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ユダヤ 十二支族コミュのアブラハム→ヤコブ→ヨセフ・12支族、モーセ→サウル→ダビデ

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『旧約聖書』の内容は古代イスラエル人・ユダヤ人の思想活動すべてを網羅するごとく多岐に渡っている。以下に旧約聖書に含まれる文書の概略を記す。

天地創造と部族長の物語 旧約聖書の冒頭が創世記である。その冒頭では神が7日間で世界を創り、楽園に男と女を住まわせたが、彼らが蛇の誘惑によって禁忌を犯したので楽園を追放されたという、神による天地創造と人間の堕落が語られる(創世記1-3)。以下、創世記には最初の殺人であるカインとアベルの兄弟の話(創世記4:1-16)、ノアの箱舟(創世記6:5-9:17)、バベルの塔(創世記11:1-9)などの物語が続いていく。

続いて創世記には、アブラハム・イサク・ヤコブの3代の族長の物語が記されている(創世記12-36)。

族長アブラハム(紀元前17世紀)によりイスラエルの記録がはじまる。孫のヤコブ(ヤアコブ)の時代にエジプトに移住するが、子孫(12支族)はやがてエジプト人の奴隷となる。ヤコブの子のヨセフの時代にイスラエル人はエジプトに移住し、エジプト王の厚遇を得て栄えたが、王朝が代わって迫害が始まり、イスラエル人たちはモーセに率いられてエジプトを脱走し、40年間荒野を放浪して約束の地であるカナンに辿りついたというものである。奴隷の時代が400年程続いた後に紀元前13世紀にモーセ(モーゼ)が民族をエジプトから連れ出し、イスラエル人たちを率いてエジプトを脱出し(出エジプト5:1-15:21)、神が族長ヤコブに約束した「乳と蜜の流れる」カナンの地を目指しながら40年間シナイ半島で放浪する(出エジプト15:22-40:38、民数記)。シナイ半島を40年間放浪し定住を始めた。200年程かけて一帯を征服して行く。

申命記から続けて、ヨシュア記ではヨシュアに率いられたイスラエル人たちによってカナンの諸都市が攻略され、そこに移住していく様子が描かれる。角笛を吹き鳴らすと城壁が崩れ落ちた(ヨシュア記6:20)とされるエリコへの攻略(ヨシュア記2-6)などが有名。

ヨシュアに続いて、デボラ(士師記4-5)、ギデオン(士師記6-8)、サムスン(士師記13-16)といった軍事指導者が続いていくのだが、彼らは士師と称され、部族連合体であったイスラエル人たちの裁判官と軍事指導者の役割を兼ねていた。また、軍事判断によって神の意向を民に伝えていたことから彼らは預言者でもある。これらの士師たちの活躍を描いたのが士師記であり、女性の間諜によって髪を切られて力を失って殺されるサムスンの話などが有名である。

最後の士師がサムエルである。ここで物語はサムエル記に移り、イスラエル部族連合体が王制国家に移行する様子が描かれている。民衆の要求に応えて渋々ながらではあるがサムエルはサウルを王に指名するのである(サムエル上9-10)。

モアブの王国サムエル記によると、紀元前1080年ごろペリシテ人が北部のガリラヤを制圧し、その地域のイスラエル人が奴隷となると、最後の士師で預言者でもあったサムエルは、サウルをはじめてのイスラエルの王として任じた。この王はペリシテ人との戦いの必要からでた軍事的な指導者であった。

預言者サムエルはサウルに代わる王を探すため、神の指示によってエッサイの下へ遣わされた(サムエル記上16:1-3)。エッサイは自分の息子を順にサムエルに見せるが、どれも王となる者ではなかった(サムエル記上6:6-10)。そこで、一番年下のダビデを連れて来させると、神はその子に油を注ぐよう指示した(サムエル記上16:11-13)。後にサウル王が自分のために竪琴の名手を召すため、エッサイの下へ来ると、彼は多くの贈り物と共にダビデを送り出した(サムエル記上16:17-20)。ペリシテ人が陣営を敷くと、エッサイの三人の息子は戦いに出向いた。エッサイはダビデに兄たちに食料を送るよう指示した(サムエル記上17:12-17)。

ダビデはベツレヘムにすむエッサイの8番目の末っ子として生まれ、羊飼いをしていたが、サムエルに見出されて油を注がれる。彼は竪琴の名手であったため、精神を病み始めたサウルに仕えるようになる。サウル王の家来たちは悪い霊におびえるサウルに、竪琴を弾く者をさがすように進言した。サウルの命により呼ばれたダビデの竪琴によって、サウルから悪霊が出て行った、第一サムエル16章の聖書記事は初期の音楽療法とみなされている。
ダビデはペリシテ人の戦士ゴリアテを倒したことで有名になり、その後も戦功をあげていくがその人気をサウルにねたまれ、命を狙われる。サウルはダビデ殺害の命令を出すが、ダビデの親友であったサウルの息子ヨナタンの手助けで逃亡する。

サウルはアマレク人を滅ぼし尽くせという神の命令に従わなかったため、神の恩寵を失う。サウルはペリシテ人との戦いで息子たちと共に戦死した。

サウル王の死後、サムエルに見出されたダビデは南部のユダ族をまとめて王となり、都ヘブロンを中心とした王国を建てる。これに対して北部イスラエルの11部族はサウルの死後、その子イシュバールを王とし、都マハナイムを中心に王国を建てた(サムエル下2:9-11)。これら二王国の内紛は7年以上続くが、イシュバールの死後、両国はダビデを王として認めることで和解した。

紀元前995年頃、ダビデは両王国の中心に位置するエルサレムのエブス人を倒し、以後、ここを拠点にペリシテ人らを退け、イスラエル王国(統一王国)を築いた。

ダビデ王(紀元前1004年‐紀元前965年)の時代に統一イスラエル王国として12部族がひとつにされる。しかし、ソロモン王(紀元前965年‐紀元前930年)の死後、南北に分裂し、サマリヤを首都に10部族による北王国イスラエルと、エルサレムを首都にする2部族による南王国ユダに分かれた。

ダビデの死後、紀元前963年にその子の一人ソロモンが国王を継ぐ。ソロモンは引き続き国の体制を整え諸外国との交易を盛んにし、またエルサレムに大きな神殿(エルサレム神殿)を建てた。この神殿は後世、第一神殿と呼ばれることになる。

ソロモンの死後、部族間の抗争により統一体制は崩れ、やがて10部族がイスラエル王国(北王国)として独立し、南のエルサレムを中心とするユダ王国(南王国)と分離することになる。以後両国は盛んに争ったが、この戦争によって国力が衰えた。

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アブラハム
(英語 Abraham 、ヘブライ語 אַבְרָהָם (ab-raw-hawm') 、ギリシア語 Αβραάμ 、「群衆(多数のもの)の父」の意) は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教を信じるいわゆる聖典の民の始祖。ノアの洪水後、神による人類救済の出発点として選ばれ祝福された最初の預言者。「信仰の父」とも呼ばれる。

ユダヤ教の教義では全てのユダヤ人の、またイスラム教の教義では、ユダヤ人に加えて全てのアラブ人の系譜上の祖とされ、神の祝福も律法(戒律)も彼から始まる。イスラム教ではイブラーヒーム(アラビア語: ابراهِيم‎, Ibrāhīm) と呼ばれ、ノア(ヌーフ)、モーセ(ムーサー)、イエス(イーサー)、ムハンマドと共に五大預言者のうちの一人とされる。キリスト教の正教会においてはアウラアムと称され、聖人に列せられている。

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