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斎藤龍鳳コミュの武闘派宣言

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数ヶ月前、たまたま立ち寄った、しょぼい古本屋の棚に、ちょっと別格で置かれていました。なぜわたしが「別格」と思ったかといえば、わたしはその古本屋では、通りすがりに眺める、店頭のワゴンの、一冊百円の本しか買ったことがなかったからです。いささか酔っていたせいか、2800円のこの本を買ってしまいました。

コメント(13)

「講釈師みたいな名前だと、竹内好氏が?竜鳳?という私の名を評されたことがありますが、いままでにも、マージャン屋か? とか、坊さんか?  ラーメン屋か? パチンコ屋か? とか各種の受けとられ方をしたことがあります。敗戦直後、おどおどと「失礼ですが、貴方は三国人ですか?」と聞かれ、 「三国でも四国でもない。江戸ッ子だ」と答えたこともあります。つい、せんだっての山谷暴動でパクられた時はじめて、浅草警察の運動場で、若い見張りのお巡りが「お前の名、カッコイイ名前だなあ」といってくれました。賞賛してくれたのはポリ公だけだったというのは、いささかシャクの種ですが、私の父の名も ?勇鳳?という大げさな名前でした。多分、父方の親類筋に大時代な奴がいて、勇鳳だの、竜鳳だのと、取りかえしのつかないことをしてくれたのだと思いま す。本当のことをいうと、三十九年このかた、自分の名については、いまわしさと、恥ずかしさの連続でした」

〜「山陽館一族ものがたり」(『中国』1967年12月号。『武闘派宣言』1969年三一書房刊所収)
「手なずけるなら中高。グレるのも中高。行きすぎるのも中高。彼らはどだい下品なことをおぼえる世代である。だからもっと下品な「革命」を会得させるにこしたことはない。毛沢東はうまいところに眼をつけたものだ。彼らは「行き過ぎ」「むちゃくちゃ」をやるだろう。その後に大人がでて結着をつける。文化大革命から紅衛兵運動へ。それはまさに世紀の大八百長だ。毛沢東は大演出家であり、ゆえに二十世紀最大の政治家だ。「行き足」のある紅衛兵のガキはつっ走る。七億の人民はぞろぞろ歩く。行く先は―きまっている。革命、それも世界の革命に向かってだ。」

〜「走れ紅衛兵」1966年11月『現代の眼』。『武闘派宣言』1969年三一書房刊所収)

 本文ではなく、著者本人がつけた(らしい)リードの文章ですが、「中高」が中高年ではなく、中高生であることは言うまでもありません。当時、大学教授や作家などが作り上げた理想主義的な「革命」のイメージではなく、もっぱら、行き過ぎ、むちゃくちゃ、下品に着目しているところが、今でも通用する文章になっていると思います。毛沢東について、66年の時点で、次のように指摘しているのには眼をみはりました。

「老政治家は、湘南農民運動を真下に見るラセン階段の真上にきている。いつか己も止揚の対象とされ、ロボット扱いにされ、悪魔の代名詞になるかも知れない。だが、もとをただせば湘南一帯に根を張る盗賊団の首領である。いま、中国の毛沢東といわれている。七億の人間が、国境を無視し、武装してぞろぞろ歩き出す時期はそれ程遠くない。」

 最後の予測は外れましたが、それ以外は見事に的中しているのではないでしょうか。しかし、そうした政治的な読みよりも、文章が跳ねて、イキがいいのが、なによりも小気味いいです。
紅衛兵さん、こんにちは。お読みになった『新華時報』は、もちろん今年のものですね? 写真はその新聞に使われていたものですか? 驚きました。まるで昂揚期のエネルギーに溢れているではありませんか。(カット写真は当時のものを使っているのでしょうが)
威勢のいい見出しも含め、とても「幽霊」には見えませんが、すっかり清算されたと思い、どこか残念だった「歴史記憶」を、「忘れるなかれ」と呼号するのが「在日華僑紙」というのが、なんとも不思議でたまりません。在日華僑は、中国本土の政府の行き方に反対なのでしょうか? 
わたしはまるで政治オンチなのですが、このコンテクストを簡単に解説していただけると、大変有りがたいです。
紅衛兵さん、ご教示有り難うございます。「白色テロへの血の債務」復刻版や、「善隣学生会館事件の真相を探る」を拝見しましたが、いずれも膨大な世界へのトバ口みたいなもので、わたしにそう簡単に理解できるものではありません。しかし、こうした背景があって「まだまだシナリオのない革命は終わったわけじゃない」と仰ったことは、よく諒解できました。イシハラ問題など、興味深いテーマもありますので、時おり拝読したいと思います。
わたしは学生時代に竹内芳郎教授の文化大革命論を、けっこう感動的に読んだ記憶があったのですが、これも紅衛兵さんのいわゆる「礼賛する知識人」の文章だったのでしょう。近年お会いする機会があり、確か『展望』に発表されたその文について触れると、先生は、当時あまりにも情報が少なく、多くの知識人が判断を狂わされた、というようなことを言われました。その通りではあるだろうと思いましたが、なんとなく残念のような気持ちが残りました。当時の見解を撤回せずに、理想主義的な紅衛兵論をぶち上げることを期待したのかもしれませんが、そうした妄想は、論理的な先生にはいちばん遠い態度だったでしょう。
紅衛兵さんのご意見に、まったく共感します。もたらした結果のある側面を見て、否定したり、留保をつけたりするのは、後出しじゃんけんみたいなもので、かっこよくないと思う。まして、それが自分たちの利益を守るためだったりすると、底意バレバレで、何にも面白くありません。
66年の時点で、いち早く紅衛兵の無茶苦茶、下品、行き過ぎを熱く支持した斉藤竜鳳の先駆性に瞠目します。真似はできないけれど、かっこいいと思う。高橋和巳がルポした文化大革命は理想主義と苦悩に満ちていた(ような気がします)が、それに比べて徹底して無責任に見える斉藤竜鳳が、もっとも現実的であるように思われます。
紅衛兵さま
「ひどいわ、ひどいわ主義」批判、大変痛快に拝読しました。ご指摘のように、そうとう応用のきく、普遍的な議論のように感じました。わたしの場合、向かう方向は、まるで逆のような気もするのですが、辿る論理に興味があります。目下、新作映画の上映活動で、腰の落ち着かない日々を送っていますが、連載をじっくりと拝読して行くつもりです。

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