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10×220乗の手コミュの永遠と無限の使い分けについて

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つるみんさんから、永遠と無限の使い分けについて、私の説明が不十分で混乱させられた、と指摘がありました。

メッセでのやり取りだと過去のお互いの書き込みを遡って見るのが大変なので、ここを使って話したいと思います。

次の展開へ行く前にすっきりさせておきましょう。

以下、問題に関係する私の発言を抜粋しました。↓

「>無限ということが終わらないことだから、

厳密には、ここが↑ちょっと違うんです。
て言うか、ここに、つるみんさんが陥っている罠がある。(笑)

つまり、永遠と無限は違う、ということです。
永遠に考え続けることが出来るということと無限は違います。
ところが、つるみんさんの思考では、

永遠に考え続けることが出来る→無限だ

になっちゃってる。

実際には、永遠に考え続けることが出来る有限です。

ところが、この有限が「永遠」と混ざり合って、いつの間にか「無限」にすり替えられちゃってるのです。 」 (05月02日 06:33)

「永遠に考えても止まる地点はありません。どこまででも分割出来ます。
ですが、考えられている点はどこまで行っても有限数でしかありません。
したがって、永遠に分割可能な有限数なのであって、無限にはならないのです。
それをもって、無限の一歩手前の永遠と言ってもいいです。
永遠というのは「時間」だから、ただ永遠に長い時間に過ぎず、宇宙の終わりまで行っても有限なのですよ!」 (05月02日 07:07)

「そうですね、単なる言い方の問題だとも言えるかも知れません。
宇宙の終わりまで考え続けるほど分割したら、こりゃもう無限と言ったっていいじゃん!ってね。(笑)
これは、日記の羽生さんの言葉↓

「はい、勝負の手は10×220乗あるらしいです。ですから有限ですね。でもそれだけの数っていうのは相当な数なので実際には無限にあると言ってもいいでしょうね。」

に通ずるものですね。
そうかも知れません。

しかし、厳密を規するなら、やはり無限にも等しいほどの無数の有限ですよね?
有限個数はいくら足して行ってもやはり永遠に有限なのですよ。 」 (05月02日 08:37)

「私が有限だと言っているのは、永遠に分割し続けることの出来る有限、ですよ。
その永遠を無限と言い換えたいのであれば、それを無限と表現しても構いません。
しかし、私が言いたかったのは、それは厳密に言えば、永遠に分割可能な有限ではないですか?ということです。」 (05月04日 17:32)

「 この表現に対して私の言い方では、

・分割された一個の線分・・・・永遠に縮まり続ける
・分割数・・・・永遠に増え続ける

無限にではなく、永遠に思考し続けることの出来る有限個、または有限数です。 」 (05月04日 17:42)

「駄目押しです。(笑)

分割は永遠に続けることが可能ですが、分割された線分と、その線分間の点は有限個数です。

↑これが分かり易いかな。 」 (05月04日 17:48)

「>分割は永遠に続けることが可能であるなら、
分割された線分と、その線分間の点は、無限個数です。

これ、もう何度も繰り返し言うしか、もう無いんですけどね。
言い方、あるいは、「無限」という概念の解釈の問題でしかありません。
私の中では、我々が指している対象の認識には違いが認められません。
これを「永遠の分割可能な有限数」というか、「永遠に分割可能ならそれはもう無限数だろう」と言うか、どっちでもいいんですよ。 」 (05月04日 20:16)

「はい、私は何度でも言いますよ。(笑)
表現の問題として、つるみんさんがどうしても「無限」という概念を使いたいのであれば、どうぞお使いください。
無限と言い換えてはダメです、私の中では。
しかし、私が何度言っても、それは無限と言い換えても良いとつるみんさんが言うのであれば、どうぞ、言い換えてください。
ということです。 」 (05月04日 20:16)

コメント(29)

で、私とつるみんさんの食い違っている部分は端的にここに現れているのかな。↓

じみー「分割は永遠に続けることが可能ですが、分割された線分と、その線分間の点は有限個数です。 」

つるみん「分割は永遠に続けることが可能であるなら、分割された線分と、その線分間の点は、無限個数です。」

このすれ違いを分り易く書いたのがこれです。↓

「この永遠の分割作業の過程で私がつるみんさんにこう言いました。

私「つるみんさん、この辺で一度分割作業を止めてみましょう。点の数と線分の値はどうです?ほら、有限値ではありませんか。」
すると、つるみんさんが言う。
つるみんさん「いやいや、でも、じみーさん、まだ無限に分割を続けることが可能ですよ!」
私「では再び分割を始めましょう。」

一年が過ぎ、私はつるみんさんに言いました。

私「つるみんさん、この辺で一度分割作業を止めてみましょう。点の数と線分の値はどうです?ほら、有限値ではありませんか。」
つるみんさん「いやいや、でも、じみーさん、まだ無限に分割を続けることが可能ですよ!」

それから百年が過ぎ、私はつるみんさんに言いました。(文明も進み、私たちの寿命も延びました。)

私「つるみんさん、この辺で一度分割作業を止めてみましょう。点の数と線分の値はどうです?ほら、有限値ではありませんか。」
つるみんさん「いやいや、でも、じみーさん、まだ無限に分割を続けることが可能ですよ!」

それから千年が過ぎ、私の子孫がつるみんさんの子孫に言いました。

私の子孫「つるみんさんの子孫さん、この辺で一度分割作業を止めてみましょう。点の数と線分の値はどうです?ほら、有限値ではありませんか。」
つるみんさんの子孫「いやいや、でも、じみーさんの子孫さん、まだ無限に分割を続けることが可能ですよ!」

それから、やがて地球は滅びました。
が、この分割作業は、宇宙へと飛び出した人類の子孫に受け継がれ、永遠の時間に渡ってこの確認作業が繰り返されました。 宇宙が終わるまで。

…終わり。 」
どうも。じみーさんから聞いてやってきました。

ぎた〜らさんの日記に書いたように、わたしは、こういう話をするときは便宜的に、永遠というのは時間に関して、無限というのは空間に関して、というコンセンサスを最初にとった方がよいと思います。一般的に、無限の意味は空間も時間も含みますが、永遠は普通は空間は含まない。つまり同じレベルの言葉ではないと考えています。
いつ、この用語の摺り合わせ(前提確認)をするのかなぁと思いながらずっと見てました。
また、時間と空間は一続きの同じもののある側面で、本来、切り離して考えることはできないんじゃないかとも思ってます。これも関係性の問題だと思います。
線の永遠(無限ではなく)分割行為に関しては、「一旦止めて」という時間の概念を入れた段階で矛盾しだすのは当然だと思います。
>マロエストさん

ご来場どうもです。

>永遠というのは時間に関して、無限というのは空間に関して、というコンセンサスを最初にとった方がよいと思います。

これは、私の↓

「永遠というのは「時間」だから、ただ永遠に長い時間に過ぎず、宇宙の終わりまで行っても有限なのですよ!」

この発言とどこかでシンクロして来るんでしょうか。

>線の永遠(無限ではなく)分割行為に関しては、「一旦止めて」という時間の概念を入れた段階で矛盾しだすのは当然だと思います。

それに関して、私が、私とつるみんさんのどたばた劇を物語風に書いたもので言いたかったかったのはそれで、つまり、ただ違う側面を捉えて言っているだけだと言いたかったのです。
私は、個々のどの瞬間を捉えても有限値だと言っているのに対し、つるみんさんは、永遠に進行可能な側面を捉えて無限だと主張しているんですね。

ところが、そこで無限としてしまうことは時間を止めて永遠に0を増やし続けることになるので矢が到達しないのは当たり前なんですと言ったわけです。

それがこの問題なんです。↓

「>プロセスは終わらないからこそXとYは無限数とする他はないんですよ!。
>念を押しました(爆)!

はい、では、線分の長さXに無限数を入れてみてください。

「0.00000000000000・・・・・・・・(省略)・・・・・・・・000000000000001」でいいですか?

しかしこれは私が言うところの有限数というやつですね?つるみんさんの言い方では、これはまだ分割の途中です。
ではどう入力します?

「0.00000000000000・・・・・・・・(省略)・・・・・・・・00000000000000・・・・・・(続く)」

これならいいですか?これならいいですよね?
ところが、これは分割作業を続けているプロセス=時間が含まれていますから、時間によって違って来る数値を同時に入れようとしているということなんですよ。
そして、これでは最後まで最後の「1」を入力することが出来ませんから(これがつるみんさんの言う無限のプロセスでしょう?)、数値入力不可なんです。
よって、「XとYは無限数とする他はない」のではなく、「XとYは無限数とすることが出来ない」のですよ。
だって、永遠の時間を要求することで、実は数値入力を保留しているのですから、それでは時間を止めていることになるのですよ。
時間を止めて0を永遠に増やし続けているのですから矢が永遠に的に辿り着かないのは当たり前でしょう?」 (05月09日 19:22)
>Kaoさん

>すみません、物見遊山で(^^ゞ

いえいえ、ライヴと一緒でギャラリーがいた方がいいです。(笑)

あ、そう言えば、Kaoさんもプログレ好きだよね。(笑)

いや、あの日記にコメントくれた人はプログレが好きな人ばかりだと最初の頃に書いてたのです。
おつかれさまでーす。
じみーさん>
日記にもちょっと書きましたけど、じみーさんの言う"永遠"と"無限"の使い分けで、
僕が一番聞きたいのは、"無限"つまり、限りが無い事(=終わりが無い事)、が"永遠"の
方にも当てはまるか否かです。ここをはっきりさせていただけますでしょうか。
そして、その他にじみーさんにとって言い換えてはダメな理由を教えてください。


マエストロさん>どうも。
永遠は時間についてだけというのは言葉として分かりやすいです。
無限は空間にも時間にも言えますね。無限の空間、無限の時間というのが無限の原風景
かもしれません。時間と空間が一体なのに、分けて考えてしまうというのも同感。
また、分割は空間的ですが、時間的でないという僕の考えにも似ているかもですね。

みなさん>
で、無限に続くことをプロセスを追って確かめる時にかかる時間は、矢の進む時間
とは関係ないということは、おそらく誰もが分かると思います。じみーさんともこの考え方ではおそらく一致しています。上のじみーさんのように、点を時間の単位の位置と設定して考えることもできますが、そうしなくてもいいと思いませんか?※
そこでは時間は考えなくてよく、一旦は、
[線分は無限に分割できるかできないか]の問題を単独で扱ってもいいはずです。
(実際いちばん手間を費やしているのはその問題です。)いかがでしょうか。
※[時間は無限に分割できるかできないか]でも計算は同じですが紛らわしいので。

ただ、思考プロセスに対してじみーさんが"永遠"という言葉を使ったために、プロセスの作業時間というニュアンスが強まって見えますが、それは、僕が上で聞いた件がはっきり分かれば問題ないです。
もちろん、じみーさんが時間も関係あるっていうならもちろんお聞きします。


で、分割は最終的な結論として無限と言えるか有限と言えるかが分かった後(または別のトピックでもいいけど)、ゼノンの矛盾について話したいです。
じみーさん>
あーもうなんか、無限に終わらない議論ですよね(笑)。
ちょっと脱線してすみませんが、じみーさんの3の書き込みを見て。

X(0でない無限小の線分の幅)xY(線分の数)= Z(全体の長さ)

以前、
0.333333333333........(無限に続く)は入力はできないけど、
1/3は数学的に表せる、っていう発言がありましたよね?MEWさんとかの。
だったら、
1/∞ x ∞ = Z(全体の長さを1とする)

Z/∞ x ∞ = Z(全体の長さ) でもいいや。
でいいんじゃないですか?


といいたかったのですが、数学的にこの公式がOKかどうかが分かりません。
じみーさんのいいたいのは一回一回の数値だから当然有限数です。
僕はそれをトータルでいいたかった。
微分積分なんかではそういう式もあったと思います(勉強まじめにやらなかったし忘れてしまいましたゴメンナサイ・・笑)

まあ、これがNGとしてでもですよ、
XY=Z の二次関数のグラフは数学的に存在するわけです。
これが僕が直接会って見せたかった図の一つ。
たとえば、
XY=6
この時、  
0<X≦6 , 1≦Y が条件です。 
( 1≦Y というのは最初の6mを一個の線分としてはじめた場合 )

これがどのようなグラフになっているか書いてみてください。
もしくは僕が週末に書いてアップします。

※数式の記号がパソコン機種により文字化けしてたらごめんなさい。
あ、
マエストロじゃなく
マロエストさんでした!すみません。
あ、いえ。紛らわしくてすいません。
>つるみんさん

結局、議論の続きのようになってしまいますね。
私としては、議論再開の前に、とりあえず、私の説明が不十分だと指摘された部分について明確にしておきたかったのですが。

あと、議論を再開するのであれば、その前に私の日記の最後の部分で私が質問されていることに答えるのが順序としては先ですね。

ところで、MEWさんが準備しているものがあると書いていましたが、アップ出来ますか?
もし出来る状態だったら、新トピックを立てますので、MEWさんにまずそれをアップしてもらいましょう。
じみーさん>
すみません。議論の続きのようになって。

何より、じみーさんのお答えをまず聞きたいと思います。
下記の件、よろしくお願いいたします。

>じみーさんの言う"永遠"と"無限"の使い分けで、
>僕が一番聞きたいのは、"無限"つまり、限りが無い事(=終わりが無い事)、が"永遠"の
>方にも当てはまるか否かです。ここをはっきりさせていただけますでしょうか。
>そして、その他にじみーさんにとって言い換えてはダメな理由を教えてください。
>つるみんさん

このトピックの問いかけへの答えがメッセの方で来ちゃいましたね。
出来ればここで一本化した方がいいように思います。
メッセでやり取りしてしまうと見ている方も議論の流れが見えずに混乱するかと。

上の質問はそれと一緒にお答えしますが、無限が永遠に当てはまるというのは?
永遠にも終わりが無いということがあるか、ということですか?
>無限が永遠に当てはまるというのは?
>永遠にも終わりが無いということがあるか、ということですか?
じみーさんが使っている"永遠"の意味に、終わらないという意味があるか、無いかです。
ちなみに、どちらとも言えない、でもありです。
>つるみんさん

くどいようですが、メッセの方でもらった部分、読み返してみても、上記で質問されていることがより詳しく書かれていると思います。
こちらにも貼り付けてもらった方がいいかと思いますよ。
皆さんにも分るようにってことで。
ではじみーさん宛に、メッセで送ったものを貼り付けます。
これは、すれ違いの原因の1つを出来るだけ分かりやすくして、
誤解を解きたかったという趣旨でお送りしました。

------------------------------------------------------------------

>どのように「永遠と無限の言葉の使い分けについてはっきり説明されてないのか」
それはまず真っ先に書いた、永遠の方にも限り無い・終わりが無いことが当てはまるか
どうか、という違いがずーっとはっきり説明されてこなかった。・・・になります。
永遠だと、ただ永いだけで終わりがあるかもしれないとも言えますので。
・・・という事も前書きましたけど。

「永遠に考え続けることができる=無限」
ではない、というのがいままでの中で一番直接に説明されてるところで、
あとはその応用の繰り替えしになってると思うんです。
その後、
「宇宙の果てまで行っても数え切れない程の有限なら、無限と言ってもいい」
これと羽生氏の言葉を重ねていますね。
で、最後まで分割数を「無限」とは認めなくて、「有限」というのが、じみーさんの中で
一貫している、ということなんですよね。
「永遠に考え続けることができる有限、を無限と言い換えてもいい。言いたければどうぞ」
というのも羽生氏の言い方に重ねているといっていいんですよね。
そして、言い方の問題・解釈の問題だけだからそれはどちらでもいい、と
思ってるわけですね。
羽生氏の言葉が有限=無限にしてしまっていいという意味ではないことは
じみーさんも言われていましたよね。
ということは「永遠に考え続けることができる有限、を無限と言い換えてもいい」
は、厳密には違うけど、人の体感的・感覚的には殆ど同じようなものだから、
言い換えても気にならない程度、ってことで、どっちでもいいと思ったんでしょう。
でね、
それと、僕が理論的にできるだけ厳密に「無限」か「有限」かの問題を考えたいという
気持ちとテーマとは完全にずれてしまいませんかってことなんですけど(笑)

なので、僕の「線分は無限です」という反論に対し、「言い換えてもいい」では、
じみーさんの側の考え方の中で言ってもつじつまが合ってないのではないでしょうか。

------------------------------------------------------------------
>つるみんさん

>じみーさんが使っている"永遠"の意味に、終わらないという意味があるか、無いかです。

私はまずこれ↑を読んで面食らったわけです。
永遠とはまさに終わりが無いという意味ではないか?と思ったわけです。

で、

>永遠だと、ただ永いだけで終わりがあるかもしれないとも言えますので。

これ↑を読んで少し分ったわけですが。
終わりのある永遠とは論理矛盾ですよね。
永遠とはまさに終わりが無いことですよね?

もしある男が「私は貴女を永遠に愛し続けます。」と言った後に、「でも終わりがあるかも知れない。」と言ったら女性はまず間違い無く怒り出すでしょう。(笑)

私もひとつ質問させてください。

私が日記の方で、私とつるみんさんの子孫に渡ってまで永代に渡り分割を続けた話を読んで、つるみんさんは「じみーさんが面白おかしく書いてくれましたけど」としかコメントが無かったですが、あれを読んでつるみんさんは何を思いましたか?
私は、これこそが私とつるみんさんのすれ違いを表現したものだったのですけどね。
> じみーさん

お答えいただきありがとうございます。
では、言い換えてはダメだという理由が他にあるんですね。それを教えてください。

質問へのお答え>
未来の果てまで続けても終わらない、という思考実験は、一瞬でシュミレートできる、という事ですね。
という事は、無限分割はそのプロセスの形式から見ても、終わりがない事は疑いようがないという事になります。
終わりがあったりしたら、無限分割してるのに分割数は有限という事になってしまいます。
終わりが無いとわかりさえすれば、プロセスを追いかけても仕方ない・必要がない。

といった所です。

例えて言うと、
ニワトリが先かタマゴが先か、という問題がありますが、僕はどちらでもいいと思っています。プロセスの外側に居て、タマゴないしニワトリは無限だと考えます。

じみーさんはタマゴである事にこだわって、プロセスの途中でタマゴの数は有限だ、有限だ、と言っているように思われますが、違いますでしょうか?
↑補足しますと、
無限・有限の問題に当てはめて言うと、

分割のプロセス一回一回における、

・分割された「線分」がタマゴ

・それをさらに分割できると思える「点」がニワトリ。

となります。
>つるみんさん

>では、言い換えてはダメだという理由が他にあるんですね。それを教えてください。

この「他に」というのがちょっと分らなかったんですが、では他ではない理由はどれですか?(自分で聞くのも何か変ですが。つるみんさんが理解している第一の理由というのは何?)

>という事は、無限分割はそのプロセスの形式から見ても、終わりがない事は疑いようがないという事になります。
終わりがあったりしたら、無限分割してるのに分割数は有限という事になってしまいます。

いや、分割に終わりが無いことは最初からお互いに異論無かったんじゃなかったでしたっけ?
あの物語の中で、そのことは私も問題にはしてないんですが…。(汗)
私が問題にしたのは、私とつるみんさんがどうすれ違っているか、お互いに、ある側面を言っているのであって、どちらも決して間違ったことを言っているわけではない、ということなんですが。
ここが何度言っても伝わらない、あるいは受け取ってもらえないという感じがしているんですよね。

>終わりが無いとわかりさえすれば、プロセスを追いかけても仕方ない・必要がない。

あ、わかった!
分割に終わりがあるかどうかを確かめるためにプロセスを追いかけたと思ったんですね!?
違う!違う!(笑)
そうじゃないです。
私が言いたかったことは、私とつるみんさんがどうすれ違っているかということですよ。
分割は永遠に続けることが出来るということはそれ以前にも言っていると思います。
例えばこれですね。↓

「永遠に考えても止まる地点はありません。どこまででも分割出来ます。
ですが、考えられている点はどこまで行っても有限数でしかありません。
したがって、永遠に分割可能な有限数なのであって、無限にはならないのです。
それをもって、無限の一歩手前の永遠と言ってもいいです。
永遠というのは「時間」だから、ただ永遠に長い時間に過ぎず、宇宙の終わりまで行っても有限なのですよ!」 (05月02日 07:07)
「理由が他にある」=「理由が他の所にある」です。
いままでの経緯と文脈で分かるかと思いますが。
いづれにせよ、終わりが無い、という肝心なことが聞けてよかった、と思います。

言い換えてはダメだという理由が明確になりましたら、新しいトピに移行しましょう。

べつに全部が反論の発言ではないですから。
自分の思いや考えを聞かれているから大事な事を言っているまでです。

>分割に終わりがあるかどうかを確かめるためにプロセスを追いかけたと思ったんですね!?
いえいえ違うに決まっているでしょう。

じみーさんは、プロセスを追いかける立場からしか言っていない、と
言いたかっただけです。
もちろんそれ自体だけをとれば間違いじゃないですよ。
僕の側の立場に立ってみようはとしましたか?

僕もプロセスを追いかけることはしてみました。
しかしそれでは全体を網羅できていないことが分かったのです。


>考えられている点はどこまで行っても有限数でしかありません。
それは、どこまでいっても途中で止めて見た数、であって、全体を
言い当ててはいません。
常に欠けた値のままだということになってしまいます。
それ自体は間違った見方ではないけれど、
無限にならない根拠にはならないですよ、といいたいのです。
そして、問題に対する答えにはなっていないのです。
(無限になる、というのもホントはおかしくて、最初から無限であるのです。)

全体を捉えるのに最適な言葉は、既に最初に概念としてあったものです。
当たり前ですけど、もともと観念としてそういう設定をしたのだから。

とっておきのお話があるので、それも書きます。
>つるみんさん

無限ではない理由は既に日記の方で言っていますよ。
例えばこれです。↓

「まず、「矢が無限の点を通る」と言う場合、あるひとつの前提に立っているのです。
それは、矢から的までの5mの一直線の線を、「点の集積」と考えている、ということです。
ところが、線を分割して行ってもどこまでいっても0になりませんから、それは必ず線分であるはずです。つまり幅があるということです。
ですから、幅は永遠に点=0にはなりません。
ですから、無限の点を通ってはいないのです。
通っているのは、有限の線分の集積です。」 (05月02日 00:14)

>僕の側の立場に立ってみようはとしましたか?

当然立ってます。
私は、つるみんさんの立場を否定していないんですよ。
私とつるみんさんが違う側面を言っているだけだということを言いたかったのが、あの会話風物語です。
あれは、どちらの側にも立っていない立場、あるいは、両方の立場を認めている立場です。

>僕もプロセスを追いかけることはしてみました。
しかしそれでは全体を網羅できていないことが分かったのです。

しかし、全体とは何でしょうか。
永遠に分割を続ける以上、終わりはありません。
「終わりが無い」とは?
「途中しか存在しない。」ということではないですか?
終わりが無いのだから、存在するのは途中だけです。そうではないですか?
終わりが未来永劫に渡って先送りされている以上、それは事実上、無いことです。
したがって、全体は永遠に網羅出来ません。

>それは、どこまでいっても途中で止めて見た数、であって、全体を
言い当ててはいません。
常に欠けた値のままだということになってしまいます。

しかし、無限には全体というものは無いのですから。

これこそ、実は日記の最後の方で私がつるみんさんに教えていただいたことですよ。(厳密には、つるみんさんの問題提起によって気付かせてもらいました。)これです。↓

「「プロセス全体」とは何を指しているのか、ですね。
上にも書いた通り、無限に分割可能なプロセスに「全体」という概念は適用出来るのか?ということです。
この疑問自体はまだ私の中で解決されていません。」

これについては、つるみんさんも同意していたはずですよ。↓

「おおー。なるほどなるほど納得です。疑問点がかなり明確になりました。
有限のプロセスについては結果もあり、有限な全体と言えるけど、
無限の場合ですね。」
とっておきの話です。
内容的にはこれが僕の答えです。

「森」
2人のおにいさんはハイキングに出かけ、高原から景色を見渡すと、いい感じの大きな森が目に映ります。
そして、森について、議論しました。

A「森って不思議ですね、どこまでが林でどこからが森なのでしょう?」
B「そうですね、もっと大きなものは森林とか?」
A「それでも何かを基準に森は森として見ますよね」
B「たぶん林は数えられるくらいの木、森は数え切れないくらい木、くらいの分け方でしょうね」
A「ホントですか?それ(笑)。では森は無数の木でできていると?」
B「ええ。森は無数の木でできている」
A「では、一体、何本目からが森になるか、数えて見ましょうか?」(半ば冗談として)
B「数えて見ましょう」(半ば冗談として)

こうして、2人は森の中に入っていきました。
そして木を数え始めました。

10分後 A「39本,40本,41本・・・・・もうこの辺で林にはなってますよね?」 B「ええ。」
1時間後 A「155本,156本,・・・・まだまだ数えられますね」
3時間後 A「542本,543本,545本・・・・まだまだまだですね」 B「まだ森じゃないですね」
以下延々つづく。
・・・
・・・・・・・・
・・・・・・・・・
3日後 A「18888本,18889本18890本・・・・はあ、ひい、まだ数えられます」B「じゃまだ森とは言えないね」
・・・
A「ちょっと一旦休憩しましょう。これではいっくら数えても森にならないですね」
B「そうですね、数えられますからね」
A「数え切れる、っていうのはどこまでも終わりがないことだっだとは」
B「ちょっとまてよ?だいたい、どこまでいっても一本の木しか見えないではないか」
A「え」
B「私はどこまでいっても森というものには出会えない、と思うのだ」
A「は」
B「出会えないものは認めるわけにはいかん。正しくは、無数に数えつづけることが出来る、木だ!。
そうだ、そうとしか言いようが無い。」
A「いや、それをこそ森というんでは」
B「君が言いたければ森と言い換えてもかまわない。でも私は森などとは認めない
だって考えられている木は一本一本でしかなく、数え切れないという状態は無いではないか!
どこまでいっても一本の木なんだよ」

こうしてB氏は木を見て森を見ない人となったのであった。


ごめんちゃ〜〜い。
ご無沙汰です。

実は最近、ゲーデルについてと無限についての二冊の本を読んだ関係で、再びこの「飛ぶ矢」の問題、無限の考え方の問題を考えてます。(笑)

それで久しぶりにこのトピックを覗いてみたら、なんと!
最後の書き込みが、つるみんさんの上の書き込みで、それがちょうど二年前の今日!

この頃は、私も、そしておそらく、つるみんさんも知らなかったと思うんですが、ここでずっとやり取りしていた辺りのことは、「可能無限と実無限」という話らしいです。

私がここで、永遠とは永遠に考え続けることが出来る有限だ、と言っていることが「可能無限」の立場なんだそうです。
で、「実無限」は、完結した無限が客観的に存在するとする立場だそうです。

で、「アキレスと亀」や「飛んでいる矢」のパラドックスは、この、「可能無限と実無限」の混同ということで解けるそうです。

つるみんさん、見てるかな?(笑)

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