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12月生まれ着物乙女会コミュのちょっと賢くなろうぜ、ベイベー★

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12月生まれの皆様。同盟を組んで早3日が経ちました。
ちょーっと着物をたしなむ方に豆知識をコソっと御紹介。

その第一弾として「銀座結びのお話」
皆さんも御存知。時代劇でよく結ばれている「銀座結び」や「角だし」はあの時代にはそんな結び方はありませんでした。

ちなみに、江戸時代初期は帯結びはみんな『前結び』それが時代の流れ、流行とともに若者はその結び方を後ろへともって行き『後結び』が成立。でもこの頃はまだまだ、おばあちゃんは前結びだったそうです。

コメント(31)

へー!
そうなんだぁ。
ふむふむ。。。(・ω・)
はじめまして。虎吉です。
12月生まれのいて座です。
アンティーク着物や小物類が大好きです。
着る機会は全くないですが、見るのは
大好きです。
いろんな情報楽しみにしてます。
ちなみに、前結びこんな感じ。

ごんさん、盛り上がっていて楽しいです〜♪
12月生まれ(^_^)v(*^^)v(^_^)v
なるほど〜。勉強になります!

江戸時代って、私の勝手な思い込みなのですが、腹合わせ帯のイメージが強いです。このイメージって、合ってますか?

実際に締めていた帯はどんなものだったのですか?
mayoさんの写真は武家の女性の礼装ですか??

質問ばっかりですみません・・・。
そうだったのですか〜!
前結び、可愛いなあ〜と常々思っていたのですが
前結びは、舞子さんとか芸子さんとか
特別な職業の方が結ぶものだと、
殿方がほどきやすいように結んでいるのかと思っていました。

ごんさんのおかげで、ひとつ、賢くなりました。
ありがとう!
いやぁ、ちょっと見ぬまにカキコミいっぱいですね!

mayoさん、補足写真ありがとうございます〜。
さやさん、『先生』とはたいそうな〜恥ずかしいじゃないですか〜!
mona@momo さんの「舞子さんとか芸子さんとか 特別な職業の方が結ぶもの」は思い込みではありませんよ(^-^)
当時の歌舞伎役者さんは今の『芸能人』と一緒で、みんなの憧れ☆でありました。ちょうど、元禄時代に差し掛かった頃(江戸時代中期)財政は安定し、国民の懐は暖かく生活にも余裕が出てきて身なりのお洒落に活気がついていたころにfuku-ko さんのご質問の「腹合わせ(昼夜帯)」が大流行したんですよ。これも歌舞伎役者さんパワー!結び方もいろいろあったそうですが、やはり上記の結び方が流行だったようですね。
 ちなみに腹合わせとは、裏と表違う布で作った帯のことです。今風で言うとリバーシブル!!
 ひとえに江戸時代と言ってもかなり長い時代なのですが初期の頃は細帯とか縄帯とかの帯をしていました。
 上記の格好はかなりいいところのお嬢さんの格好だと思われます。一般庶民はまだまだ高い絹の着物を持てない時でした。
着物は1枚〜2枚ほどが一般人の持つ着物の数だったそうです。ちなみに、洗濯をするときは晒を巻いてか裸でやっていました。

 
写真は奈良にある田村資料館のコレクションの本からですが、
江戸後期の武家女性の晴れの場の装いです。
武家女性は正装時(冬場)に打掛の下に間着を着るのですが、その間着の上に締める八寸位の幅狭の帯を掛下帯といいます。
前結びに締めて冬場にはこれに手を入れて暖を取ったともいう。帯には折枝文様をあらわして格調高く、刺繍は萌葱、紅の濃淡、紫、金糸、黒地に菖蒲の花が映えて美しい掛下帯です。
と、こんな説明がありました。

余談ですがこの本にモデルとして出ている方たちは、着物関係のお店の方たちです。ちなみにさらさちゃん、青花ちゃんもいます。
ごんさん、mayoさん、ありがとうございます!!

江戸時代って、確かに長いですよね〜。
私、単純だからついついNHKで前にやってたお江戸でござるを連想してしまいます(^^;


縄の帯、なんだか面白いですね。名護屋帯って言うんでしたっけ?
それから小袖に細帯。
やっぱり安土桃山時代の流れなんですね〜。

>一般庶民はまだまだ高い絹の着物を持てない時でした。

なんとなく、江戸時代の一般庶民は麻を着てそうなイメージです。確か、この頃って木綿(もめん)はまだ出てないですよね。寒かっただろうなぁ〜。


>前結びに締めて冬場にはこれに手を入れて暖を取ったともいう。

なるほど〜。よくできてるんですね〜!

こういうお話って、面白いですよね〜。
これからもいろんな豆知識、教えてくださいね!!
楽しみにしてます♪
すごく盛り上げってて、うれすいーー。前結び←花魁のイメージでした。へえええええ。。。と感心です。晒し姿で洗濯。きつそうです★私もここで豆知識ゲットしたいです。よろしこです。
近世(安土桃山時代を含むときもある)から、木綿が発達してきていて、主流となって着られていました。
貧しいところでは、麻や木繊維を砕いて織った布が着物の反物として使われていました。

そうそう、当時のファッションリーダーを歌舞伎役者とひとくくりにしましが、他にもありますよ〜。だって、庶民でもしょっちゅう娯楽を楽しめませんでしたし。
つまりは、公衆浴場とかそういう公の場で情報交換が行われたりしていたんですよ。
・・・やー、高度な豆知識になってきましたねー。
ごんさんありがとうございます!!

木綿(もめん)って案外古くからあったんですね〜。
私、すごい勘違いしてました(>_<)

木綿(ゆふ)は万葉集にも出てきましたよね〜。

でも、木綿(もめん)はなかなか出て来なかったとばっかり思ってました。

図書館開いたら、柳田國男さんの「木綿以前のこと」もう一度読み直してみます(^^;
ちょと賢くなろうぜ、ベイベー★第2弾

久々のUPですね。

今回は、お太鼓結びの歴史

お太鼓結びが広まったのは幕末から明治にかけて。

もとは歌舞伎役者、二代目瀬川菊之丞(俳名:路考/1741〜73)が流行らせた「路考結び(ろこうむすび)」の変型でした。

文化年間(1804〜1818)、亀戸天神の太鼓橋再建の渡り初めに参加した深川芸者が揃ってお太鼓結びにしたことがきっかけで話題になりました。
この太鼓橋、よく、お太鼓結びが有名でそれをしたことによって「太鼓橋」と名づけられたといいますが、実はこれ、ウソです。太鼓橋という名前が先にあってそれにになんで、芸者たちが結んだんですよ。
この時、結びが解けないように帯締めを使い始めたといわれます。

明治になって、田舎から上京した奥方の間で太鼓結びと羽織が都会風と好まれ、普及しました。
ふむふむ
本をいちいち広げずとも、賢くなれます。
こんな為になるコミュに入ってよかった(^_^)

ごんさ〜〜〜〜〜ん
ありがとう!
ごんさん、第2弾ありがとうございます!!
なるほど。これも勉強になりますね。

それにしても、今じゃお太鼓結びって、定番になってますよね。
歌舞伎役者の影響、おそるべし。

>二代目瀬川菊之丞
この方、「路考茶」も有名というか、流行ったんですよね?
大学の頃、ゼミの先輩で、路考茶について発表してた先輩いましたよ!!
路考茶!!これで、発表するってかなり調べはったんでしょうね〜、すごい〜。
ちなみに、路考茶は「色」のことです。
路考茶はやはり、二代目瀬川菊之丞が好んでいたことから、大流行した色ですね。
私も教えていただくばかりじゃなく、またまた画像引っ張ってきました。
右側が3代目(2代目はなかったの)瀬川菊之丞だそうです→染織の美より
路考茶色は画像では多少違うと思いますが。
黄茶のやや赤黒が加わった色です。(日本の色辞典より) 
菊之丞=路考は美貌の名女形として人気を博したようです。
彼の意匠は、路考結び、路考髷(まげ)、路考櫛などどして流行ったようですね。
今NHKでは、歌舞伎の始祖の出雲の阿国の物語がはじまりました。見ていませんでしたが。
いつも、補足ありがとうございます〜。
いやぁ、分かりやすくなりました☆
お久しぶりです。ちょっと賢くなろうぜ、ベイベー♪第3弾。

今回は、みんな大好き"半襟"について!!

ん?苦手って声が、聞こえたよーな?

半襟って着物を楽しむ上で重要パーツですよね。私は根っから白を愛用しますが・・・。
刺繍の半襟って大正時代に登場しました。大正中期ごろまでは、着物はまだまだ地味で乙女のお洒落心をくすぐっていたのはこの5センチばかりしか見えない"半襟"へのお洒落でした。

刺繍の半襟の登場により半襟へのお洒落はヒートアップ!!
珊瑚やダイヤモンドや翡翠を縫い付けた着物より高い半襟を縫い付けていました。

やりすぎかな?とも思えますがネックレスだと思えば、成程いつの乙女もジュエリーは好きですねぇ。私もキラキラ好き★
ちょっと賢くなろうぜ、ベイベー♪第3弾は反応がありませんねぇ・・・。
は!
もしかして、みなさん知っていました?

どんなことを知りたいですかね〜?
私もキラキラ半襟、好きです!
顔が明るく華やかに見えるような気がします。
でもお洗濯がちょっと、、、と思っていたのですが
ネイルアートに使うキラキラシールを貼るとういう
かなりお手軽な方法もあるみたいです。
私は、刺繍の半襟が大好物です。。。
どちらかといえば、大正ロマン系のコーディネイトが好きなので、キラキラは、苦手かな。。。
顔映りは、半襟と掛け襟と着物の色で調節してますよ!!
キノモより高い半襟ってなんだか、乙女のおしゃれ魂を感じますね!見えないところではないけれど、細部にもちゃんとおしゃれを!!見たいな感じで。半襟でキモノの印象が変わりますよねぇ〜。それがまた楽しいんだよなぁー♪

知りたいことは、色についてですかねぇー。
その時代の流行色みたいなの。色の合わせ方についてかしこくなりたぁーい☆人任せですみません。
ちなみに私は、サーモンピンクにドキドキします☆
misausa さんの御質問の"流行色"について

上代は、「赤」「白」「青」「黒」で呪術的色が主流でした。
日本人の心にまだ深く残る白装束や喪服。このあたりは上代の信念が残っているのです。つまり、悪には黒を。清らかなものには、白を、生命には赤や青を。

飛鳥・奈良時代は、中国の影響が強かった、位階色。古代中国思想の5色は青・赤・黄・白・黒で(後に緑・赤・黄・白・紫に変わった)徳−紫・仁−青・礼−赤・信−黄・義−白・智−黒。この最高位の徳の色(紫)は中国隋朝の服制にならい、以下の色は陰陽五行説の五常の色をあてた。

一般的には染料が高価で時間がかかる紫(紫草)や赤(紅花)は上流階級の色とされた。低階級者や使用人は桃染(ピンク)・皀(くり・黒)・橡(つるばみ・グレイ)・縹(はなだ・藍)・一斤染(いっこんぞめ・ピンク)など、普及している染料の薄い色が用いられていた。
 
平安時代は、「重ね色」で美を競い、季節感をかもし出していました。

鎌倉時代は、一般に、微妙な含みがあるものよりも明快なものが喜ばれ、その染色法も従来のような技巧と手間のかかるものは避けて、一般的な蘇芳(赤)、藍(青)、支子(黄)などの基本色による交染が行われた。この時代に武家が愛用した代表的な装束の色として緑系・青系・褐色系がある。

室町時代は、文化人によって新しく「寂(さび)」の文化により灰色などの落ち着いた色が主流となる。

安土・桃山時代は、当時最も喜ばれた染色は紅梅と紫。また、当代の金碧趣味を反映して摺箔(すりはく)・縫箔など、豪華な服飾技法が盛んに行われた。

江戸時代は、最も多く流行色となったのは、何々茶と証する茶系統の色と、後期に流行の鼠系統だった。特に茶系に属するものは百五十三色にものぼっている。この頃もてはやされたのは、当時の人気歌舞伎俳優が狂言で着た衣装の染色から来た、いわゆる「役者色」である。

時代を象徴とする「時代色」はありますが、上層者から生まれたもので、庶民の趣味・嗜好によるいわゆる「流行色」なるものは生まれませんでした。ところが、江戸時代になって町民が経済力を持ち、おのれの好みの色を求めるようになったことから流行色は生まれてきたと言われています。
ごんさん!ありがとうござました。日本の昔の色のって、っとても素敵な名前がありますよね☆

色で階級を表すのって何処の国もそうなんでしょうかね〜?
カラーセラピーとか、いま流行ってるけど、そういう昔からの色にまつわる・・・みたいなのも含まれてそうですね。
流行色って言うのは江戸時代からなんだぁ☆
おれ好みの色を求めてるのに、それが流行色って、渋谷ギャルみたい・・・なんて思ったりもして・・・
misausa さん>それまでの"色"というのは、大変贅沢なものであり、庶民は使えなかったんですね。
中国は、階級の色があって、佛教は紫が高貴な色ですね。
佛教が色があるって言うことは、インドもあると思います。お坊さんが黄色の服を着ていますよね。
ちょっと賢くなろうぜ、ベイベー♪第4弾です。

今回は、『家紋について』
家紋ってみなさん、自分の知ってますか?

知らない?

キモノの格をあげるにはすごく大切なアイテムなので、お墓を見てみましょー!または、お母さんかおばあちゃんの喪服を取りだして見ましょう。

・・・と、ここで注意。皆様!家紋には「女紋」があるのを御存知ですか?

説明いたしましょう。
私は、Aという家に生まれました。Aには家紋があります。Aは「つるかたばみ」しかし、母の紋は「アゲハ」です。これが、女紋です。
もっと詳しく言うと母の実家は、Bですが母は、Bの家紋を持ってきたわけではありません。母の母、つまり祖母のCの家紋を持ってきています。

つまり、女紋はずっと、女に引き継がれる紋なのです。
養女は?という質問に答えましょう。
養女は養女になった先の女紋を使用します。

男は、ずっと名前と共に紋を受け継ぎます。
しかし、昔にはすくなかったことですが、婿入りしたときは、嫁側の男紋をつけます。

紋は、昔は、地位や職業を表す大切なものだったんですよ。
でも、紋を持っていない方もいました。
そんな方や紋がわからなくなってしまった方のために全員が使える「五三の桐」という紋があります。貸衣装でも使われていますよね。
女紋! そうなのですか。
じゃあ、色無地とかに付けるものは、女紋がいいのだろうか。。。

今年からお茶を習い始め、この前ようやく、うちの紋を知ったばかりなのですよ。。。
じゅこさん>女がキモノに紋をつける際は必ず女紋を付けます。ただ、いつからか地域性や姑さんにより、嫁に来たらうちの紋をつけなさい!!となった家があります。

女紋さえあることを知らない(忘れてしまった)家もあるので、もし、分からなければ男紋をつけるといいですよ。無難に五三の桐でもいいですが、折角つけるなら自分の家紋をつけたいですよね。

もう1つ、プチ講座ですが「飾り紋」というのがあります。自分で紋を作ってつけることが出来ます。ただし、飾り紋ですので格はありません。
お久しぶり、賢くなろうぜ、ベイベー★です。第5弾♪

9月になりましたね。単衣の時期に突入ですね〜。
っと、前にも書きましたが、この辺は自由なので、暑ければ夏ものを着たって大丈夫なんですよ〜。

実は、旧暦からすればまだまだ、”夏”なんですよね。

ちなみに旧暦の9月1日は新暦の10月22日なんですよ。
http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/kyuureki.htm ←旧暦をココから調べられます。

でも、実際に今年の9月は何か夜は肌寒いので紗とか着ると、見た目にも寒々しいかもしれませんね。しかも、10月22日まで、夏ものを着るのもなんか勇気入りますね〜。

みなさま、タンクトップから半袖に移行した方、半袖から合服に移行した方、その日から、単衣を着ることをお奨めします。
なんと、二年ぶりのちょっと賢くなろうぜ、ベイベーです★

自身の日記は書いていましたが、こちらはまるっきりの放置プレイでした。
ちょっと賢くなろうぜ、ベイべー★は、
出来る限り私がUPしていきますね。

でも、あなたが知っていることがあれば、書いてねん♪

今回、クローバー第?弾は!

「右前打合わせ」について。

よく、左が上に来るので左前という人がいますが、正式には右が体に先にくるので、右前。

これは、奈良時代に出来ました。
当時の天皇の正確には元正天皇の衣服令「初令天下百姓右襟」から来ています。
読み方は「天下百姓をして、襟を右にせしむ」
天皇から百姓まで襟合わせを右前にしましょうというお触れが出たから、
右前なんですよ。

ちなみに、なんでまた右前なんかとうと、日本人は右利きが多く、一番動きやすいからとう説が濃厚だそうです。

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