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☆ホンダ党☆コミュのあなたが好きな本田宗一郎の言葉・行動

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あなたが好きな本田宗一郎の言葉・行動

ホンダが好きなのは、本田宗一郎が好きだから、という人も多いかなと思います。


※参加者の依頼により作成したトピです。

コメント(49)

ホンダの社員食堂のゴハンがおいしいのは、宗一郎氏が普段製作所でどんな食事を出してるのかと試食したところ
「こんなメシで社員のやる気がでるくぁぁぁぁ!!!」
とたいそうお怒りになったのが原因だと聞いたことがあります。

仕事の都合で鈴鹿製作所のゴハンを一週間ほどいただいたことがありましたが、やはり美味しかったです。その子会社のエクスプレ○スはトホーでしたが(特に石○丸倉庫・・・・・・・)
一番好きなコトバを挙げると
名言が多すぎて困ります。

浮かぶコトバとしては

「やらまいか」と
「自分のために働け」と
「人真似すんじゃね〜」

負けそうになったとき、
気持ちが折れそうになったとき、


思い出します。


ろくでなしで孤独なオイラですが、

僅かながら自分を奮い立せるとき、
このコトバに助けられます。
正確な「言葉」としては分からないのですが、

  『唯一の後悔は社名を「HONDA」にしたことだ』
   と語ったと聞いたことが・・・(。-艸-)その理由が素敵。

そんなあなたが好きだから「HONDA」のエンブレムしょって走ってるんですぅダッシュ(走り出す様)ダッシュ(走り出す様)ダッシュ(走り出す様)
「会社のために働くんじゃねぇ!
自分のために働け!」

F1で低迷していた時、
「勝てない(優勝できない)レースなら、辞めちまえ!」

「未知なるモノへの挑戦を辞めた時、
それは老いる時でもある」

と言った所でせうか。。。
何かのパーティーで(確かF1の優勝パーティーだったと思いますが)アイルトン・セナに「世界一のエンジンを作ってやる」と言ったそうです、その言葉を聞いてセナは涙したそうです。素晴らしい信頼関係だな〜(技術屋の意地も混じってるんでしょうか?)
『こんな大きなオートバイに誰が乗るんだ?』

その一人が僕ですあせあせ
「今の会社の若いもんが俺の分かる車を作るようになったら終わりだ!」

時代を常に意識し、自分すらもそれに着いて行かれなくなる事を理解する事は簡単ではないと思います。

空冷、水冷議論に負けて、潔く身を引いた姿、絶対自分も実行したいと思います!!
「わからないことは人に聞け、自分で調べるな!時間がもったいない」

小学校しか出ていない宗一郎さんは知らないのが当たり前、聞く事は恥ずかしくない。といっており、

ピストンリングがいまくできず時間とお金と労力を無駄に使ったのち浜松大学の先生に聞いたらすぐ解決した経験があります。

あと父親の儀平が非常に時間にうるさい人でしたから。


僕も学生時代からこれを実行しています。自分も他人より知識がないと思えば聞く事は恥ずかしくありません。
「”惚れて通えば千里も一理”という諺がある。それくらい時間を超越し、自分の好きなものに打ち込めるようになったら、こんな楽しい人生はないんじゃないかな」

新しいことを生み出すという挑戦のための努力は計り知れないでしょう。
でも宗一郎さんのようにそれを超えて、楽しむ人として人の目にうつれたらいいなぁって思います。
>カーゴさん

宗一郎、多分今で言う
中卒が高校中退くらいでしょうね。
その時点では

人に聞いてすぐ解ったのは、
試行錯誤したからだとも言えます。

あの後、おそらく
その教授のもとで猛勉強して
学位を取ったかと思います。

「やればできるんだ」コトバを
体現しているのではないでしょうか?

本質的は頭の回転がかなり
早い人物だと思います。
カーチス号の整備を任されたり、
現にアート商会で早く出世し、
最初に暖簾分けを許されたのも
確か、宗一郎だったと思います。


人に聞いても教えられた事を
理解出来なければいけないので、
なぜそうなるかを
追求する姿勢も大切だと思います。

ピストンリングの失敗が無ければ、
このような事を考え無かったと
思いますね。
補足、本田宗一郎は後に

ミシガン工業大学名誉教授工学博士に
なりました。

でも…

社長なんてのは偉くも何ともない
「社長、部長、課長、包丁、盲腸、
要するに命令系統をはっきりさせる
記号に過ぎない」

と言った方なので…

工学博士っ肩書きも

多分、本人自身も忘れてますね。
本田宗一郎のトピックがあるなら、


藤沢武夫のトピックも
作って貰いたいものです。


宗一郎曰わく
「彼がいなかったら
ホンダは無いだろう(倒産している)と」

あの有名な
マン島TTレース出場宣言や
F1GP出場宣言などの
宣言文を書いたのも本田宗一郎でなく
藤沢武夫によるものだと言われてますし、


この方の後押しが無ければ、
レース出場に踏み切る事が
出来なかったと言われてます。


数多の伝説を持ち
創造性のある
今のHondaは無かったのかと思います。


社長を技術畑出身者に
任せるスタイルなのも
彼の理念に基づいていますし、
(現社長・福井威夫氏もそうですね)




乗るときのまたぎを小さくし、
そば屋がおかもちを
持ちながら(クラッチレス)
出前に行けるバイクとして誕生した。
今やギネスにも認定され、
世界最多の生産台数を誇る
スーパーカブを生み出したのは
彼のアイデアによるものです。



また、彼の経営理念は
MBAの教科書にもなっているほど
優れていると言われます。


「ホンダ」が「Honda」と成り得たのも
彼の功績によるものだと思います。
(考え方によってはアメホンの
拡大に貢献した川島喜好氏や入交昭一郎氏と
捉える向きもありますが)




名参謀にして
本田宗一郎の盟友


藤沢武夫


本田宗一郎と同じく
語られるべきでは
無いかと思います。
藤沢武夫   通称?「六本木」

好きです。体格が大きくて、こわおもてで、発言もこわい、クラッシックと骨董品が大好きで世界中を飛び回る。そしてホンダを成功させたあの経営力。
とても魅力的な変わった人だとおもいます。

六本木と下落合(本田宗一郎)の凸凹コンビだからホンダがここまで成長したのだと思います。
うろ覚えですが…

ホンダが鈴鹿サーキットを作った時、鈴鹿市の方から市名を「本田市」に変えたいと言われた…
でも本田宗一郎は「市に個人名をつけるなんてとんでもない」ってその申し出を断ったらしいです


それを知ったとき俺もこんな男になりたいって思いましたね〜ぴかぴか(新しい)
「来年も最高のエンジンを作ってやるからな。」
初めてワールドチャンピョンになったセナにFIAの表彰式でだったかな?
言った言葉。

今年、富士でF1が開催されたあとに知ったことなのですが、
本田氏はサーキットで売るお弁当の単価にも気を配っていたようです。
チケットを買って、交通費をかけて来てくれる観客にサーキットで
食事にまで大金は使わせられないと。

みなさんのカキコを読んでいるとウルウルしてきます。。。たらーっ(汗)

うる覚えなんだけど「ホンダのエンブレムをつけている限り入手困難な部品でも必ず提供しろ」だっけなぁ
本田宗一郎氏の生涯を矢崎滋さん主演・NHKドラマ「やらまいか」での台詞
(ドラマ内の台詞なので宗一郎氏本人の発言からかどうかは不明ですが)
特振法案で4輪進出が危ぶまれたときに役人相手に、4輪に進出する意思は変えず

「言うことを聞かせたいならあんたら株主になってくれ!役人の言うことは聞かないが株主の言うことなら聞いてやる!」
というような台詞を言っていたのを覚えてます(なにせ13年位前のドラマの話なので・・)
空冷じゃないと砂漠を走れないだろうが!!!


日本で売る車なのに、いつも視点が世界に向いてる事に感動。
できないならばやめちまえ

中途半端な気持ちはいらないって強い決意がみられます
私が若き日にステップバンと言う軽に乗っていました。当時は一時ブームも終わりマイナーな車種でしたが、宗一郎さんの「最後の一台まで部品を絶やすな」の一言で部品供給は、国産一番でした。今は、20年近くなると部品供給が厳しく維持も大変な車種が増えましたが、本田 宗一郎(おやじ)の理念をもう一度企業努力として、最後の一台まで!がんばってほしいものです。
ホンダの車やバイクにいつまでも乗っていたいと思います。
あるインタビューで、死後の世界を信じますか?って聞かれて、

『死後の世界なんて全然信じませんね。死んで焼かれた後は、カルシウムになる』

ってお答えになったそうです。




………何も言えまへん…………
噂で聞いた言葉。


社長:うちの車は6万km走れれば上出来。


………俺はついてくぜ

詳しくは知らないけど、宗一郎さんがセナと対談(?)した際の言葉。

『お前のために、世界最強のエンジンを造ると約束する!!』

ここまで自分の会社の人間を信頼し、売り込む社長はなかなか居ないと思います。メカニックや開発陣に、よほどの自信があったんだろうなぁ。

よく定年退職の挨拶で「大過なく過ごしたのは皆さまのおかげ」と言うが、これは「なにもしなかった」ということで、「こんな失敗をしたがこんな成功もした」という人になって欲しい、が大好きです
マン島TTだったか、WGPだったかに参戦する時に

「世界一になれば日本一だろう」とかものすごい事を言われましたね。

後、鈴鹿サーキット建設の際に、
「池は埋めるな。貴重な農業用水だ」と言った事や、
建設の人員は地元から雇用する事を求めたとか、
本当に地元の方達への感謝や、協力を惜しまなかった方だそうで。


でも、一番印象に残っているのは、セナがタイトルを獲った後に、
パドックでセナと握手して「なんばーわん!!なんばーわん!!」
と顔をくしゃくしゃにして笑っていた宗一郎さんが今も忘れられません。
その次に、本田宗一郎の名前を聞いたのはあの世に旅立たれたニュースでしたから、余計に記憶に残っていますね。
まぁ、一度スパナを投げつけられて見たかったですね(笑)
昨年のモーターショーのホンダのテーマでもある
「無いものを作れ」
新しい事へ常にチャレンジするって事の大切さを思い知らされたほっとした顔
 「若さとは困難に立ち向かえる勇気」

原文とちょっと違いますが、私の座右の銘です。


あと、藤沢武夫氏関連の本の中にあった言葉で

 「青年は革新を好む。中年は妥協を求め、晩年は保守だ!」(チャーチル)


生涯、攻めの姿勢を貫きたいものです指でOK
「レース場に行ってみな。若者たちの目が輝いているゼ」

といったとか。。。

現場主義、客というより愛用者の立場、想いを感じ続けたい、人を喜ばせる仕事をしたい、という総一郎さんの気持ちが伝わる気がします。

晩年に皇居の親授式に行く際に「技術者の正装は真っ白なツナギ(作業着)だ」と言って、その格好で出ようとして周りに引き止められたっていうエピソードですね(ただ燕尾服を持ってなかった故の脚色との説もあるそうですが)。

ただ、その通りだろうと思わせるところが本田宗一郎たる所以で、さすが、経営は盟友の藤沢武夫に任せてエンジニア魂を貫いた誇りを感じさせるエピソードですね。


今日(8月5日)は本田宗一郎の30回目の命日です。

あらためて、ご冥福をお祈り申し上げます。

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