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ポエム同好会 ポエマーズコミュのリレー小説「(タイトル未定)」毎日更新

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2010年5月17日(月)スタート。
このトピック内に、女子美術大学に展示しているリレー小説本文を毎日アップロードしていきます。
女子美術大学の展示場所の更新が終わった後、こちらにアップされます。
平日のみ。土、日は更新しません。
ぜひ、毎日ご覧くださいませ。

※小説本文のみ掲載可能。コメントなどは書き込みしないでください。

コメント(37)

 もうここで二十分はこうしている。似合わないことなんかするんじゃなかった。ぼくは今、知らない喫茶店のトイレにこもっている。
 
 昨夜はアラームをセットしなかった。今日はなにも予定がなかったのだが、そんな日に限ってすっと起きられてしまうのはどういう訳なのだろうか。
 今週はずっと雨続きだった。起きた瞬間からカーテンの向こうのまぶしさに気づいていたので、ぼくはすぐに今日を洗濯の日に決めた。一週間と少しの分の衣類やシーツやタオルを洗ってしまうのには、洗濯機を三回も回さなくてはならなかった。
 そしてやっとの思いで三回目のそれらを干し終える頃には、ぼくのお腹はぺこぺこだった。食べ物がなにもないことは分かっていたので、とりあえずいつものスニーカーを履き、外へ出た。

 信号の青に促されるままの方向へとぼんやり足を進めていた。穏やかな風が顔を撫でる。するとその風にまぎれてほんの少し、珈琲のにおいがした。普段のぼくならばそのまま通り過ぎてしまっていただろうが、空腹の時分だったので、そのにおいに運ばれるようにこの喫茶店に入ったのだった。

 カウンターにはマスターらしきひとが一人。その後ろの壁には、横一面を覆うほど大きな黒板が掛かっており、その広い黒板には、珈琲、紅茶、トースト、モーニングセット、とだけ書かれていた。
 ぼくは、人のいない窓際の隅の席へ、腰を落ち着けた。窓際といっても、窓はくもってるし、観葉植物は生茂って、せっかくの日の光が入らない。それが変に落ち着く気もしたのだけれど。

マスターが、灰皿と水を持ってやってきた。メニューを持たないところを見るに、成る程黒板に書かれたものだけらしい。禁煙者のぼくは、灰皿を手で制し、「モーニングセット、一つ」とだけ言った。からからの喉を水で癒して、「今頃、洗濯物達、気持ちがっている」なんて事を思った。

モーニングセットを待つ間、ぐるりと店内を見渡してみたけれど、グーグー寝ている爺さんや、休日は本がお友達らしい30代半ばの女性ぐらいしかいなかった。窓はくもっているし、退屈して、ああもう砂糖の粒を数えるしかないやと考えていた時、からんころんとドアが鳴った。

観葉植物が邪魔で、かなり首と腰の筋肉を使わないと、ドアの方は見れなかった。そんな風にして無理矢理ドアの方向を覗くぼくを、さっき入ってきたらしい、女の子がキッと睨んだ。いや見た。睨んだんじゃない、見たんだ。ぼくは心の中ですみませんを唱えながら、テーブルに向き直った。にしても不思議な女の子だ。ショートカット、昔飼ってた猫に似ている、中性的で年齢不詳である。まあこんな古い喫茶店には、ああいう女の子が一人はいるのだろう。ぼくはそわそわとモーニングセットを待った。
 焦らしているのか、と思うほどモーニングセットはきやしない。マスターのザクロ色の唇を、退屈なロンドン娘のごとく見つめることしか僕には残されていないらしい。思い出したくもない、1989年のジャズバーの賑わいの中での接吻。あのロンドン娘、元気だろうか。

「モーニングセット、お待たせしました。」
きっと元気だよ。と僕の欲しい言葉をくれない代わりにマスターは色付いた香りを放つものを僕にくれた。パン。
「ちょっと、なんで先にアナタのところにモーニングセットがくるのよ。」
僕の飼っていた猫に似ている彼女がどういう訳か怒っている。観葉植物がすまなそうに揺れた店内はホコリが舞うことすらも許されないほど静まりかえっていた。壁に掛かったアンディウォーホルが「やっちまったな」と僕をみている。僕は何もしていないのに。
「急いでないので先にいいですよ。まだ手もつけてないですし。」
争いごとになるよりはいいさ、と僕は彼女にできるだけ声のトーンを穏やかにしていった。
「じゃあアナタ、トイレに行ってくれるかしら、食べてるところを見られるの嫌なのよ。」
信じられない子猫ちゃんだ。
そんな、ショートカットで膝下ゆうに20センチはある細かいプリーツスカートをはいている子猫ちゃんに、言われるがままトイレに入って、もう20分はこうしている。
ぼくの空腹はとっくにピークをすぎ、便座に腰掛けたところで出すものもない。

慣れないこと、するんじゃなかった。第一、ぼくはそんなにお人好しでもなければ、知らない人の言う事なんか素直に聞く人間でもないのに。どういうわけか、子猫の言いなりになっている。
はぁと息をはきながら、頭をあげてみた壁。狭いくせに、マスターの奥さんの趣味か知らないけど、カントリー調のタペストリーやリースなんかで支配されている。(まぁ、それだから20分もこうして子猫のエサがなくなるのを待っていられるのか、も知らないけれど)

そろそろ腰が痛くなってきたので、ズボンをあげようとベルトに手をかけると、左のポケットから白いメモ用紙が、ネイビーブルーのタイルの床に落ちた。
「あ、さっきの。」

ぼくはトイレに入る前にこのメモを拾ったことを、昨日の夢のように思い出した。トイレまでは観葉植物の林を抜け、子猫ちゃんの席とカウンターの間を通って来なければならなかったから、あの子のものに違いないと思ったけど、そのままポケットに突っ込んできたのだ。(いや、あの子のものに違いないと思ったから、か。)
 ぼくだって空腹であるのに、いつまでも終わらない彼女の食事に少しいらいらとして、「そもそも食事するところをみられなくないとは何だ。だったら、自分の家でひとりで食事をすればいいのではないのか。そもそも、きみの食べるとこなんか、誰もみやしないよ。」と、小さな声で文句をいいながら、ぼくは躊躇もなしに彼女のものであろう小さな紙片を開いた。

「アルカネット」

小さな紙の真ん中に、これまた小さな文字でそう書いてある。アルカネット。たしか、青色や白色のかわいらしい花をつける植物だ。ぼくはこの花についてそれしかしらない。彼女はいったい、何を思ってこんな花の名前をメモしたのだろう。
まぁ、どうでもいいか。いまは早くここをでて、コーヒーだけでもいいからおなかにいれたいな、と思った。そうだ、なぜ彼女の言いなりになどならなければいけないのだ。もういいだろう。20分も経っている。きっとほとんど食べ終わって、いまはコーヒーでもすすっているだろう。

ぼくは手を洗い、備え付けのペーパータオルできれいに拭いてドアを開けた。するとやはり彼女は食事を終えて、コーヒーカップを口へ運んでいるところだった。しかしトイレからでてきたぼくに目を向けず、「ご苦労様。」といった空気をよこしてきただけで、申し訳ないという気持ちなどない、といったふうだった。
「すぐ、お食事をお持ちいたしますね。」
マスターが苦笑いで、ぼくに向かってそういった。
ぼくがトイレで待たされている間にある程度用意してくれていたのだろう。今度はすぐにモーニングセットは運ばれてきた。やっと食べ物にありつける。

一方、“信じられない子猫ちゃん”はコーヒーを飲み終え、帰る支度を始めている。

ぼくはポケットの中のメモのことを思い出した。大切なメモかもしれない。
ぼくはとっさに
「マスター、これ多分彼女が落としたメモだと思うんですけど...」
と言ってマスターにメモを差し出した。
「そうですか、渡しておきましょう。」
マスターは微笑んでそのメモを受け取り、彼女が待つレジに向かった。

ぼくは彼女の反応を気にしながら、パンに備え付けのバターを塗り、ボイルされたソーセージとパンを交互に口に運んだ。店の雰囲気のせいか分らないが、パンもソーセージもこだわりを感じる味がした。

彼女はスムーズに会計を済ませ店を後にし、ぼくの横にある窓の前を通っていった。くもりガラスと生い茂る観葉植物のせいで肝心の表情は見えなかったが、心なしか足取りは重い気がした。


「アルカネット」

なんだか、だじゃれに名前だな。
そう思ったらそんな花の名前のことも彼女のこともどうでも良くなって、僕の意識は目の前の食べ物の方に切り替わった。
 モーニングセットを食べ終え空腹を満たしたぼくは会計をすべくレジへ向かった。

「ありがとうございました。」
そう言ったマスターに対してぼくは
「ごちそうさまでした。」
と言ったまではよかったが、そのあとなぜか
「また来ます。」
と言葉が続いた。自分でもわからないがそう言ってしまった。次に来る予定など考えもしていなかったのに。モーニングセット、曇った窓、観葉植物、そしてあの子猫ちゃん。悪くはないが、とりわけよいというわけでもないそれらに対してなぜかそんな言葉が思わずでた。さらに、最後の項目についてはいささか不満があるのに、だ。

 一抹の疑問を抱えながら、店からでた。そんなぼくを待っていたのは朝のような晴れ渡った空ではなく、先ほど降り始めたと思しき小雨の空であった
「しまった。これじゃあ洗濯物が濡れるじゃないか。急いで帰って取り込まなきゃ。」
 足早に家へと向かう途中、花屋の前を通った。それと同時に思い出されたのは、あの子猫ちゃんのメモに書かれたあの言葉である。

「アルカネット」

 ここの花屋にはその花はあるのだろうか。
 その花屋を通り過ぎるギリギリのところで、ぼくは歩く足を止めた。さっきの喫茶店で出会った、あの不思議な子猫ちゃんのことが、そしてなぜか言ってしまった「また来ます。」が頭から離れなくて、少しでもなにかあの子猫ちゃんに関わることに触れたいと思っていた。それは、自分でも無意識のうちに。

 あの花のことを知りたいと思って店に入ったぼくだったのだが、どうも知りたいような知らずに帰ってしまいたいような落ち着かない気持ちになった。そして、若くてどこか緊張した表情をした、アルバイトとみられる女の子に声をかけたのだった。
 「アルカネットという花はありますか?」多分尋ねても分からないだろうから、そうしたら大人しく帰ろうとおもっていた。「アルカネットですか?‥少々お待ちください。」そう言うと彼女は店の奥に引っ込んでいった。どうやら他の店員に聞きに行ったようだ。
 「やっぱりいいです。」と言うタイミングさえ得られずにぼくは、長い時間ただ店に佇んでいた。
 
 するとしばらくして、店長らしき人物と先ほどの若い店員が店の奥から出てきた。店長と見られる眼鏡のおじいさんは、口髭に隠れて見えない口をもごもごさせながら、「あなたはとても珍しい花をお探しのようだ。うちの店にはないのだが、近くに変わった花ばかりを集めた花屋がある。そこに行ってみてはどうだろう?」と言った。一瞬、干したままのあの洗濯物達のことが頭をよぎる。しかし不思議と迷いはなかった。地図を描いてもらうとぼくは、そこに向かって走り出していた。
 小雨が眼鏡にかかって、前が見にくい上に、湿気の所為でぼくのクセ毛がうねりだす。
「そのクセ毛、可愛い。」
雑踏の音に紛れて、ぼくの耳元を女の声がかすめたので、びっくりして振り向いた。けれど、周りは小雨を避難しようと建物に入って行く人ばかりで、声の主は見当たらなかった。ぼくは台詞を反芻した。「そのクセ毛、可愛い、そのクセ毛、可愛い…It cute unruly hair…。」ぼくはハッとした、さっきのは確かに英語だった。そして確かに、ぼくの頭が小雨にやられてなければ、1989年の、あのロンドン娘の声であった。

 ぼくはしばらく、道に佇んでいた。気づけば空には日差しが少しずつ戻ってきていて、通りには人も増えてきた。ぼーっと道の真ん中で立ちすくむぼくを、みんなが訝しげに見るので、少し苛々した。何だっていうのだ。何だか今日は変だ。普段なら気にもかけない喫茶店に入ってしまうし、おかしな"子猫ちゃん"には迷惑こうむるし、今なんてこうして、アルカネット求めて足が急いてる。今日うまくいった事って、洗濯物だけじゃないか…。

 しかし、そんな鬱々とした気持ちとは裏腹に、ぼくの目は地図と道とをせわしく往復するし、足はまるでオアシス見つけた砂漠の遭難者みたいに速い。喫茶店の通りを抜け、何度か信号を渡って、何度か道を曲がった。二人の人にぶつかって謝った。十分くらい歩いただろうか。商業するには向かなそうな、閑静な住宅街に来ていた。そろそろ、目的地のはずだ。
アルカネット、アルカネット、アルカネット、僕の雨に濡れた唇は詠う。

 レンガで作られた家の隣に、その店はあった。
「HANA」と木の看板に無愛想に書かれたその店は人をよせつけまいとするオーラが放たれているように感じた。
「ごめんください。」狭い。思わず「ごめんくださいせまい」といいそうになった。店内にはエリックサティの曲が流れている。音楽に疎い僕がエリックサティの曲を知っているのは彼と僕の誕生日が一緒だから。誰もが自分と関連づけて物をみる。僕にはエリックのような優れた才能はない。でもエリックの曲を聴くとありふれた僕の世界も特別なものに思えるから不思議なものだ。

 「いらっしゃい。」
 エリックの美しい旋律の中から毒を含んだ青い、あの声がする。僕はしらない。勃起してたことなんてしらない。しらないけれど欲しかったんだ、この青い声が。
 「メモ、拾ってくれてありがとう。どうやってウチの場所がわかったの?ふふ、濡れてる。マンガの主人公みたいな顔して、ふふ変わった人。ふふ。」
 肩にかかった黒い髪が彼女の心の機微に合わせるように細かく揺れている。彼女の瞳に雲が晴れて行く光が映りこみ細かな光の粉が舐めるように頬を落ちていく。
雨が止んだのだ。
 僕は黄金色をせおって彼女を押し倒していた。
そして湿った体を彼女に押し付けていた。
鉄のにおい。鼻の下と上唇との間に冷たい感覚。右手で握っているのが、遊具の鉄の棒であることに気がつく。そして、それが鼻の下と上唇の間にあることにも。
さっきまで黒い髪の女の左うで(冷やっとしていたが確かに上腕)をつかんで、いた。のに、砂っぽい空気に目を凝らせばぼくは。

 
 小学5年の春。新しいクラスと新しい担任の先生が発表になった。
4年の時の先生は、絵が好きだった。女の、笑うと八重歯がかわいい30歳くらい。確か独身だった。好きな画家の話、文房具の話、大好きだった先生。校庭に秘密基地を作る図工の授業も夢中になった。
この春からとなり町の小学校に転任になった。
女で、旦那もどこかで小学校の先生らしい新しい担任ののいい、わるいに関係なく、それは悪かったのだ。
「だって、前の先生の方がいい。」
 
 8月になり、母と泊まりに来た祖母の家の床の間で、たたまれた布団の上に背中を埋めこみながら、
「だって、前の先生の方が」
そこまで言って、横で洗濯物のシーツやタオルケットをまとめている伯母に目をやった。
伯母は手元から目を離すことなく、「そんなこと。言ったってもう、しょうがないじゃない。」と言った。

目の前の、ではなく鼻の下の鉄の棒は、ジャングルジムの3段目。
 「なに。」
冷たく、重い鉄のような声が、けものになっていたぼくを「はっ。」と、目覚めさせた。

「どいてくれる?痛いんだけど。あと濡れてて気持ち悪いし、どっかが熱いのも嫌。」
さっきのような青く温かい声は、いまはどんよりと淀んだ色になり、ぼくにまた冷たい言葉を放った。
「ふふっ。」
しかし淀んだ声は笑う。ぼくの耳元で静かに。
「ん。やめてよ、笑ったくらいで…。」

ぼくはゆっくりと腕をたて、少し体を離す。彼女の顔をみる。瞳にぼくが映った。
「どいてってば。わたし、そんな気ないし。ここ、一応お店なんだけど。」
茶色がかった彼女の瞳をみつめたまま、ぼくは彼女の体から自分の体を離し、そして彼女の横にごろんと横たわろうとしたが、せまい店の壁にぶつかり、それは叶わなかった。

「ふう。あーあ。私の服も、少し湿っちゃったじゃないの。」
ぼくのした事をあまり気にしていないふうで、彼女も身を起こす。両手と尻を床につけたかっこうで、湿った自分の服をみつめる。そして両腕を膝の上でクロスさせ、その上に顎をのせて、ぼくのほうをみた。
「で?なにか用?セックスしたくて追いかけてきたの?だったら、おあいにく様だけどね。」
情けなくて、恥ずかしくて、ぼくはどうしたらいいのか分らなくなった。持て余した両腕さえどこに持って行ったら良いのか分らない。とてもぎこちない体勢だったに違いない。一方、鬱々としていた意識は、この現実を目の前にして一気に引いて行った。頭が冴え渡るかのような感覚に陥った。でも実際 何も理解できない。何だこの状況。

逃げたい。

「ふふふっ。すっごい顔。本当にマンガの主人公みたい。あとそのクセ毛、かわいい。」

ドキッとした。けれど彼女はとても落ち着いていた。

「ちょっと、返事くらいしなさいよ。黙られたらこっちが困るじゃない。で、本当にセックスがしたくて追いかけて来たの?」
「いや、アルカネット…」
「ああ、アルカネット。で?アルカネットが、何?」

しまった、何も考えずに答えてしまった。一体ぼくは何故ここにいるんだ。何しに来たんだ。やっぱりセックスが目的だったのだろうか。違う、ぼくはそんな人間じゃない。

「ア..アルカネットは…..あっ。アルカネットはあるかねっと。」

堪え難い沈黙が続いた。
「ふふふっ、おかしな人。アルカネットならそこにあるかねっと。」

などと、彼女が言ってくれたならばこの思い空気を打破できるきっかけになったかもしれないのに。だが、彼女の口からそんな言葉が出るはずもなく、代わりに一言「あそこ。」とぶっきらぼうに指差しただけだった。



 アルカネット。これがアルカネットという花なのか。僕はこの花を前にしても、僕は何故自分がこの場所に来たのかさえよくわからずにいる。洗濯物のことなど、とうに頭から消え去っていた。



 沈黙を彼女が破る。

「ねぇ、この花見てどう思った?」

 彼女の目はぼくを見たまま動かない。見据えている。ぼくは、見据えられている。



「これね、ハーブになの。ほら、甘い香りがするでしょう。」

 アルカネット。ハーブである。甘い香りがする。

「化粧品とか染料にも使われているんだって。」

 アルカネット。化粧品に使われている。染料にも使われている。

「でも、毒もあるの。」

 彼女がその言葉を言い終わる前にぼくの視界は彼女に覆われた。気づくとぼくは彼女に押し倒されていた。

 アルカネット。毒をもっている。そう、そして彼女も毒をもっていた。とんだ子猫ちゃんだ。
 コンビニで弁当と缶ビールを買う。家に帰ってニュースを見ながら、食べる。気がつけばいつもの日常に戻っていた。

 あの日のことは、生まれる前に経験した出来事であるかのように、ぼくの中に鮮烈に存在している。あの日のことを思い出そうとすると、鼻がツーンとし、頭の中では炭酸水がはじけたような感覚になる。そんな感覚ばかりを残して、ぼくはあの日、あの子がぼくの視界を覆ったあの直後のことを、よく思い出せない。ぼくの核に根を張っているようでいて、その正体は全く姿を現さない。

 今考えると、あの出来事はまったくもってぼくの頭の中でつくりあげられたことのような気さえするが、気づけば二週間前から部屋にいるあの花のおかげで、辛うじてあれが現実であるということが確かめられる。あの花は根に毒をもつのだということを、この間調べて知った。そしてその時、ぼくはその毒におかされてしまったのだということを理解した。

 ソファに腰掛けたまま、天井を見上げる。目をつぶると、アルカネットの甘い香りがぼくの鼻をくすぐる。毒におかされているぼくは、そんな風にしてあの子のことをぼんやりと考えてしまう。どうしてもぼくの記憶から、体から、心から出て行ってはくれず、どうしたらいいか分からないぼくは、ただあたまを掻きむしるだけだった。
―――――――――――――――――――腐ってる。
腐ってやがる。こんな、洗濯物がよーく渇きそうな日って、わたし大嫌い。むかつく。白いシャツやら、なにやら、ぱたぱたはためいちゃって、むかつく。今日みたいな日にまとめて洗濯するような人も嫌い。理由は特に見当たらないのだけれど、わたしの人生に意味も見当たらないし、まあそんなところでしょう。
 わたしは、昨日きちんと洗濯しておいたプリーツスカートを着て街に出た。わたしの足は白くて細くて長くて好きだから、このプリーツスカートも大好きなのである。街には能天気な洗濯物みたいな人間ばかり、わたしわざとぶつかって歩く。目的はただひとつ、いつもの喫茶店にモーニングセット食べに行くだけなんだから、誰にぶつかろうと、わたしに関係無いもの。ポケットの中にはモーニングセット分の750円しか入って無いし、鞄も持たないし、どうでも良いのだもの。と思ってポケットをまさぐると、750円以外の物が入っていて、わたしは舌打ちをした。手にとって、ポケットから出し、捨てようと思った。
「アルカネット」
ポケットから出て来たメモ用紙には、そう書かれていた。なんとなく、わたしは捨てるのをやめた。アルカネットってなんだっけ。なんだか懐かしい響きがする。あ、花か。花の名前だ。昨日店に入荷していた、変な匂いのするやつ。わたしは花の匂いが嫌いなくせに、花屋でバイトしているのだ。理由なんてない、わたしの人生と同じにね。
 いつもの喫茶店に着く頃には、少し汗ばんで息が切れてた。早くあの窓際に座りたい。
 
 嘘。誰かが座ってる。私の窓際の席。 

あのアホ店長。どうして私の席に違うヤツを座らせるのかしら。うまくいかない。頭の中で白いシャツがパタパタする。あ、うるさい。

 パタパタしてうまくいかないのよ。
色んなことが。アルカネット、意味のないものはどうでもいい。白くて長い足は好き。気持ちよくいきたいの。なんでもいい。でもうまくいかないの。あ、うるさい。

わたしはその「どうでもいい」メモ紙を床に投げ捨てた。
パタパタしてうまくいかないのよ。自分で繋いだ言葉を頭の中でライザミネリに言わせて見てた。

 しかしあの男、窓際のあの男。若いのにハゲてる。ウォーホルの原色のポスターを向かえにみるニンゲン色のその頭がわたしをさらに苛立たせた。
ああいうヤツに限って晴れた日に洗濯物を大量に干すの。パタパタパタパタ。どこぞの邦画の主人公みたいに。

 ひとつ、生きること。ふたつ、夢をみないこと。みっつ、ハゲは洗濯をしないこと。うまくいかない。
どうしてかしら、そんなことを考えていたら、ぐっしょりとショーツが濡れていたの。
 それを手で触って確認した。
あぁ、わたしの意識とは関係のないところで起きている。しかしながら、それはとても。とてもな、接近戦。
なぜいつもこう?こう。操作ができないのか、腹がたつのよ。わたしのポケットには、750円が入っていることになっている。それ以上もそれ以下でもないはずなのに、750円以上のものが入っていたりするの。わたしの大好きなこの、プリーツスカートの右ポケットの中身すら、制御できていないのよ。きっと。わたしのこの白くて細くて長い足だって、いつか意識とは関係のない変化をしていくのでしょう?店長さん、教えてよ。すべてをわたしの意識の関係するところに連れてくるすべを。

 きっと分かりゃしない、アホ。

 理由はいつだって要らないわ。そんなことは必要ない人生。わたし。いつだって、すぐに理由を知りたがる人はショートケーキくらい大っきらい。

 あぁ、モーニングセットがなぜ、わたしより先に、あのハゲのもとへ運ばれてきたのかしら!うまくいかない
。だから、わたし、知らんふりを決め込んで、言ってやる。
「ちょっと、なんで先にアナタののところにモーニングセットがくるのよ。」

神様、わたしは悪くない。
ハゲ男はとても困惑した顔をした。
「急いでないので先にいいですよ。まだ手もつけてないですし。」
はぁ。なによそれ。なによそれ。普通、言い返すでしょ。何言ってんの、こいつ。ばかじゃないの。こうやって、理不尽な事がおきても、諍いを嫌って自分の本心をいわないやつ、大嫌いよ。顔みたくないわ。あとそのハゲ頭も。みっともない。
「じゃあアナタ、トイレに行ってくれるかしら、食べてるところを見られるの嫌なのよ。」
何その理由。わたしもよっぽど、訳が分からないわ。そして私の言ったことにまた従ってしまうこいつ。はっきり、言いなさいよ。言いたい事を。なんなのよ。

 ハゲ男のせいでいらいらが治まらない。私がこうだと思っても、思うようにうまくはいかない、だから、わたしがあの男としたことだって、私が制御できなかった事柄のひとつにすぎない。気にする事なんてない。いつものこと。意味も理由もないのよ。

 やっとモーニングセットがきた。乱暴にパンを口に運ぶ。おいしくも、まずくもない。いつもの私の朝食がハゲ男のせいでいらいらしていた私の気分をなんとなく紛らわした。
ふと辺りを見たとき、私の持っていたメモ用紙が床から消えていた。どこ、いったんだろう。
ドアを開けようと、鍵を取り出そうとした。
鞄の中を探しても、なかなか見つからない。
あのキーホルダーが付いた、鍵。
あの人がくれた、キーホルダー。

ポプリが中に入ったあのクマのかたちをしたキーホルダーを、なぜだかずっと鍵から外せないのは、あのクマがかわいいから。

 それ以外の理由なんて全く、ない。

じれったくなって、鞄をひっくり返して中身を出す。
すると、チャリンという音がして、鍵が落ちた。鍵には、キーホルダーの金具だけが付いている。

 あのクマさんがいない。

他の荷物も探すが、見当たらない。
どこかで切れていなくなってしまったようだ。
そう思った途端、とてもかなしい気持ちになった。
とてもかなしい気持ちになったのに、目から涙は出なかった。

クマさんがいなくなって初めて、自分のきもちと向き合った。わたしはかなしかったんだ。泣いて叫びたいのにわたしの目から涙は出ず、行き場のない小さな声がぽろぽろと出るだけだった。
ほっぺたに水の感触。あれ、と思い見上げると、空がわたしの代わりに泣いていた。
 わたしったら、いけない。
目の前に広がったイメージをかき消しながら(≦かき消すために)、聞こう。クマさんの声。

ひとつ、おんなはおとこに愛と人生を捧げるべし

ひとつ、おんなはおとこに愛と未来をタクすべし

ひとつ、おんなはおとこに愛と情を注ぎ込むべし

ひとつ、おんなはおとこに・・・・


 京都の夏は暑かった。太陽はちょうど、つむじの真上の方にあって(あの人のつむじはちょっと後ろの方にあるのだけれど)、坂を上りながら、たまにある木陰がまるで砂漠のオアシスのように感じられたくらい。
 
 ねぇ、今日は、ミカンやりんごのシャーベットを何コ食べたかしら。

 ねぇ、近くにお蕎麦屋さんがあったら、お蕎麦、食べましょうよ。

 ねぇ、私のこと、きらいになった?


 クマさんはなんにんも言わないで、どっかへ行っちゃった!
ああああいつ。うるさいあいつ。咳をするなら口を手で押さえなさいよ。咳だのくしゃみだのが口からでるときの速さを知ってる?新幹線が走るときの速さ、もしくはそれ以上なのよ。特にくしゃみは出てくる唾液の量も半端じゃない。ああまた!人に向かって咳を吐くなんてどうかしているわ。きもちがわるい。汚い。なんなの。その口から出てくる唾液がふくんだ汚い菌を撒き散らすのをやめなさい。汚い。あああ汚い。

ああああああ!!!近くにこないで!あんたなんて汚いとこしかないじゃない!それでも我慢してあげてるのにあんたはなんなのよ!口を押さえなさいよ!自分のしてることがどういう事かもっと考えなさいよ!周りに人がいるでしょう!みんな嫌がってんのよあんただけの世界じゃないのよ独りで生きているのじゃないのだから他人の気持ちを考えて生きていかなければならないことなんて、いわれなくても知っているでしょう!なんてバカなの!なぜバカなの!むかつくむかつくあああ!きもちわるいのよあんた、だってい………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………… もういいや。
みかけより大分ややこしい性格をしているだなな   
んていって交わした会話の断片が
なみのように押しては返して繰り返して永遠に、
嫌、本当に嫌。
がっこうの帰り道にいつも手をつないで歩いたんだ
っけな。胸ぐらも掴まれたんだっけな。背中をどん
て押されて歩道から車道に突き飛ばされたんだ。ど
んって。
のどでタンが絡んでるのかな。
よくうがいしてね。みんな嫌なの、あなたのこと。
あんしんしきった顔してさ。ちょっと!俺が一体ど
んな悪い事したんだって顔して!
たん!タンだよバカ。喉に手突っ込んででも
だせよ、タン!
けつの穴に電動ドライバー突っ込むぞ。そしたら、
のんきに咳なんかできなくなっちゃうんだぞ。この
世の終わりみたいな声が漏れて涙が溢れて来て、外
界の様子が全部ぐわんぐわんに歪んで、きれいなん
じゃないかな。
ゃ。 ちょっと、それ血?
なになにどうした。こんな所で倒れて、うわ、すご
い血吐いてる。
のいずみたいな声でも助けてってちゃんと聞こえる
よ。あんしんして。聞こえてるから。
死はどうして訪れるの。それより何故私は生きているの。

だって、いずれみんな死ぬじゃないの。死ぬために生きているというの。

生きていたいの、死にたいの。

私は今死んでいるの、私はまだ死んでいないの。

毎日、気に食わないことだらけで私もう爆発したいわ。ああ、でも本当は笑いたいし泣きたいしもっとちゃんと怒りたい。

気まぐれだなんて言われるし、それにややこしい性格よ。胸ぐら掴まれるし、車道にだって突き飛ばされる。

そんな私。

ああ、だからもう嫌なのよ。本当に嫌なの。わかる?いい加減そろそろ気付いてよ。

みんな嫌がってんのよあんただけの世界じゃないのよ。

ねぇ。

みんな嫌がってなんてないわよね私だけの世界よね。

ねぇ。


あなたは知っているのだろうか、
クマさんの行方を。

クマさんは知っているのだろうか、
あなたの行方を。

太陽に愛された少年みたいな、あなた。
髪の毛が灰色なのに、一生少年みたいな顔して。


とびきり自由なあなたを見ていて気づいた。

自由はつかみ取ろうとするものではなく
自由に生きるひとに寄ってくるものだということ。


自由なあなたは留まらない。

そしてわたしは自由なあなたがいい。

だからあなたと居たいと思っても、
それは同時に叶わぬ夢となるのです


あなたが行ってしまうのが嫌だから、
わたしはクマさんと一緒にあなたの元を離れた。

わたしは後悔しているんだろうか、その選択を。

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