といわれて久しいですが、華やかなマルチメディアという言葉の影に隠された、様々な危険性にもっと注意を払う必要があるのではないでしょうか。

(2006/7/6)


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(※1)ちょっと待ってください。 開発元が生産を中止したからと言って、突然世の中からソフトが全部のソフトが消えてしまうというのは、想像がつきません。 ビデオデッキのメーカーが生産をやめたとしても、大切に使っていればいつまでも使う事ができます。 再生ソフトも同じではないのでしょうか。

再生ソフトの場合は、これと少し事情が異なります。 ソフトウェア自身も再生ソフトが必要だからです。(これは一般的にOSと呼ばれます。) これは、ファミコンとファミコンのカセットと全く同様な関係です。 ファミコンのソフトを大量に持っていても、ファミコン本体がなければ再生できませんが、同じ様に、ソフトウェアもOSがなければ実行できません。 そして、ファミコンが時代と共に廃れ、今では持っている人が少なくなったのと同様に、ソフトウェアの再生ソフト=OSも、時代の移り変わりと共に廃れていきます。

しかし、ファミコンが廃れたのでドラゴンクエストが遊べなくなるという事はありません。 スーパーファミコン版があるからです。 これは、ドラゴンクエストの開発者が新しい再生ソフトにあわせて定期的に作り変えているからです。 ソフトウェアも、これと同様に、その時代にあったOS基本ソフトにあわせて変化していく必要があるのです。

ですから、開発元が、ソフトウェアの開発をやめてしまうという事は、大半の場合、そのままソフトウェアの消滅を意味します。

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