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平成の日本コミュの【文献紹介】震災から震災へ

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平成7年(1995年)に起こった阪神淡路大震災とオウム真理教事件は、この国のバブル期以来の楽観的予定調和社会に深い亀裂を生じさせ、21世紀へと向かうこの国の前途に対する不安と焦燥を生み出しました。

この二つの事件は、時代画期的意味を持ち、後に登場した小泉政権による構造改革政策と相俟って、平成の日本の進路を規定してきました。

そして、16年経過した平成23年(2011年)の現在、私達は、再び、かの平成7年の出来事を優に上回る規模の震災と原発損壊という大災害に見舞われています。

今こそ、かつての平成7年の災害の記憶を想い起こし、直面するこの国の非常事態に対峙するための教訓を引き出すときだと思います。

既読,未読を問いません。

単行本に限らず、雑誌やネット上の情報、動画などでも構いません。

最低限,引用先、著者名,書名,出版社などは挙げてください。

内容の簡単な紹介,感想などを述べていただけると,ありがたいです。

コメント(6)

外岡秀俊「地震と社会 上・下」(みすず書房)

「1995年1月17日の阪神大震災当日からほぼ1年間、現地を中心に取材を続けてきた著者は、この大地震をめぐる問題点を全面的に洗い出し、総括しようと決意した。日本の地震学の成り立ちから関東大震災の教訓、政府、自治体、警察、消防、建築、メディアのあり方、さらにボランティア問題、被災地への補償とそれにまつわる課題、心のケアの現状・・・歴史的なパースペクティヴと谷崎潤一郎、宮武外骨、賀川豊彦、数々の震災記録などの関連資料、それにリアルタイムの取材を織り交ぜながら、立体的にまとめた野心作である。」(紹介文より)

著者は朝日新聞の元東京本社編集局長。2011年3月退職。


中井久夫「災害がほんとうに襲った時 阪神淡路大震災50日間の記録」(みすず書房)

「東日本大震災からひと月余。誰もがはじめて経験する日々がつづくなか、16年前の阪神淡路大震災の経験から学ぶことは少なくないのではないか。小社で刊行した『1995年1月・神戸』より、中井久夫の文章を再編集。併せて新稿も収めて、ここにおくる次第である。」(紹介文より)

「総じて、内部からみた外部と外部からみた内部とが次第に別ものになってゆく。これが時間がたつにつれて起こるもっとも大きな食い違いかもしれない。
 この乖離はしばしば気づかれないままに進行する。
 外部からみれば、粛々と整理されてゆく移行期にみえるだろう。内部からみればまったく違う。何が重要かがくるくる変わり、変化してやまないのである。たぶん、遠すぎる眺めと近すぎる眺めとの乖離であろう。・・・
 これは内部が自己中心的で外部は大局観に立っているというような違いではない。内部からみれば逆に外部が自己中心的にみえる。オーストラリア山火事の際のラファエルの観察からした『忘れられる時が最大の危機である』という時である。内部の人々が生活再建を前に途方に暮れる時である。」(「あとがき」より)
レベッカ・ソルニット「災害ユートピア」(亜紀書房)

「地震,爆撃,大嵐などの直後には緊迫した状況の中で誰もが利他的になり,自身や身内のみならず隣人や見も知らぬ人々に対してさえ,まず思いやりを示す。大惨事に直面すると,人間は利己的になり,パニックに陥り,退行現象が起きて野蛮になるという一般的イメージがあるが,それは真実とは程遠い。二次大戦の爆撃から,洪水,竜巻,地震,大嵐にいたるまで,惨事が起きたときの世界中の人々の行動についての何十年もの綿密な社会学的調査の結果が,これを裏づけている。けれども,この事実が知られていないために,災害直後にはしばしば「他の人々は野蛮になるだろうから,自分はそれに対する防衛策を講じているにすぎない」と信じる人々による最悪の行動がみられるのだ。1906年の大地震により破壊されたサンフランシスコから,2005年の水浸しになったニューオリンズまで,相手は犯罪者で,自分は風前の灯だった秩序を守っただけだと信じる,またはそう主張する人々により,罪なき人々が殺されてきた。やはり,何を信じるかが重要だ。」(「プロローグー地獄へようこそ」から抜粋)

 著者のいう「災害ユートピア」は,私の体験した阪神淡路大震災でも,鮮やかに出現しました。当時の私は,日本の成熟した市民社会の現れと理解していましたが,この書によれば,「災害ユートピア」は人類の普遍的な心性に根差すもののようです。そして,こうしたユートピア的共感を体感できず,民衆は常にパニックに陥り,愚行に走ると考える人達は日本にもいて,阪神淡路大震災の教訓を「危機管理論」に収斂させてゆきました。こうした発想は東日本大震災の際の初動対応に受け継がれ,自衛隊優先,情報統制,「管理されたボランティア」といった対応が現れたと考えます。
「大震災・市民篇 1995」(長征社)

神戸の出版社が,阪神淡路大震災で被災した無名の市民200人以上の声を,丹念に収録した書。全部で870頁余りに達する。

今回の東日本大震災でも,こうした試みがみられるが,これらの手記を読むたびに,体験に裏打ちされた発言の豊穣さに打たれる。それぞれの人の人生と震災という異常な体験とが交錯して,地震に遭遇した人一人一人の在りようを顕現させる。そして,社会とは,こうした無数の人々の営みによって作られる織物なのだということを,知らせてくれるのである。
吉村昭「三陸海岸大津波」(文春文庫)

「明治29年,昭和8年,そして昭和35年。青森・岩手・宮城の三県にわたる三陸海岸は三たび大津波に襲われ,人々に悲劇をもたらした。大津波はどのようにやってきたか,精子を分けたのは何だったのかー 前兆,被害,救援の様子を体験者の貴重な証言をもとに再現した震撼の書。子の歴史から学ぶものは多い。」(紹介文より)

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