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☆kathy☆コミュの武満徹作曲賞 本選演奏会

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こちらではまったく話題になっておりませんが本日ですね。
みんなで☆kathy☆さんの健闘を祈りましょう。


ついでにブラボー部隊に参加のみんなも頑張ってください。

コメント(16)

とりあえず、貼っておかないとね。

http://www.operacity.jp/concert/topics/080525.php
おまけに☆kathy☆さんとこのコミュニティの管理人さんのツーショット写真です。

他の人も写真あったらぜひアップしてください。

>やまもとたいしさん
三輪さんいわく「ブルァアボッ!!」位がいい感じらしいですよ。
少し、今回の☆kathy☆さんの作品についての有識者の皆さんの発言をアーカイブしておきます。

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三輪眞弘教授のメールよりブラボー部隊募集趣旨
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今回のイベントの重大性を解説します!
武満徹の名を冠したコンクールは言うまでもなく、現代の、
西洋音楽の洗練された/シリアスな音楽の日本における最高峰
であることは歴代の国際的な審査員の名前をみれば一目瞭然。
そして、ついに(いまさら!)アメリカの実験音楽と呼ばれる
フィールドから審査員としてライヒが選ばれた。まずこの点が
画期的。なぜならヨーロッパではジョン・ケージ以外彼らは、
よく知られていたにしても、無視/特別視されてきたに近いから。
そして音大の作曲科ではなく、IAMASで学びシステム管理も勤め
電子回路も操る松本祐一の音楽がノミネートされた。これは
オペラシティーのコンサートホールで演奏される楽曲として
絶対に今まではあり得なかった、音楽界を揺るがす出来事
なのです。5月25日は日本が変わる日になるかもしれません!

http://www.operacity.jp/concert/topics/071205.php

既に大垣はもちろん新潟、京都などからも参加表明がありましたが
引き続きブラボー隊員募集、ということで・・
当日、昼3時にICCのカフェ集合。
アイスカカオを飲みながらゆるく作戦会議(役割分担など)。
その後、オペラシティーの長い石段で練習。その際、
日本人の不得手な「Bravo」の「R」の発音などを中心に
発声、アクセントの練習をします。3時45分頃入場!
み闘
わ魂
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イアマスのwebsiteに掲載された受賞の記事。
京都大学大学院文学研究科 思想文化学専攻 美学美術史学専修 美学芸術学
吉岡洋教授のコメント。
早稲田大学文学学術院教授 横浜市芸術文化振興財団理事
小沼純一氏のメモ
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2008年度武満徹作曲賞 [ ライヴ/コンサート ]
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作曲のコンクールでこれだけ聴衆が多かったのは珍しい。
やはりスティーヴ・ライヒの単独審査だからだったろうか。
2008年度武満徹作曲賞の本選会。
演奏はアンサンブル・ノマド、指揮は中川賢一。
これまで何回もおこなわれてきたが、基本的にはオーケストラ作品だった。
しかし今回はアンサンブルで、というライヒの基準が提起され、
さらにエレクトロニックなプラスαもあり、というもの。

オーストラリアのダミアン・バーベラー(Damian Barbeler)《God in the Machine》
と
メキシコのトーマス・バイレロ(Tomás Barreiro)《La Noche de Takemitsu》は、
おもしろいモメントもないではないが、
正直、それほどクオリティが高いとは思わなかったし、
タイトルでわかってしまうというところもないではなかった。
面白いのは、前者、スネアドラムがスピーカーの上に載っていて、振動する、
不思議なリズム(?)だろうか。
後者ではけっこう唐突なミニマル・パッセージとか、
恥ずかしくなるような《海》の引用とか、これでいいのか?と思っていたのも事実。
ただ、ギターのならし方はうまい。本人もギタリストだけのことはある。

松本祐一《広島・長崎の原爆投下についてどう思いますか?》は良く出来ている。
そして、この作品が一位を獲得するのだが、難点がある。
松本氏は三輪眞弘に師事もしているのだが、
ほとんどそのアイディアと、ライヒの社会的な作品とが作品の源泉になっている、
ということ。
もし、ライヒが三輪作品を聴いていたとしたら、本作を選んだかどうか疑問。
社会的な問題性が組みこまれているところが、
この十数年のライヒの「琴線」に触れたとの気がしないでもない。
それは松本氏本人にも言った。
とはいえ、
その徐々に複雑化してゆくところに、
ライヒ作品における「メッセージ性」とは違ったものを感じとったのも事実。
ライヒ作品だったら、良くも悪くも、
政治・社会のアンガージュマンと音楽作品は別だとのプレテクストをつけ、
素材だと言い切る。
だが、松本作品は最後のほうでひびきが、そして各パートが混沌としてくるところに、
提示された問いに対する困難さ、解けなさが「音楽」的に表出していたと言えなくもない。
だが、それも含めて、システムが明瞭に過ぎていたのではないか。
また、
ライヒの作品と比較すると、
ライヒは、《ディファレント・トレインズ》《ザ・ケイヴ》では、
個々人の声というのにこだわっていた。
アクセント、イントネーション、声=色、が代替できないものとして現前したのだ。
しかし、それが本作品では、そうはなっていない。
文字のアンケートによっているせいだろうか、
ひとつ(正確には日本語と英語ふたつ)の声に置き換えられることによって、
たしかに作品をつくる方法論にはピッチも応用されているにしても、
声の平坦さは避け難く残ってしまうのだ。
もちろん、
これはただ貶しているのではない。
個人的に、その出来が良かったから、共感もできたから、
かえって、という批判なのだ。
(作品そのものとは別ではあるが、おもしろかったのは、
開演前、ホールの脇の空き地のようなところで、
IAMASの知人友人たちが応援準備のために集まっていたこと。
もちろん、一種の景気づけで、お祭りみたいなもの。
特に「Bravo!」のリハをしていたわけでもないのだが)。
以上のような意味で、だからこそ、松本氏はこれからが正念場となるのではないか。

(次に続く)
(小沼氏のメモの続き)

中谷通《16_1/32_1》は、聴く前からもっとも気になっていた作品。
微分音を多用し、通常の調律を変える、との情報は、わたしにはとても興味深く思われた。
そして、実際、個人的にはもっとも気に入った作品だった。
長過ぎるという批判もあろう。
でも、それだけの必要はあったのではないか。
ピッチの問題を感覚として聴き手にどうにかするにはあの時間、持続が、
少なくとも作曲者としては、意味があったはずだ。
飽きる、という感想もきっとあるだろう。
あることもわかるが、ひびきの変化とグラデーションは、美しい。
たとえ、かならずしも、
完璧な演奏----そんなのはありえないだろう----ではないにしても、だ。
そして、トゥッティから幾つかの楽器がこきざみに動くシーン。
ヴィオラなど、大変だっただろうが、
あれこそ、そのスタティックななか、作品の「内」の動的なものをもたらしていて、
何と言ったらいいか、インドの伝統音楽にあるようなビート感、
ともすればハウリングになるようなうねり、を可能にしていたのではないか。
中谷氏は創作楽器などでライヴもやっていたようだが、
これからもこの方向で、やっていってほしい。

バイレロ、中谷と、ギターを弾くひとの作品はおもしろかったりするのは、
ベルリオーズの例を想起させぬでもない。
グローバル化している鍵盤、平均律化する音楽の方向を、
絃楽器は異化する可能性がある。
オーケストレーションもしかり。
その分、わたし自身、鍵盤側なので、他のひとに期待するばかりだ。

中川賢一くんだったか、終わった後に、
日本のコンクールにだしたら、4作品とも第一次審査落ち、と言ってたけれども、
たしかにそうだろう。
そして、それが問題でもあるわけだ。

いずれにしろ、ここ何年か芥川作曲賞だの武満徹作曲賞だのを
それなりに聴いているつもりだが、今日は一番おもしろく聴くことができたのは事実。
演奏のメンバーやスタッフたちと飲んで、22時半くらいで当方は失礼する。
もっとつきあいたい気はやまやまなれど、明日は2限からだ。
準備は……まだ終わっていない。
明日は……ライヒの話でもしようか。
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http://plaza.rakuten.co.jp/numaj/diary/200805250000/
音楽評論家 石塚潤一氏の雑感。

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■[音楽]武満徹作曲賞(審査員:スティーヴ・ライヒ)雑感 03:23
5/25 16:00 オペラシティコンサートホール

■ ダミアン・バーベラー(オーストラリア・男性) God in the Machine
■ トーマス・バレイロ(メキシコ・男性) La Noche de Takemitsu

■ 松本 祐一*(日本・男性)広島・長崎の原爆投下についてどう思いますか?
■ 中谷 通 (日本・男性) 16_1/32_1

*祐は示す偏に右 → 示右

中川賢一指揮:アンサンブル・ノマド
音響:有馬純寿 & ふぉるく

審査員:スティーヴ・ライヒ

 武満賞といえば、オペラシティの現代音楽祭:コンポージアムの一環として行われる作曲コンクールで、音楽祭のテーマ作曲家が一人で予備選考から本選まで全ての責任を負って審査するユニークネスによって知られる。ゆえに、時にその審査の内容がしばしば審査員の作品以上にその音楽観や姿勢を露わにしてしまう恐ろしい場と変貌するわけだが、今回の選考においては、ライヒでなければまず本選に残さなかったであろう作品が幾つか含まれていたということで、面目を保ったといえると思う。

 オペラシティのHPには、既にライヒが授賞式で喋った講評なども載っているのだが、PAや電子楽器、サンプラーやターンテーブルの使用も可能な室内合奏という特殊な編成、スコアだけでなくデモ音源の提出も義務付ける、という極めて特殊な公募形態だったわけだから、参考のため募集要項も併せて載せておいてくれるとより良いと思う。

 さて、スティーブ・ライヒという、当代随一の人気作曲家が審査をするにも関わらず、随分と応募数が減ったのは、やはりこの特殊な応募条件が影響しているのだろう。確かにこの条件では、どこか別のコンクールへ応募予定だった作品をとりあえずエントリーする、というわけにはいかない。しかしながら、この機会を逃すまいという渾身の作品ばかりが集まったわけでもなかった、というのが、本選を聴いての正直な感想である。

 順にコメントしていっても良いのだが、前半2曲については特別な感興はなし。曲がりなりにもDeus ex machinaがテーマとなるならば、機械仕掛けによる様々な音現象はより本質的に音楽の形式へと干渉すべき、だとか、エレキギターが2本入っているだけで、武満やドビュッシーの引用を披瀝されても今更感は拭い切れない、とか、どちらにも不満はあるが、強いて言うなら1曲目の方によりユニークな音響が聴かれた。

 さて、会場ロビーに展示されてあったスコアを読んだときから、受賞は二人の日本人のどちらかに間違いないと予想していたが、実演にどれだけ作曲者の思考を反映させられるかで、明暗がわかれたように思う。

(次に続く)
(石塚氏の雑感の続き)

 松本作品は、アンケート・アートと銘打ち、アンケートの質問とそれに対する答えを音楽へと変換していく作品。例えば、「未だに答えが出せない」という一文を品詞分解するなら、「未だに 答え が 出せ ない」と分けることが出来るだろう。その上で、「未だに」は副詞で、「に」は助詞、「答え」は名詞・・・と分類可能なわけだが、この作品ではこの品詞の属性ごとに音高(というか和音:シリアスなアンケートの内容に反してこれが随分と明るい)が割り当てられる。さらに、その音程の持続は個々の品詞の文字数によって決められていく(たとえば、文字数が4文字なら持続は8分音符4つ分となる)。

 特筆すべきことは、これを英語に翻訳した上でも同様のプロセスが用意されており、「Even now I can’t give an answer」から、別の音高と持続が決定されるわけだ。翻訳することによって、音高の出現順もその持続も変化するというのがポイント。これらが、コンピューターで合成されたアンケート内容の朗読を伴って、四分音符=120のビートに乗って淡々と進んでいく。

 この作品の巧みさは、このコンセプトだけでなく全曲を3つのフェーズへと分割した構成にある。曲のはじめでは、日本語によるアンケートによる部分と、英語によるそれが交互に進行し、聴く物に作品を形成する奇妙なプロセスそのものを理解させる。そのまま曲が進むのかと思いきや、2度のブリッジ(音高定義の組み換え)を挟んで音楽の推移が細分化され、最後には日本語部分と英語部分が同時進行、音楽は一気に多層化される。

 さらには、アンケートの質問/回答の並びも工夫することで、情報量において疎から密へという構成が出来、音楽が単調に陥ることが避けられ、フェーズの変化の説得力も増した。持続を形成するコンセプトは全く異なるが、師の三輪眞弘の芥川作曲賞受賞曲:「村松ギヤ・エンジンによるボレロ」に似た感触。アンケートの回答が全て音楽化されると同時に、否応無く作品は終わる。

(さらに続く)
(石塚氏の雑感の続きの続き)

 中谷作品は、ピッチと律動の周期を一つの系列から導き出して相互に関連付けようという意欲作。1日=24時間=1440分=86400秒を一つの周期とすると、その17オクターブ上(オクターブが一つ上がるごとに周期は半分になる)の周期は、86400秒を2の17乗で割ったもの=0.659秒となる。これを基準テンポとすると、これは大体1分間に91回入る計算になるので、一拍=91とテンポ設定すれば良い。同じく、25オクターブ上は、86400秒を2の25乗で割ったもの=0.00257秒となる、これは1秒間に389回入り、これを振動数と見立てると389ヘルツというピッチ(音程)が設定できる。

 この系列を駆使して自然倍音列の高次の音程を律動の周期と相関させようというわけで、スコアについては実に興味深く見、音を聴くのを楽しみにしていたという次第。しかしながら、こうした非伝統的な調律を伝統楽器のアンサンブルにて行う際には、無理が出ることは必定で、実際に奏でられた音楽はスコアほど美しいものではなかった。

 そもそも、弦楽器にしても金管楽器にしても、一度調律すればそれが持続するようなものではないし(長時間弾いていれば弦楽器の弦は緩んで音程は下がるし、菅の長さを変えてチューニングしても、それ以上に唇の状態一つで音程を変えられる/変わってしまうのが金管楽器だ)、クラシックな音律の中で活動してきた奏者は、経験豊富であればあるほど、「合わせよう」としてしまうのが現実。

 例えば、ピタゴラスの3度は振動数比64:81の「不協和音程」であるが、これを演奏させようとチューニングしても、実際には振動数比4:5=64:80の長三度音程を志向してしまうのが演奏者というもの。ゆえに、チューニングでのプリセットが唯一の音程的参照点であるこの作品の演奏においては、奏者は曲の途中で「作品が求める正しい音程」を知りえない/補正し得ない、という欠陥があり、この欠陥が作品を一貫していたはずのコンセプトを溶解してしまった。

 ジェームズ・テニーがその早すぎた晩年に、B音の自然倍音列上にある整数次倍音を第60次に至るまで使用する作品「Diapason」を作曲しているが、こうした作品においてはもう少し作品を「正しく演奏」を可能にするための工夫があったように思う。

 結果は、1位:松本、2位:バレイロ、3位、バーベラー・中谷、ということになったが、2位3位はともかく1位については順当といえると思う。委嘱を全く受けられたかった無名時代から自身のアンサンブルを組織し、「18人の音楽家のための音楽」のような至難な楽曲を演奏させていた、コテコテの現場主義者であるライヒが中谷作品を評価出来なかったのはある意味当然で、中谷には自身のアイディアを音として確実に実現するための方策を見つけ出した上(別に奏者がi-podでガイドを聴きながら演奏しても良いわけだし)で、リベンジして頂きたいと思う。その過程で、楽器用法の習熟という課題もまた明らかになってくるだろう。
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http://d.hatena.ne.jp/J-Ishizuka/20080526#1211826237
小沼、石塚両氏の文章で演奏会の雰囲気はずいぶん伝わっているのではないかと思います。
さすが、評論家のテキストは有用ですね。



ですが、これ以上やると著作権とか危なくなりそうなので、これ位にしときます。

>管理人さん
問題あったら削除してください。
「広島・長崎の原爆投下についてどう思いますか?」のラジオ放送は本日ですね。

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番組名:NHK-FM「現代の音楽」
放送日時:2008年7月6日[日]18:00 - 18:50 /7月13日[日]18:00 - 18:50
(2回に分けての放送)

*放送日時は予告なく変更される場合があります。

NHKオンライン
http://www.nhk.or.jp/
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皆さん、お聞き逃しのないように。

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