ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

日本近代史コミュの質問です

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
質問いたします。

明治の産業革命のところです。

1880年代から国の工場を民間に払い下げがはじまり、産業革命がはじまっていったと教科書にはありました。

しかし、1881年に開拓使官有物払下げ事件が北海道で起こっています。

これは北海道では国民が怒ったのに、どうして同じ時期の払下げは普通にできているのでしょうか?

よろしくお願いします。

コメント(2)

明治十四年の政変に係ってくることだと思います。
確かに批判は多かったのですが、大隈重信が天皇からの勅許を得て、明治天皇もまた地方巡業をしたんです。やはり”天皇”の地方行脚は影響力が大きかったのだと思います。
大隈大蔵卿のもとで1880年に出された工場払い下げ概則は条件が厳しく、ほとんど払い下げは進まなかったようです。

そして開拓使官有物払い下げ事件が起こりますが、開拓使長官・黒田清隆が同郷出身の政商・五代友厚に、当時1500万円かけて開発を行った開拓使の官有不動産などをわずか38万円ほどで払い下げることを決定したことが明るみになりました。これは先の工場払い下げ概則の条件を激しく逸脱しています。
払い下げそのものよりも、むしろ傍若無人な藩閥政府の行いに対して世論が高騰したと考えられるのではないでしょうか。

その後、松方正義大蔵卿下で払い下げ概則が取下げられ、個別に払い下げ条件を決める方式を取ったので、1884年ごろから払い下げが進んだようです。


開拓使事件の後にも関わらず、比較的スムーズに払い下げが進んだ理由としては、開拓使事件が1881年に対して払い下げが本格的したのは1884年と期間的な余裕があったあったため、一時高騰した世論が収まっていたこと、また今回の払い下げが藩閥政府関係者に限らず、財閥系を中心に幅広く行われたことなどが考えられるのではないでしょうか。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

日本近代史 更新情報

日本近代史のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング