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英国古代遺跡研究会コミュのNO64【夜霧を纏う幻想的な巨石】

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Easter Aquorthies Recumbent Stone Circle

イスター・アクウォシス?・リカンムベント・ストーンサークルと言われている有名な遺跡だ。
 ここは二年前に一度、日帰りで訪れている遺蹟だ。
 ハイランド地方のスペイサイドと言われるクレガラヒ・ホテルで仕事していた時に、休日を利用して訪ねて来た遺跡だ。ヒストリック・スコットランド管理の有名な遺跡で、地図にも大きく出ていて目立つ遺跡だ。

 Inveruieの町を抜け遺跡に向かう途中から、濃霧が立ち込めてきた。遺跡に向かう田舎道に入る。この遺跡の駐車場で、今夜は野営するつもりで訪れた遺跡だった。駐車場に車を止めると、ノット・オーバー・ナイトと書いてある。
 有名な遺蹟だけに、満月や三日月、朝日や夕陽に映し出される遺蹟の、巨石の写真を取る為にたくさんの写真家が、この駐車場で夜明けを待つのだろう。其の為の対抗処置らしいが、今は季節外れで人一人いないし、駐車場にも一台の車も無いのだが、諦めて濃霧の為遺跡には向かわず、仕方ないので隣の森林公園の駐車場に移動する。遺跡の写真撮影は、前回の訪問で済ませている。

 後は寝るだけと、特製の銀作りのウイスキー・ボトルに入れて来た、スぺイ・サイドのシングル・モルト、グリン・リベットを呑む。今回の旅は18年物を詰め替えて来た。初めの一杯目は、ストレートで飲(や)る。堪りませんな、こくのある味わいと芳醇な香り。今朝よりの長旅、ドライブの疲れも忘れてしまいそうだ。割合は一対三、沢水で割る水割りも格別の味だ。
 日本で飲んだら、代金は幾ら取られるのだろう・・・等とついセコイ考えが湧いてくる。

 辺りは濃い霧に包まれて、如何やら、今夜の遺蹟に昇る三日月の撮影は不可能の様だ。ラジオから聞こえてくる、バグパイプの音楽に耳を傾けながら、ナッツのつまみで一杯やりながら時を過ごす。午後の十時頃、霧が晴れて来た。
 遺蹟を撮影するには充分の明るさだ。車で五分ほどの距離の遺蹟に車で向かう。

 巨石は自然森林公園のその奥の森に、悠然と立っていた。
 森林を抜けた高原の一寸小高い畑の中に、このストーンサークルは微かに昔の面影を残し、急速に姿を消す濃霧の中で、寡黙に鎮座していた。
 紀元前三〇〇〇年頃のものと思われているが、現在は回りに高さ八〇センチぐらいの大きな壕を巡らし、その中に直径一九、五メートルのストーンサークルがある。円周上に九個の巨大な立石を配し、明らかに祭壇と見える石組は、二本の巨石を両側に立て、その間に大きな祭壇石の巨石が横たわっている。サークル内は芝生だが、中央に丸い穴のような物があいている。この地域ではストーンサークルと言えば、円周上に祭壇石のあるこの形が普通の様だ。祭壇石のあるストーンサークルは、ブリテン諸島の南方のイングランド地方では、余り見られない独特の形式だ。

 この地域は、スコットランドの北海側(東海岸)にあり、定説になりつつある、太古の人々が巨石文化を携えイベリア半島からフランスのブルターニュ地方を通り、ブリテン諸島を北上しながら、巨石文化を伝播したと言う説は一つの仮説に過ぎないと私は思う。

 ブリテン諸島に辿り着いた、南から来たイベリア人達は、コーンウォル半島に上陸、その後アイルランド海を暖流に乗り北上したと私は推理している。

 古代の巨石文化の分布を見て来ると、この時代は現在より海水面は上昇していたと思われ、現在のウエールズ地方は海に囲まれた島だと考えられる。
 太古の海の旅人はブリテン諸島を西海岸沿いに、海流に乗り北上したと思われる。何故、北海(東海岸)側をドーバー海峡に沿って北上しなかったのだろうか?
 確かに現在より英仏海峡は、海水面上昇の為に英仏海峡の幅が広かったと思われる。それと北海を南下して、英仏海峡に流れ込む寒流が暖流に流れ込む為に、流れがアイルランド海よりの海流が強く、航海し難かったと私は推理しているが、案外、真相は地球儀を見ると判るが、単純にアイルランド海を北上した方が、距離的にも近いと言う事だけかもしれない。結論は英仏海峡を古代人は北上しなかったと言うことだ。

 私が言いたいのは、スコットランドの東海岸側に位置するこのグランピア地方に、巨石文化を築いた人々は、南から来た民族が伝えた巨石文化ではなく、スカンジナビア半島から南下して来た、北から南下して来た人々が携えて来た、北の文明では無いかと言う推理だ。
 私はブリテン諸島の巨石建造物の文化は、北と南の巨石文化がブリテン諸島で融合したと推理している。

 定説と成りつつある南欧の巨石文明が、スカンジナビア半島まで北上して巨石文化を伝播したとは、私には如何しても納得できないのである。
 デンマーク半島やスカンジナビア半島にも同時代に既に巨石文化は育まれて居たのである。このリカンベントト・ストーンサークルは古代ケルト族の祭壇跡で、この聖域は自然界の全ての物に精霊が宿ると信じていた、ピクト族の重要な儀式の場所と私は考えている。

 太古の昔より、連綿と続く古代ケルト民族の儀式の重要性をピクト族が継続して、このサークルを使用したと思っている。この地域には古代ケルトの文化を伝承した人々が、太古の昔から住みついていたと私は考えたい。
 特に有名なこれらの二つの遺跡を見ただけで何とも言えないが、この形式の祭壇跡と見られている巨石遺構は、南を背にして北向きに造られている。

 ピクト族が日本のアイヌ民族が行っていた「熊の霊送りの儀式」と同様の「獣の霊送り」的な儀式を、満月の月の出に合わせて満天の星空の下に人々が集まり、神々に感謝する神聖な儀式が執り行われていたのでは無いかと私はロマンティクに想像して居る。私はピクト族の文化はケルト族の影響が色濃い、ケルト族の源流はヨーロッパのドナウ河流域のドナウ文化圏に属する物と思われると考えて居る。
 この遺蹟も大きい、そして美しい。祭壇石と立石のバランスが取れている。手入れも行き届いて居るが、人工の手は余り加えられている様には見えない。
 祭壇石の前で三脚を立て、セルフタイマーで自分の写真を撮影する。一人旅の為に巨石と一緒に撮った写真は、この写真だけである。

 午後の一〇時半頃、遺蹟に四人の訪問者があった。
 私も驚いたが四人も驚いた様だ。二人は遺蹟の管理人の様にも思えた。犬を連れて散歩がてら遺蹟に来て、奥さんだと思われる人が、遺蹟内の動物の糞を取り除き、後の二人は民宿の客らしい。民宿を経営していて、遺蹟の管理もしている様に思えたのだが、ボランテアの可能性も在る。
 未だ辺りは薄明るいとは言え、夜の十一時頃に淋しい遺蹟に来る人は珍しい。私もその変人の一人だとは思うのだが、私は写真を撮る為と言い訳しても、夜中の十一時では言い訳になら無い。

 薄霧の残る遺蹟の写真を沢山写し、取り敢えず先程の森林公園の駐車場に戻る。明日の予定をざっと調べる。オイル・ランプは必要無いみたいだ。
 本日の走行距離、二八七マイル。キロ数に換算すれば四六二キロになる。 

 腹が空いて海苔御握りを二個食べ終わり、パイプ出して火を付けると本格的な雨が降って来た。既にウイスキーは無くなっている。ラジオをかけながら眠りに就く。
 夜半雨音と寒さで目覚め、寝袋を被る。

遺跡の写真はwww.stonepages.com でご覧下さい。


コメント(2)

スコットランド、グランピアン地方の有名なストーンサークルです。
やっと写真を公開できました。
リカンベント・ストーンサークルと名付けられた、この地方独特の横たわった石のあるストーンサークルです。横石の上を月が移動する様を観測する為の横石と言われている。

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