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サッカー元日本代表の旅コミュの絶望

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 それは突然訪れましてね。ふらふら13歳の時でしたよ、父親の突然の失踪が始まりです。家は小さいながらも一応事業をしていましてね、田舎でしたが家も大きかったし車も3台くらいあったと記憶している。

従業員も4人くらいいたのかな?子供ながらに家はお金持ちなのだと錯覚していました。どうにもならなくなって逃げてしまったのでしょう。ちょうどその日が従業員の給料日でもあり母親が対応におわれていたのを覚えています。

その日から知らない人たちがとっかえひっかえ家に来ました。大阪にいた伯父さんがすぐに駆けつけてくれて一緒に対応してくれた。その時家にあった全財産30万円を姉の学生カバンに入れて姉だけ知り合いのところに行かせたげっそり

そのあとすぐに私も同級生の家にしばらくお世話になった。家族が再び一緒に暮らすようになったのは2カ月後のことでした。

大きな一軒家から6畳二間の借家での生活がスタートした。両親は離婚したが母は名字をそのままにしておいてくれた為、周りには私が片親になった事はそんなに知られなかった。


今になって思えば私を2カ月も面倒を見てくれた同級生の横山さんには本当に感謝している涙。こういう状況が揃いますとね、この出来事をきっかけにたばこを吸ったりバイクに乗ったりという方向に進むにはもってこいだったのですが、私は生まれてこのかた、たばこを吸うどころか真似ごとも、くわえたこともない。サッカーがあったし真面目だったからなんてあるわけもなく、ただ単にたばこを買うお金がなかったげっそり

たばこを吸いたいという衝動にかられる事もなかったけど、ようはグレてる暇などなかったという訳。でも同時に将来に対する夢や明るい未来なんかも持つ余裕もなかったのも事実だった。

当時は今みたいにJリーグつまりプロがなかったから、高校サッカーが私たちの憧れであったし、静岡には清水東をはじめ清水商業、東海一高、静岡学園や藤枝東など言わずと知れた名門校のそうそうたる選手達を身近に見る事が出来たから、子供達が最初に目指すゴールは高校サッカーだったのです。

まさにアイドルだった。しかし現実問題として私には高校進学という選択肢は持てないものでした。それでもサッカーだけは続けていたんだよな〜。私のサッカー人生もここで終わってしまうと思っていたのがこの頃でしたよ。

結局その後の父の消息はわからずでして、生きているか死んでいるかも知りませんし、知りたくもないですね。私が将来絶対にこんな父親にはならないぞとぼやいていたのを今でもはっきり覚えています。てな訳で今回はこの辺で!次回は私の人生を大きく変えた運命の出会いについてぼやきたく思います。

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