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持続可能な発展(開発経済学)コミュのお金は誰にとって便利で有利なのか?

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お金は誰にとって便利で有利なのか?

顔パスならば自在度が上がり混雑する駅の改札はいらなくなるから
民衆にとってお金システムは無駄な存在でしかないかもしれない
人が集う社会とは不安を解消するための縄張生活圏の確保ではなく
参加者の対等な摩擦関係による冒険と発見と学びと
お互いの生活圏をつなげて自在度を上げるためにあったはずだ

本当に貨幣は暮らしを解放して便利で楽しくしているのだろうか???
物々交換以上に個々の暮らしをスムーズに豊かにしているんだろうか???

お金が社会生活のすべてを支配している現在ですら
各々の家庭の中でお金が意味を持ているだろうか???
損得感のないシェアーの環境では邪魔な存在でしかないのではないだろうか?

地域社会を大きくふくらませることで
余剰物をシワ寄せして吸い上げようと目論んだ依存者達にとってのみ
便利で有利な打ち出の小槌となったのではないのか?
その分吸い上げられた人達は身を削られているのではないのか?

物々交換やシェアーの関係に片流れの支配は生まれないし
依存も搾取も差別も格差も縄張り根性も権利意識も腐るほどの貯蓄も
意味を持たないから存在し得ない

すべてはその場で精算されて過去に遺恨を残さずに
未来からの借金で行く宛をなくすことなく
今現在に集中して過不足のない精算された間柄にあれば
お互いが常に満たされている関係を創っていることができるのではないか

コメント(35)

岩井克人『貨幣論』一読をおすすめします。
「増えるお金」にすべての問題が起因しています。
電子化しようが、お札のままだろうがお金の本質は変わりませんから、大した違いではないと思いますよ。
>>[2] もともと金が金を生む金融は卑しい忌むべき職業でした。中世のユダヤ人は言うまでもありませんが、商業全般に、つまり交換経済に本質的な何かが、いかがわしいもの、とされてきたのです。
>>[3] 貨幣の実態は永続する交換の表象ですから、媒介物が貝でも金でも紙幣でも、電子マネーになったところで何事もありません。ただ、信用創造の管理がよりデリケートになることは確かでしょうが。
確かに、「アングラな」経済が駆逐されるでしょうね。が、それもその「土俵の上」での話です。

そもそもお金は経済の潤滑剤ですから、それ自体にいいも悪いもありません。そして本来それ自体は何の価値も持ち得ません。

ところが、「お金が増える仕組み」によって、あたかも(時間と共にその価値を減じる)実体経済よりも貨幣経済の方が価値があるかのように私たちは錯覚し、貨幣経済によって社会が動いてしまっているところに、「持続可能な経済」を不可能にしている根本原因があります。
>>[9] ご指摘のとおり、貨幣そのものは中立ですが、価値そのものがないとはいえません。貨幣による媒介は、交換の時間差を可能にします。AさんがBさんと甲と乙を交換し、さらにAさんが交換した乙をCさんの丙と交換する場合を考えます。たとえば、もし単なる物々交換でしたら、交換する財自体に価値がある代わりに、生鮮食料品のように時間とともに価値を減ずるものがあるため、交換可能な時間が限られてしまいます。しかし、一般に貨幣とされる商品は、このような時間に伴う減価はないものと仮定されます。これによって貨幣には価値を保存する機能があるとされます。この機能に対して、人は何らかの対価を払っている可能性があります。これでも貨幣には価値がないとはいえないでしょう。
>motoshiさん だから「増えるお金(腐りも減りもせず、金利がつく)」に問題がある、と言ってるのですよ(^_-)
円にしろドルにしろ、「中央銀行券」は「公定歩合」という利息がついた債券です。市中銀行はさらに利子を上乗せした価値で私たちの元へとお金を流します。無論、そこには信用創造が働き、実際のお金以上の「マネー」が出回ることにもなります。

ということは、社会全体でその「利息のついたお金=債券=円」を返済し続けなければなりません。それが、政府やマスコミがしゃかりきになって「成長経済」を訴える本当の理由です。

しかし、そんなことが可能でしょうか?まあ、ちょっと考えれば小学生にも分かることですが、資源が限られている以上、それは無理な話です。永遠に続く経済成長などあり得ません。
まして、日本と同等の生活を世界中の人びとができるはずもないのです。今、国内で経済格差が盛んに叫ばれていますが、グローバルな視点に立てば、日本人は既に搾取している側なのです。

そもそも「円」は日銀が発行しているわけですから、偽金でも刷らない限り、その発行数以上のお金を日銀に我々が返せるはずがないのですけどね。
言い忘れましたが、「貨幣」が増える、というのもひとつの思い込みです。それは単に制度上の問題に過ぎません。
ゲゼルが提唱したように、「時間と共に減価するお金」を使えばいいのですから。
巷では「アベノミクス」がもてはやされて?いますが、問題はお金の量ではなく、その流通速度です。

いわゆる「タンス預金」が一体いくら、死蔵してるでしょうか?

最悪の場合、「新円切り替え」「預金凍結」という政策もあり得る、と考え準備しておいた方がいいでしょう。
私たちが忘れてはならないことは、「本来お金自体には何の価値も無い」ということです。
あの・・・・

どなたか「お前は間違っている」って、言ってくれませんか?(^^ゞ
僕が言っていることが間違っていないのなら、世界は破滅に向かっていることになりませんか?

「中央銀行制度」、このままでいいんでしょうか?
>>[15] 当然ですが、あなたの主張は間違っている部分があると思います。しかし、ご指摘のとおり貨幣経済にはさまざまな問題点があるのは事実です。機会があるごとに意見を交換することは大変有益だと思います。いきなり滅亡云々は、杞憂かとおもいます。
>motoshiさん
どの部分が間違っているでしょうか?それが分かれば、いいんですが・・・

いきなり滅亡云々、を言っているわけではありませんよ。
「増えるお金」はそういうベクトルをはらんでいる、という意味です。
そしてこれは何もノストラダムスやマヤの滅亡論?などのオカルトの話ではなく、現実の我々の社会の話ですよ。
環境破壊や原発事故は、まさしくこのお金の問題です。戦争もそうです。
それはそんなに悠長に構えられることではないと思いますが?
国内を見ても、膨れ続ける国債発行額(つまり私たちの借金です)、逆に公共投資を要求する世論、必然的な増税(主に消費税)、長引くデフレと不況感、それとは関係なく高止まりしている円。
私たちの生活は、良くも悪くもお金に縛られている現実です。

でも、やっぱり忘れてはいけないのは「本来お金自体には何の価値も無い」ということではありませんか?

では、私たちはどうすればいいのでしょう?
>>[17] お金に価値がない、という言明は、鏡の中は空っぽ、ということに似ていますね。
そう!それですよね。「鏡のなかは空っぽ」。絵に描いたもち。

いや。
お金は鏡ですらない。だって、ただの紙切れですから。餅も描けやしない。
お金を通して、私たちは私たちの内側の鏡に自分の欲望を投影しているだけですよ。
>>[19] マネーの無分別な膨張が行き着く先と、原発が、「想定外」リスクと将来の廃炉に目を瞑り、利便性と利潤を追求という欲望の拡大の結果がどうなったか、と同根なのではないでしょうか。
全くおっしゃる通りだと思います。

先の選挙の争点の一つが「脱原発」でした。
原発に関する論争では、たびたび「お金か命か」と言われます。
冷静に、現実を見れば現在の原発の技術は未熟なものであり、とても「実用的」とは言えない、ということは小学生にも分かります。
つまり、原発がいいとか悪いとか言う以前の問題、ということです。そりゃ、事故が起きるのも当然です。

何が私たちの目を曇らせているのか。

やはりそこには「増えるお金」がある、と言わざるを得ません。
お金が増えているのは事実ですね。中央銀行(日本だったら日銀)は否定するけど、結果的に通過安競争をしているのが、お金が増えている主原因かな。
そのお金が世界の人にまんべんなく行き渡るのなら単なるインフレになるだけですが、裕福層のマネーゲーム(そう、まさにゲーム)に集中して使われているのが問題かと思います。
↓これとか参考
http://v.youku.com/v_show/id_XNDg4OTIwMzA4.html

国から受けるサービス(そのほとんどは社会福祉)の金額より、支払っている税金が少ないのは、単に将来世代に「ツケ」を回しているだけ。いつかは国債発行が維持できなくなるでしょう。
そんなとき、既得権を得ている老人は安泰のままですが、可愛そうなのは若者です。

私たちの目を曇らせているもの、
それは短期的な自己の利益だけを求めて、将来と他人のことを考えないことだと思います。
政治家もそういう個人に迎合するから増税できないし、国の借金は膨らむ一方だし、天然資源とか使いまくる。
日本に限りませんが、そういう社会を(選挙で)選んでいるのは、結局の所、利己を求める人が多い大衆にあるのだと思います。
「私たちの目を曇らせているもの、
それは短期的な自己の利益だけを求めて、将来と他人のことを考えないこと」
全くおっしゃる通りだと思います。

なぜ人びとはそうなるのか?生来、人間というのはそういうものなのでしょうか?
いやそうではなく、「思いやり」とか「愛」という言葉も私たちは持っています。
どうして大衆が利己中になるのか。

経済とは、モノが社会を流通する姿です。
そこには本来コミュニケーションが存在するはずです。人と人がモノのやり取りをするとき、まずはコミュニケーションが存在し、お互いの信頼関係の下取引が為されるはずだからです。
であるならば、経済が活発な社会ではコミュニケーションも豊かであるはず、です。
ところが世界に冠たる経済大国ここ日本やアメリカでは、人びとの「繋がり(縁)」の希薄さが問題になっており、凶悪な犯罪の原因ともされています。
これは一体どういうことでしょう?
何が本来の経済のあり方を変えているのでしょうか?

よくよく観察してみると、元々「経済の潤滑油」に過ぎない「お金」がそこに介在しているため、ということが分かってきます。
そして繰り返しますが、そのお金が「増えることによって実体経済との矛盾抱えている」ことが根本的な原因にあり、故に私たちは「腐りも減りもせず増えるお金を実体経済よりも価値ある物としている」わけで、それが私たちの繋がりを希薄にしている、つまり利己的になっているということだと思います。

国債に関して言えば、その8割は実は私たちの預金(郵貯や民間銀行)や年金に寄っています。日銀は1割5分にしか過ぎません。
国債を発行しても大丈夫、と主張する人たちの根拠はというのはここから来ています。
ようするに、税金として納めるのか、預金として金融機関にあるものの使っていないお金で国債を私たちの意思に関係なく買っているのか、という違いです。
確かに、「死蔵しているお金」を市中に流すことには一理ありますが(とはいえそこに無駄が多いのが問題ですが)、借金には違いありません。
国債をチャラにします(その可能性もゼロではありませんよ)、と言われて一番割を食うのはいわゆる中間層の人たちでしょう。
国民一人当たり700万の国債発行高ですから、単純に言えば800万の預金がある人は100万しか残りません。もちろん、それ以下の人は全く残らないことになりますし、1億の預金を持っている人、あるいは預金がそもそも無い人にとってはあんまり関係ありませんよね。

低所得層の人たちの間では、税金は納めないが代わりに福祉サービスも極力受けない、つまり年金にも健康保険にも頼らずに生活していく方法が既に模索されています。
具体的には、田舎への引っ越し、人と人の顔が見える地産地消の経済、地域通貨を使って自分たちの土俵作り、エネルギー自給の研究等々の傾向があるようです。
低所得、というのは単にお金が無い、というだけですから、田舎で暮らせば少ないお金で十分なんですね。

今後、大都会に集中してきた人口も地方に分散していく傾向になっていくのかもしれません。
だって、都会では「お金無しには生きられない」のですから。
>>[23] 市中銀行(都銀や地銀、信金など。ゆうちょ銀行も含む。)が、本来の役目である「リスクをとって融資すること」をしないで、集まった預金で「リスクのない国債を買い続ける」、というところに、今のデフレ脱却のため、なぜ、「中央銀行がいくら金融緩和をしても効果が薄いのか」、の原因の一つがあるのではないのでしょうか?
>motoshiさん
そうですね。確かにおっしゃる通りだと思います。

市中銀行が融資をするということは、ある意味私たちのお金がどこに投資されるかを市場に委ねられている、とも言えると思います。
自然と「金になる」事業に集まることになります。
銀行がリスクをとる、つまりお金を有効に広範囲に社会に還元するという社会的役目よりも、自己の企業としての利益を優先すれば、結局のところ「お金があるところにお金が集まる」ということになるでしょう。

逆に、国債となればそれは行政の意向を強く反映することになります。
一見格差是正、所得の再分配に働くようにも思えますが、既得権益層に相当なお金が流れてしまっているのが現実でしょう。
ですから、構造改革(言葉は同じでも、小泉さんのはちと違いましたな)及び地方分権(これも注意しておかないと、結局州都への中央集権になりかねませんが)が昨今では盛んに叫ばれているのだと思います。

どちらにせよ、末端の私たちにはなかなか還元されない、遠いところのお話になってしまいました(^^ゞ

ところでデフレ脱却のために一番の特効薬は、なんでしょうか?
不景気、とは私たちの消費が落ち込んでいる状態です。消費が落ち込んで来たことと、NIESや中国製の安い製品が大量に輸入されたことから、今のデフレが始まっていると言えると思います。
しかし、30年前のモノの値段(数字だけ見れば)は今くらいでした。
80年代のバブル期を通ることで、物価は上がり続けたのです。もちろん、円の価値(為替、流通量)も同時に上がったので私たちは物価が上がってもそれが生活を圧迫することはありませんでした。
しかし今、物価は下がったに関わらず円は高止まりしています。
為替だけの話ではありません。私たちの認識が「デフレ」を作っている、とは言えませんか?

日本の人口は1億を越え、世界的に見れば第10位です。
国土は、イギリスやドイツより広く、韓国に比べればはるかに広大なものです。
日本人がこの国土で暮らしていくには、既に十分大きな自然と市場があります。
ところが、マスコミや政府は海外との取引を盛んに叫びます。
あたかも、日本人がこの国でどうしたら生活をしていけるのか、ということよりもグローバル企業が発展していくことの方が重要だ、と言っているかのようです。

ちょっと変だよ日本人?

日本には既にモノがあふれ、十分に豊かです。例えば原発は、私たちが生活していくのに必ずしも必要ではないことはここ2年の節電で明らかになりました。原発を必要としているのは、本当は私たちではなく、一部の大企業であり、一部の右翼です。
食料の自給率も怪しいものです。ホントにそんなに低いのでしょうか?
モノが十分であれば、当然消費は落ち込みますよね?
どうしてこんなにモノがいっぱいあって生活に困らないのに、私たちは忙しく働かなければならないのでしょう?

それは借金があるから、じゃないでしょうか?
その借金とは、公定歩合を背中にしょっている日本銀行券、「円」ではないでしょうか?
1人あたりGDPと出生率の間には、明確ではないにしろ、それなりの逆相関関係がありますね。
だいたいの傾向として、先進国は出生率が低く、発展途上国は多産になります。
人が孤立した方がGDPは上がりますが、代わりに絆が失われて、その一部が出生率となって現れているのかもしれません。
経済成長に伴い人口が減っていくのは、ほとんどの国で見られる現象です。

人口が減ることで低成長(不況)が続くでしょうが、そうやって人口が減り、お金も無くなることで、再び家族の絆などが強くなる可能性はあります(お金が無ければ大家族で住むのが合理的になりますから)。
また、人口減少は、食料やエネルギーの消費から見てもメリットがあります。
発展途上国のように、年金制度が無くても老人が生きていける社会もできるかもしれません。

しかし実際には、(残念ながら)そうならないでしょう。
一度、便利さや欲望を知ってしまった人間が田舎暮らしに戻るのは大変です。お金を沢山持っている人ほど猛烈に抵抗し、政治家も彼らの意見を採用するでしょう。
皆が「お金」以外のことに価値観を見いださない限りは。
>Escherさん
「6000万石」でググってみました。で、トップがこのページでした。
http://homepage2.nifty.com/shinkei/yamashiro/kokudaka.htm
ここによると、現代人は昔ほどお米を食べていないようです。食べればいいんじゃないんですかね?
休耕田もいっぱいあることですし(減反するのに税金使ってるくらいですから)、昔の倍以上の一反あたりの収量もあることですし、この際家畜の飼料の輸入も止めて。
パンや麺類や魚、肉を食べるということはそれだけエネルギーを大量に消費することですしね。それも結構な残飯出してますよ。 本当は、今ほど要らないと思いますよ。
極端な例ですが、今保護の観点から地中海のマグロの捕獲制限が検討されています。日本人が大量に買いすぎる、からです。私たちが生存していくために、マグロは決して必要ではありませんよね?

「エネルギーの90%を輸入」ということですが、そんなに必要でしょうか?
そもそもこの国でどれだけのエネルギーを生産できるのか、そしてその範囲内で生活していくためにはどうしたらよいのか、という思考がなされるべきではないでしょうか。
これは江戸時代に戻れ、と言っているわけではないので念のため。
確実に、科学技術は進歩しているわけですし、あの時代の人びとと違い、私たちは世界を知っていますから。

>ぽーぴあんさん
おっしゃる通りだと思います。
どうやら私たちは「お金以外のことに価値を見いだす」必要があるようです。

ひとつ、申し上げておきたいのは、出生率の低下に女性の社会進出がある、ということです。
女性が男性と同等に会社等で活躍することは、GDPをあげることに貢献していることは事実ですが、それは女性の男性化を意味しています。
言うまでもなく、女性と男性は生理的にも生物的にも違います。社会の構成員としても、もちろんその違いの上にあるべきだと思います。
ところが、いざそれが経済性という土俵の上ではどちらもどれだけお金を稼ぐことが出来るか、という立場に置き換えられてしまいます。お金が稼げれば、女でも男でもいいのです。
そもそもGDPという基準自体、お金によって表されていますから、疑ってかかった方がいいとは思いますが。

しかし、女性の社会進出、言わば男性化が進むことによって、かつての家庭は崩壊し、高齢出産、結婚率の低下が進んでいるのが現状ではないでしょうか。
そしてそれは凶悪犯罪の低年齢化の原因とも言われています。

そして女性の社会進出を促しているひとつは、あらゆる分野の仕事の機械化です。私たちが望んだ便利な世の中によって、私たちは自分の首を絞めていることになっていませんか?

女性が、望む場合に社会でしかるべき地位で活躍する自由が当然あるべきであることは、論を待ちません。
その上で、優秀な女性にはぜひ、優秀な遺伝子を残す道を選択していただきたいものです。
>>[29] 石川英輔『2050年は江戸時代』 講談社文庫 1998.6.15 をお読みでしょうか?まだであれば、ぜひご一読を。これは小説ですが、非常に示唆されることがあると思います。
>motoshiさん
紹介ありがとうございます。この本僕は知らなかったので、ちょっとググってみました。
へぇ、なかなか興味深いですね(^_-)
著者の石川さんも、どうやら似たような視点をお持ちのようです。早速手に入れて読んでみたいです。
>>[31] 江戸時代を舞台にした「大江戸神仙伝」も大変面白い小説です。これはシリーズを通読されると、とても示唆される内容が含まれています。すべて講談社文庫で出ていますので、簡単に入手出来ると思います。
「2050年は江戸時代」読んでみました。

なかなか面白いですね。著者の石川さんも、「SF」ですから、自由奔放に書かれており、ある意味痛快でした。
細かいところはさておき、僕もこのような流れになるのでは、と考えています。

「私たちは合理的であろうとして、非合理的なことをしている」
「便利さと引き換えに、不健康を手にしている」
全くその通りだと思います。
「クニガ病」「カネガ病」「アチラ病」も。

あ、それと僕の発言でひとつ補足させて頂きます。
この本の中で、今の自給率に石油の恩恵が考えられていない、という下りがありました。
つまり、現在の日本の農業は石油ありきの農法である、ということです。
それを鑑みると、今の日本の自給率は言われているほどなく、かなり低いものである、というのです。
確かにその通りだと思います。

僕が先にそんなに自給率は低いわけじゃないんじゃないか、と言ったのは、この日本という国土の「地力」を指した発言です。
私たちが飽食をせずに、しっかりと自然の恩恵を最大限利用すれば、この日本の風土というものは世界的にみてもとても恵まれているわけで、十分国民を養えるものと思います。
そのことはこの本にも、きちんと描かれてますね(^_-)

ところでこの「大刷新時代」は比較的緩やかに進行した、とこの本でなっています。
初版が98年ですから、この時点で石川さん始め誰もその後の9.11や金融恐慌、震災及び原発事故のことは知らなかったわけです。
もし、明日本当にお金がただの紙切れになってしまったら?
ひょっとしたら、「大刷新」が突然社会に襲いかかるかも、知れません。

もうひとつ。
小説の中で、「個性と協調性」の話も出てきます。
日本はそもそも農村体質的な国民性を持っているので、戦後の奇跡的な高度経済成長を成し遂げられた、というものです。
確かに、的を得た視点だと思います。
しかし、「個性的」であることと「協調性が無い」ということが本来別の意味であることは、「助け合いの精神」が「各人の個性を否定すること」とは違うことと同じだと思います。
つまり、今後日本人は新しい経済(社会、私たちの繋がり)のあり方を創り出していくためには、我々の知性や価値観をも進化させる必要があるのではないか、ということです。

ふたつの書籍を推薦させてください。
『「お金」崩壊』青木秀和
http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0437-a/index.html
「日本の大転換」中沢新一
http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0606-c/
あ、そうそう。
小説のなかで、「カタカナ英語の氾濫」も指摘されていましたね。
個人的には、この傾向にも危機感を持っています。

明治時代の始まりでは、中江兆民や福沢諭吉らが新しく西洋から入ってきた言葉を如何に日本語にするのか、という大事業に取り組みました。
当時、英語を解するものが少なく、日本人に西洋の言葉を浸透させるための苦肉の策、と言えなくもないですがやはり近代日本の礎のひとつ、と言っても過言ではないでしょう。

ところが昨今では、英語の発音がそのまま?にカタカナ日本語となっています。
逆に良く分からない言葉が氾濫している、とは思いませんか?
なぜ誰も日本語にしてみようとしないのでしょう?

多分、めんどくさいんでしょう。時間も掛かるし。
しかし、それは私たちが日本語を疎かにしてることにはならないでしょうか。

ちっぽけな島が他所に盗られることを心配するより、よっぽどこの国の行く末を憂慮することじゃないかなあ、と思います(^_-)

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