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枕もとに本…ゆきをとこ台本集コミュの<小説>ダシカンさん (後編)

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 わたしの目の前に、一枚の葉書がある。

 「あなたの作品は大変面白く読みました。ただ、終わり方がいきなりすぎて、よくわかりません。続きを送ってくれれば、また感想をおくります。」

 返事が来た。そして、かたわらの便箋数枚を見てため息をついた。

 どうも、終わりの方を封筒に入れずに出してしまったらしい。また、やっちゃったか。

 「PS、あなたがダシカンさんと初めて交わした言葉は、なんだったのですか?今はそれが気になって、仕事が手につきません。」

 葉書を裏返せば、わたしがでたらめに書いた住所がそのまま、オウム返しのように書いてある。差出人は、とある有名な作家の名前。
 東の壁に沿って置いてある本棚には、その作家の本が4冊並んでいる。
 全部、同じ本だ。読んだのを忘れて3回も同じ本を買ったことに気付いたとき、ああ、もうそろそろだな、と思って、自分からこの要介護者用マンションに移りたいと申し出た(息子夫婦から、以前からそれとなく切り出されていたんだけど)。
 来月、78歳になる。よくもった方だ。

 自分の書いた手紙の便箋を開いてみた。

「14歳のわたくしは、花のやうとはいかないまでも、そこそこの容姿をしていたやうであり、また家柄もあつて、そのころから縁談などもちこまれていたやうであります。」

 恥ずかしくなってきた。また閉じる。
 その4冊ある本は、引越しのときに全部捨てるつもりで、そのように言ったのだけれど、今わたしの個室に4冊ともある。
 ボケたことを忘れるな、というメッセージかも知れない。息子から、あるいは空の上からの。その本は、もう怖くて読めない。
 視界にその本が入るのさえ嫌な気持ちがして、作者に嫌がらせをしてやりたくなった。
 だから、嫌みたっぷりの押し付け的私小説を送ろうとした。

 苦情や悪意の手紙より、リスクが少ないぶんタチが悪い。

 少し興奮してきたので、また手紙を開く勇気がわく。

 「お父様は女学校行きもしぶしぶながら認めた、というやうな感じで、(女が学校に行くなんて、と言う時代でした。)わたくしはこの学校ではじめて、友達と言ふものを得ました。でも、わたくしは傲慢にも、この友達たちのことを内心「つまらない」と思つて居ました。しゃべることと言へば、どこそこのお嬢様の噂話、昨日海軍の将校さんとすれちがつた、隣町にある男子校の野蛮なこと」

 本当に嫌がらせをするのは少し怖かったので、宛先はでたらめに書いた。有名な作家だから、それでも届くかもしれない。届かないかもしれない。それくらいがちょうどよかった。
 差出人の住所はこのマンションではなく、この前まで住んでいた、今は息子夫婦が独占している家にしておいた。面倒があってもアタシャ知らんとボケればいい。そこはかとなく、息子たちへの嫌がらせも含まれている。
 その家から転送されてきたのがこの葉書だ。
 

 「ダシカンさんはもう70に近くなつていたはずで、職工場はやめて、近所の手伝いをして小銭をもらうやうになつて居ました。ニコニコとした仏様の顔はそのままでした。
 学校に通うわたしは、ダシカンさんの顔を見ることが少なくなつて、友達にどう話を合わせるか、と言ふ日々の課題に、かつての親しみが覆い隠されていきました。
 わたしたち女学生はまだ子供のイタズラざかりで、毎日面白いことは無いかと小さな頭を寄せ集めていました。
 そんな折、わたしはダシカンさんのことを話題に出してみました。ダシカンさんは彼女らの好奇心をくすぐったやうです。」

 72歳になる作家に「お若い方」と皮肉を書いたのは、まだその嫌がらせの気分が残っていたからだ。というのは、書き出してからは夢中になって、小説めいた作文にのめりこんでいったから。思い出に、と言った方が正確かも知れない。

 ここで葉書の字をじっと見る。そしてニヤニヤしてしまう。
 どう見ても、年寄りの字と文章ではない。何十枚の年賀状を何十年も読んできた目にはこのくらいのこと、すぐに分かるのだ(その目もここ20年、四捨五入すると30年、老眼鏡に頼っているのだけれど)。
 無理して毛筆を使っているけど、これは筆ペンだとすぐに分かる。ボールペンでいいのに。
 同姓同名の誰かが、続きが気になって返事を出す気になったのか。あの作家のふりして。ということは…わたしの手紙、面白かったんだ。
 もしかしたら可愛い男の子かも知れない。こんなお婆さんにも色気はあるのだ。

 「仲間3人で、そのダシカンさんをからかつて見やうと言ふことになりました。作戦は他愛のないもので、ダシカンさんに一人が声をかけて、そこに残りの二人が「変なおぢさん、変なおぢさん」とはやし立てることになっていました。
 (話は変わりますが、後年テレビで清水さんだか志村さんだか、喜劇役者の方がしきりに「変なおぢさん、変なおぢさん」とやつているのを見て、わたくしはこのことを思ひだしました。)」

 テレビのくだりは要らないな。わたしは手紙の後半を推敲し始めていた。もっと面白く、もっと読みやすく、でも事実からは離れずに。

 「段々になつたみかん畑の中腹に、ダシカンさんは座つていました。たぶん、「今日は仕事は無いよ」とでも言はれたのでせう。畑の向こうに遠い港の町並みがあつて、湾になつた小さな海がキラキラと光つていました。
 わたくしが声をかける役目でした。ダシカンさんの横顔の、その上の方は、4歳のときに見たよりだいぶ薄くなつて居ました。わたくしは、4歳から14歳になつた年月を思ひだして、急に胸がしめつけられたやうになりました。

 仲間たちの手前もあります。わたくしは意を決して、声をかけました。
 「ダシカンさん、これあげる。」
 わたしが差し出したのは小さな青いみかんでした。農家の人が間引いて畑に転がつてたのを、拾つてきたものです。もちろん食べられず、なんの値打ちも無いものです。
 ダシカンさんは少しびつくりしたやうな顔をしました。でも、ふんわりとあの、仏様の顔になると、
 「ありがとう。」
 意外にはっきりした口調で言ひました。
 自分が急速に4歳に戻つていく感覚を、今でもはつきりと覚えています。」

 「遠くで見守つているはずの友達ふたりが、背後に居ました。
 『誰かーーーー!ちかんよおーーーーー!』
 『女学生が乱暴されてるーーー!誰か来てーーー!』
 わたくしは唖然としました。打ち合わせの言葉は「変なおぢさん」じゃなかつたのか。そのうち、騒ぎを聞きつけた農家のひとたちが上がつてきました。
 わたくしは、わたくしより唖然としているダシカンさんを置いて、走つて逃げました。友達二人は、とうに居ませんでした。」

 「その日のうちに噂は町を駆けめぐつたやうです。夕食の膳で、まだ何も知らないお父様を前に、生きた心地がしませんでした。
 そのうちに、乱暴に門を叩く音が響きました。女中が門を開けると、数人の憤つた声が聞こえてきました。

 『おい!ダシカンがそんなことするわけねえ!』
 『お前んとこの娘が、でたらめ言つてるんだ!』
 『ダシカンさんをいじめて、何が楽しいのさ!』

 町の人たちの声でした。お父様が応対に出て、いろいろ聞いています。いま、ダシカンさんが警察署に居るらしいことも伝わつてきました。

 このときはじめて、自分が何をやつたのかをはつきりと思ひ知りました。

 もちろんお父様にはぶたれたけれど、今度はあの笑顔を思ひだすと余計つらくなつて、ただ時間の過ぎるのを待つていたことを思ひだします。

 このことが原因が分かりませんが、わたくしは女学校をやめさせられ、東京に引越してきました。前より小さなうちでした。
 2年もするとわたくしは適当な家に嫁がされ、姑との関係に苦しみつつ」

 この箇所は削ろう。年寄りの苦労自慢なんて誰が聞きたいものか。現にわたしが聞き飽きてる。あのデイケアコーナーの年寄りたち、なんとかならんのか。
 それでも「はい、はい、大変でしたねえ」と合わせなきゃいけないのが集団生活なのだ。なんだ、女学校のときと変わらないじゃないか。
 わたしは、頭の中が急にクリアになっていくのを感じていた。うわあ、クリアなんて英語使っちゃった。

 「ですから、わたくしがダシカンさんと言葉を交はしたのは、ただの一度きりです。その後ダシカンさんがどうなつたのかはわかりません。ただ、不幸になつたのなら罪はわたしにある、その思いは消えませんでした。
 一度、逃げた友達とばつたり会つたことがあります。もう70代も後半を過ぎたころでした。友達がやけに馴れ馴れしいのにくわえて「ダシカン事件」を覚えて居なかつたことに腹をたて、わたくしも、「ところで、あなた、誰ですか?」と言つてやりました。
 そのとき一緒にいた息子夫婦が、それを聞いて青ざめた顔をしていたのを覚えています。いよいよか、なんて言つて居ました。

 思へば、わたくしはちゃんと罰を受けたのかもしれません。」



 ここで終わりにしよう。スパッと終わった方が切れがいい。今は…(老眼鏡をかけなおして)午後11時か。
 まだ感じのいいヘルパーさんが居るころだ。書き直した便箋を丁寧に封書して、詰め所にいこう。詰め所じゃない、給湯室だ。
 隣の婆さんは、また下駄を出しっぱなしだ。

 「あら、まだ起きてたんですか。」
 これは新人の若い女の子。それに若い男のヘルパーさんもお茶を飲んでいた。なんだろう、急に入ってきたわたしを見てハッとしたようだけど。
 ああ、あんたたちもしかしてそういうアレ…と言いたいのをぐっとこらえて、この封筒を出して欲しいと差し出す。
 「へえ、ラブレターですか」
 男のヘルパーが笑って言う。そんなとこです、というと女の子がきゃーっと沸く。それじゃ確かに頼みましたよ、ええとあなたの名前は…?
 男のヘルパーが答える。

 「…小説家と同じですねえ。」
 「ええ、よく言われます。漢字まで一緒なんで」カッコワライ、と今の人ならつけるだろう顔をして、そのヘルパーさんは封筒をおしいただく。
 「事務局に頼んでおきます。」

 …そのまま、読んじゃってもいいんだけどね。その言葉もぐっとこらえた。
 名前が同じというだけで、まだ彼と決まったわけじゃない。もし彼だとしても、こちらとしては残り時間の暇つぶし、謎にしといたほうが長持ちする。

 見るなよ、封筒の宛先のとこ…と心配になったが、男のヘルパーさんはその封筒を書類入れにはさんで、すぐに若い女の子のほうに向き直った。大丈夫だ。


 若い女の子の「おやすみなさい」という声を「さっさと出て行け、邪魔なババア!」という言葉に頭のなかで変換して、にんまりしながら廊下に出る。
 あの様子じゃ、まだ手もつないでないな…ひとつ応援してやるか。
 何かにつけてからかうという方が面白そうだ。よし、嫌われようじゃないか。

 まだイタズラ気が出てきた。
 廊下に出してあった下駄を、勝手に履いて歩き回ってやろう。
 どうせボケ老人なんだ、このぐらいの自由はあるさ。

 廊下に響いた音は、もちろん、


 ダシッ、カン… ダシッ、カン… ダシッ、カン…


 おわり
 

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