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英国古代遺跡研究会コミュのヨーロッパの新石器時代と巨石文化

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 新石器時代と言うのは、従来の生活様式が社会的、経済的に一変した時代で、食料の自給、集落の形成、磨製石器と土器の発明、農耕に付随する信仰や祭儀の様式が確立された時代として非常に重要な意味を持つ。紀元前6000年頃、ギリシャ北部バルカン地方にヨーロッパ最古の新石器文化が出現する。
 
 牧畜と農耕が新石器時代の生活基盤である。新石器文化は二つのルートでヨーロッパ全域に広がりを見せる。其の一つは地中海ルートと言われる海流に乗り筏で海を渡る海洋民族と、もう一つの北西ルートと呼ばれる欧州陸地を家畜と共に遊牧をしながら移動する狩猟民族と思われる人達である。
 新石器時代の文化は、前期の農耕、牧畜が始まった頃。
中期は文化の成熟期。後期は其れが拡大して多様化して行く時代、の三段階に別ける事が出来ると言う。
 もしも、巨石文化がヨーロッパ大陸での発祥文化ならば、巨石文化の伝播は新石器時代の後期と考えられる。

 成熟した巨石文化が、人々の移動と共に伝播されて行く過程を辿り、ブリテン諸島迄伝わったと思われる。
そうして見ると、ヨーロッパ大陸で太古の巨石建造物の遺跡が残っている地域が、巨石文化の発祥地と言う事が出来るとも言える。そうなるとフランスの古代ブルターニュ地方が最有力と言う事になるのだが、はっきりした事は判らずに、現在でも巨石文化の発祥の地は明らかにされていない。それぞれに世界中各地で、自然発生的に巨石文化が生まれたと言う考え方が最近注目を集めているのだが、私には偶然に各地域で自然発生したとは思えない。

 紀元前4000年頃、メソポタミアの都市と呼べる地方では、遠隔地と交易が行われていた都市国家とも言える所が出現している。これは海上交通が普及していたと言う事だ。
 一方、紀元前4000年頃の同時期に、ヨーロッパで農耕を主とした人々の集落寿命は、20年から30年で、10年ごとの再建を2〜3回繰り返す、其の後、他の条件の良い所へ移住する。30〜35世帯、人数にして200人ぐらいの集団と考えられている。これは人々の移動と文化の伝播を意味している。其々の異なる利点を持つこれらの集落は、交流によって互いに足りない部分を補い合い、集落の場所の多様化と数の増加に伴い、人口が急増したと考えられている。

 紀元前4000年頃に、スカンジナビアから地中海地域に及ぶ、広範囲の地域で壕に囲まれた囲い地がたくさん造られた。
この円形の囲い地については判らない事が多いと言う。
私は密かに、この【囲い地】と言われるのが「ヘンジ」の原型になったと考えている。
 ここで忘れてなら無いのが、新石器時代に入って初期農耕が伝わる以前から、旧石器時代に氷上を歩いて渡って来た、漁労と狩猟で生活を立てていた海岸部に住む人々も居たと言う事だ。ブリテン諸島のスコットランドには、氷河期の終わる紀元前6000年頃に、既に人々が定住していた事が遺跡で明らかにされている。石器等の石の文化は生まれて育まれている。
この事実は人々の移動が、南から北への一方通行では無いと言う事だ。

 紀元前4000年頃、フランスには野生の牛が生息していた事が確認されている。農耕はしていなくとも、野牛等の野生動物の家畜化は充分に考えられる。
 紀元前6000年頃から北欧で氷が溶け終わり、海面は130メートルも上昇した。紀元前4000年頃、氷河期は終わりを告げ、海面はほぼ現在と同じに成ったと言う。

 ブリテン諸島のブリテン島西南部のコンウォール半島には、フランスから渡来して来た人々が造ったと思われる、ブルターニュ地方色の色濃いドルメンと言われる巨石建造物が幾つか、古代遺跡として現存している。しかし、コンウォール半島には、巨石建造物と言えるストーンサークルは存在しないのである。ストーンサークルは一箇所存在するが、巨石とは呼べない石で造られている。イングランドのストーンサークルとして巨石建造物と言えるのは、ストーンヘンジとエイヴブリのストーンサークルの二箇所のみである。

 フランスのブルゴーニュー地方を中心とするドルメン等の墳丘墓や、カルナックの立石並列に代表されるアリーヌマンの巨石文化と、スコットランドのカラニシュの立石や、ストーンヘンジ等のストーンサークルの巨石文化とでは、巨石建造物遺蹟の造り方の違いが見て取れる。
 私は如何しても、南と北の御互い違う思考を持つ、異なった二つの巨石文化の様な気がしてならない。
其処にはスコットランド、イングランド、ブリテン諸島の巨石建造物と、フランスのブルターニュ地方を含む南欧と言う大陸型の列石はカルナックの列石が代表的な巨石建造物と言う二つの図式が浮かんでくる。
 私の推理は北と南のお互いに違う石の文化が、ブリテン諸島で遭遇し、融合して新たな巨石文化が生まれた。其の根拠はエイヴブリのアヴェニューと言われる参道に立ち並ぶ列石や巨大なストーンサークルとストーンヘンジの二つの遺蹟が証明していると思う。

 ?石の信仰を持つ人々がソールズブリ平原で出遭い、巨石文化の最盛期を迎えた。?ソールズブリ平原で花開いた巨石文化が、北上してスコットランドの遺跡を造った。?スコットランドの巨石文化が南下してソールズブリ平原で開花する。

 何れかの一つと考えられるが、1の場合は巨石文化の根源は北と南に二つあり、ストーンヘンジのある地域で出遭い、融合して巨石建造物を完成させた。2の場合はストーンサークルに関しては巨石文化の発祥はイングランドと言う事になる。3の場合は逆にスコットランドが発祥の地と言う事になる。

 巨石建造物として見るストーンサークルの数は、圧倒的にスコットランド地方に多く、各地に点在している。
北欧スカンジナビア半島辺りから南下した人々が、ストーンサークルと言われる環状列石という巨石文化を生み出したと私は考えている。不思議な事にイングランド地方には、ストーンヘンジとエイヴブリのストーンサークルと、一箇所に古代遺跡が集中していて、しかも巨石を用いたストーンサークルは、この二つしか現存していないのである。
 南と北に住む太古の人々が、自然界の石の不変性に対する同様の文化と言うか、石への信仰が芽生え、異なる地域で自然発生的に石の文化を生み出した。石の文化を携えた人々が片方は南下し、一方は北進する。この南と北から移動した人々が、巨石の文化を携えていたかどうかは知られていない。
 しかし、南北に細長くつながるブリテン諸島の何処かで、南と北の文化が遭遇したに違いない。この人々の出会いと融合は何時の時代か定かで無い。
 ブリテン諸島の各地に残された、数多くの巨石建造物の古代遺跡を見てくると、新石器時代に石の文化が伝播され、何らかの影響を与えた事は否定出来ない。
 
 文化の伝播の常道、海の道、海流に乗っての文化文明の伝播は、現在広く信じられている。いずれにしてもストーンサークルに関して言えば、私は巨石を利用した建造物と言う点に於いては、ブリテン諸島ではスコットランドが、私は巨石建造物の遺跡の数からしても「巨石文化の発祥の地」と言う事が出来る様な気がしてならない。

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